第40話 そして時計の針は加速する
第二師団での会議の翌日、チーニとレナはモナルク学院の敷地内に居た。朝から何度も花砂糖を噛んでいるチーニに視線を向け、レナは苦笑いを浮かべる。
「あのぅ、先輩、なんか、怒ってます?」
歯切れ悪く問いかけたレナに視線すら向けず、チーニは口を開いた。
「怒ってないよ」
ガリッと音を立てて、チーニの口の中で花砂糖が砕ける。チーニはまた小瓶を傾けて、ピンク色の立方体を口に放り込んだ。学院の校舎が近づくにつれて、チーニの足音が大きくなる。
「やっぱり、なんか、えぇっと、不機嫌、立ったりします?」
レナの問いかけにチーニは足を止めた。口の中にあった花砂糖をかみ砕き、深く息を吐き出す。レナは二歩ほど前からチーニを振り返った。
「ごめん。ほんとに怒ってない。けど、ごめん、確かに機嫌は良くない、と思う」
歯切れ悪く答えたチーニは花砂糖を口に入れてから、ルーナとの距離を詰める。
「もしかして学院嫌い、だったり、とか?」
レナは問いかけてから、自分の失敗に気が付いた。卒業間近に起きた誘拐事件の話や、昨日聞いた「不死の心臓」の話がすごいスピードでレナの頭の中を駆け巡る。
「あ、いや、すみ」
「うん。嫌いだよ」
レナの言葉を遮って、チーニが答える。視線はまっすぐに校舎に向けたまま、チーニは言葉を続けた。その頭の中には温かく幸せないくつもの思い出が浮かんでいる。
「だって、こんなに最悪で悪趣味な場所他にないでしょ」
レナは言葉に詰まって、チーニから視線を逸らす。
「三年間も毎日顔を合わせて会話をしてれば、相手のことをそれなりに理解できる。理解して、理解されて、どんどん離れがたくなるのに」
チーニの言葉はそこで一度途切れた。学院の敷地の至るところに居るかつての自分と友の姿が、チーニの内側を乱す。濃度の濃すぎる幸せは、毒だ。
チーニは短く鋭く息を吸い込んで、過去の自分から目を逸らした。
「なのに、この場所での時間は、絶対に終わるんだよ」
口から出た声は、想定よりも震えていて、チーニは花砂糖をかみ砕いた。甘い塊を飲み込んで、小さくため息を吐く。
「ごめん。喋りすぎたね」
レナが言葉に迷っている間に、チーニは会話を打ち切って、校舎のドアに手をかけた。受付を済ませ、教室の前を通り過ぎ、一番奥にある学院長室にたどり着く。チーニは小さく息を吐いて、ノックをせずに扉を開いた。レナは驚きつつも後に続いて室内に入る。
「ノックをするように教えたはずですよ、チーニ」
執務机に座っている学院長は、チーニの記憶の中の彼女と何一つ変わらない。綺麗に伸びた背筋も、整頓された机も、来客用のソファーも、頭の後ろで纏められた白い髪も、チーニを咎める声も。すべてがあの頃のまま、そこにあった。
「お久しぶりです、学院長」
学院長は小さくため息を吐いて、柔らかく微笑む。
「立派になりましたね、チーニ。それからレナも」
チーニは執務机の左端の前に立って、学院長と視線を合わせる。レナは戸惑いながらも、その半歩後ろに並んだ。その戸惑いで我に返ったチーニは、一歩、右へ移動する。
「今日は、学院の入試会場の変更をお願いに参りました」
「変更?」
チーニは鞄から書類を取り出して、学院長に渡す。不確かな情報であることから、その書類にディアの名前はない。変更を求める理由の欄にも『盗賊団が王都の貴族家を狙っている可能性があるため』と書かれているだけだ。
学院長は何度か書類の文面をなぞり、顔を上げてチーニの目を見た。
「ディアが戻ってくる可能性があるのですね?」
チーニはため息を吐いて、学院長と目を合わせたまま答える。
「そこに書かれた情報以外は答えられません」
学院長は紙に視線を落とし、小さく息を吐いた。チーニは何も言わず、ただじっとその場で彼女の言葉を待つ。学院長室でこんな風に静かに過ごすのは初めてで、チーニは視線を彷徨わせた。週に一度は呼び出されていたのに、部屋を観察したことは一度もなかったと、今更になって気が付く。
