第13話 その目があまりに綺麗だったから

 ハングに貰った資料をもとに、チーニとレナは西十七番地を訪れていた。


 西十七番地はアストラガスを始めとした蔦植物の加工で有名な街だ。いくつもある工房には、花を編み込んだものや違う植物の蔦を組み合わせることで模様を描いたものなど、様々なすだれが掛けられている。


 資料によれば、この街に住んでいた茶髪の男が、五ヶ月前に行方不明になっているらしい。


 チーニは頭の中で資料の情報を並べながら、周囲にそっと視線を向けた。その隣を歩くレナも、あたりの気配に気を配る。私服を着てきたおかげで、街の人にもそれほど警戒されていないようだった。それでも好奇の視線が付きまとう。


(コートを着ているときよりよりマシとはいえ、やっぱりよそ者は目立つな)


 チーニは心の中だけでため息を吐いた。普段からかたく手を取り合って暮らしている人々は、外の人間に対する警戒心が強い。


 チーニは意識のスイッチを切り替え、眉も視線も下げて、指先や肩から力を抜く。口元だけ無理にゆがめたチーニは隣を歩くレナに顔を向けた。


「レナ、やっぱりこの街にもいないのかもしれない。遠出をさせたのに、ごめんね」


 笑顔と真顔以外のチーニの表情を知らないレナは内心とても驚きながら、外側ではチーニの肩にそっと手を伸ばす。


「まだ諦めるには早いよ、もう少し探してみよう? この辺りの人に聞いてもいいし。ね?」


 チーニの顔を覗き込むレナの口から、柔らかな声が吐き出される。困ったような笑顔を作って、レナはもう一度「ね?」と首を傾げた。


「そうだね。ごめんね、弱気になっているみたいだ」


 チーニは視線を下げ、自嘲的な笑みを浮かべる。


「そういう時はありがとうの方が嬉しいっていつも言ってるでしょ」


 レナは顔全体を使って笑顔を浮かべた。チーニは二度瞬きをして、ゆっくりと困り果てた顔から、小さな笑みを浮かべた顔へと変化させていく。


「うん。ごめ、あ。ありがとう」

「うん。じゃあ、あそこのお店の人に聞いてみない?」


 レナが指さしたのは、すだれが半分上がっている工房だった。チーニは頷いて、そちらに足を向ける。


「こんにちはー」


 工房の入口にたって、レナが声をあげた。中にいた壮年の男性と赤ん坊を抱いた女性が、振り返ってチーニたちに視線を向ける。警戒が色濃くにじむ目線を受け、チーニはもじもじと半歩下がった。レナはチーニの腕にそっと手を置いて、中の二人に向かって軽く頭を下げる。


 決して、体が室内に入らないように気をつけながら、わずかに口角を上げて二人に顔を向けた。無害で、力のない小動物をイメージしながら、レナは口を開く。


「あの、少しお話いいですか?」


 男性の方が立ち上がって、入り口の方へやってくる。女性はこちらに来ようとはしないものの、背を向けてしまうことはない。レナは安堵しながら、さらに気を引き締めて言葉を続ける。


「実は人を探しているんです」

「人探し?」

「ええ。私はレナ、こっちはチーニと言います」


 レナに紹介されて、チーニは縮こまりながら「どうも」と言葉を吐きだす。


「はあ……それでどうしてうちに?」

「探しているのは、彼の友人なんですけど、最近この辺りで見かけたという噂を聞いて」

「背が、高くて。あ、でも姿勢が悪いから、そんなに高く見えないんですけど、髪の色は茶色で。見かけたことありませんか?」


 チーニが前のめりに言葉を並べる。その焦り方を見た女性が、入り口の方まで近づいてきた。


「なんという方なんです?」


 チーニは顔をほころばせて、大切なものを包み込むような優しい声で名前を口に出す。


「ディア。ディアルム・エルガーという名前です。四年前に、突然居なくなってしまって」


 男性と女性は、顔を見合わせて首を傾げる。


「もしかしたら、ディアとは名乗っていないかもしれないんですけど」


 チーニは体を乗り出して二人に問いかけた。だが二人はうかない表情で首を傾げるばかりだ。


「やっぱり、見てませんか」

「ええ。力になれなくてすみません」


 男性の方がいくらか柔らかくなった声でそう口にする。レナはチーニの背中に手を当てながら明るく笑う。


「いえいえ! そんなことはないです。ありがとうございました。もう少し探してみます」


 レナに背中を押されて、チーニはその場を後にする。民家や工房が密集している辺りを抜け、穀物を育てている畑の辺りまで進んだところで、レナはチーニの背中から手を離して、足を止めた。


「だいじょうぶ、でしたか? 私の演技」

「うん。彼らを無駄に警戒させずに済んだのはレナのおかげだよ。ありがとう」


 小さく笑ったチーニにレナは顔をほころばせる。「友人を探す恋人」として調査することを提案したのは、レナだった。


 人が少なく、近所付き合いの濃い場所では、都会よりも情報の周りが早いことがある。役人が来ていることが犯人に分かれば、見つけるよりも先に逃げられてしまう可能性が高い。経験則からの立案まで褒められた気がして、自然と口から笑い声がこぼれた。


「地下街への出入り口が分かれば、もう少し捜索範囲が狭まるんだけど。よそ者にそんな場所教えてくれる人はいないだろうなぁ」


 頭の中にこの辺りの地図を広げながら、チーニは小さく呟く。地下街は法律の届かない場所。警ら隊に追われる犯罪者、地上の人間に迫害されどうにもならずに地下街に逃げた者など、地上との繋がりを持ちたくない人間で溢れている。


 そんな彼らの根城の出入り口を外の人間に話したことが分かれば、あとからどんな報復を受けることになるか分からない。


(住民を危険にさらすわけにはいかない。それに、地下街の住人を刺激してこれからの調査を邪魔されるのは困る)


 チーニはぼんやりとした目で、目まぐるしく思考を続ける。ここではない何処かを見つめるその横顔をみて、レナは手をぎゅっと握る。口を開いて、息を吸い込み、閉じて、また吸い込んで、視線を下げた。視線を下げたまま、両手を強く握って、レナは声を絞り出す。


「あ、あの」


 震えた声が唇からこぼれおちた。思考を止めたチーニの目にはっきりとレナが映る。


「どうかした?」


 首を傾げたチーニの前で、レナは震えた小さな声を吐き出す。


「嫌じゃないんですか」


 チーニはじっと、黙ったままレナの顔を見つめる。質問の意図を、言葉の真意を、読み間違えないように、じっと彼女の言葉を待つ。


「さっきの女性にエルガー名前を聞かれた時の、先輩の笑った顔は、偽物じゃないですよね」


 レナは視線をあげて、言葉を続けた。チーニは驚いて目を見開き、自嘲的な笑みを浮かべる。


(上手に嘘を吐いたつもりだったけど、下手になったかな)


「先輩にとってエルガーは大事な人なんですよね? 探してしまって……その、見つけて、いいんですか」


 レナが飲み込んだ部分を正確に理解して、チーニは言葉に詰まる。


 第一師団は法律で動かない。第一師団の判断基準は王や王政を傷つける意志があるかどうかだけだ。


 彼らの正義に照らせば、憂さ晴らしのために百人殺した殺