時計やソファに視線を向けて、そのたびに隣の空白が気になって、チーニはすぐに、学院長に目線を戻した。
「分かりました。入学試験は、三番地の研修施設で行うことにしましょう」
書類から顔を上げた学院長は、判を押してチーニに紙を返す。チーニはそれを両手で受け取って丁寧に鞄に仕舞う。背を向けようとしたチーニに学院長が口を開いて、それが音になる直前、遠くから鋭い笛の音が届く。
チーニとレナは顔を見合わせる。
「今の音、警ら隊の緊急事態を知らせる笛のですよね?」
「うん。警ら隊支部が襲撃された時の鳴らし方だ……方向と大きさ的に北の三か、四だな」
チーニは学院長の方に向き直って、早口で言葉を紡ぐ。
「僕らはすぐに三番地に向かいます。念のため、授業は中止して、生徒は一か所に集めてください」
「ええ。分かっています。さあ、ここは大丈夫ですから、お行きなさい」
優しい手に背中を押されて、チーニはレナと共に学院長室を飛び出した。
王都を走り抜け、内門に着くとグラースが門を開けて待っていた。その傍らには二頭の馬が鼻息荒く、二人を待っている。チーニは肩で息を整えながら、グラースにお礼を述べて、馬にまたがった。
「本当に助かったよ、ありがとう。グラース」
「俺はできる門番だからな。さあ、早く行け」
グラースは外門まで開けてくれて、チーニは再度お礼を口にした。まだ荒い呼吸を繰り返すレナは、言葉でのお礼を諦めて頭を下げる。それから馬にまたがり、チーニを追って外門を越えた。
チーニは北側には向かわず、そのまま南の方向に進む。
「え? どこ行くんですか?!」
レナは馬を操りながら声を張り上げた。
「南の一と二に、応援要請してから行く!」
本来応援に駆け付けるのは同じ番地からよりも、前後の番地からの方が多い。同じ番地から行こうとすると、町中の道を抜けなければならず、時間がかかるのだ。基本と違うチーニの動きに戸惑いながらも、レナはその後を追う。
(今日は、団長が第二師団のとこでハングさんと稽古してるはず。襲撃犯はあの二人がどうにかするだろうから、僕が考えるべきはその後だ)
チーニは思考を続けながら、巧みに馬を操って馬車を追い抜いていく。
(市民の避難と後は混乱に乗じての脱獄を防ぐのと、脱獄犯の早期発見、拘束。それには人数が居る)
チーニは一番地の警ら隊支部の前で馬を止め、混乱する住民をなだめている警ら隊に近づく。チーニに気づいた所長がすぐに傍にやってきた。チーニはその耳元に顔をよせ、必要なことだけを伝える。
「ここが危険にならない程度で良いので、北に何人か派遣して事後処理にあててください」
「了解です」
所長はすぐに頷き、部下の方へと足を向けた。チーニが馬に戻るのとほぼ同時に、追い付いたレナが馬を止める。
「大丈夫?」
チーニの問いにレナは大きく頷いた。
「大丈夫です」
チーニは視線をレナから前に移し、馬を走らせる。すぐに南二番地の警ら隊支部が見えてきて、チーニは更に馬を加速させた。支部の前には、一番地と同じように人だかりが出来ていたが、そこに警ら隊の隊員の姿はない。
チーニは少し離れたところに馬を止め、人ごみをかき分けて、支部の前に立つ。
そこで、一瞬、思考が止まった。
「は?」
チーニの吐き出された声は低い。後ろから追いかけてきたレナは、チーニの背中から詰め所内に視線を動かして、小さく悲鳴を上げた。
警ら隊の白い制服を染める血液。
折り重なって倒れる人。
心臓に深々と刺さるナイフ。
そのすべてが彼らの思考を止める。感情の一番浅いところが、理解を拒む。レナは自分の呼吸が浅くなるのを感じた。制御しなくてはと思うほどに、体は勝手に逃げ出そうと動く。
「レナ、この人たちは任せるよ」
チーニは低くそれだけ呟くと、また人ごみをかき分けて、通りに飛び出した。その視界の端をよぎる三つの襤褸をまとった人影。裏通りへと消えていく三人を追って、チーニは走り出した。
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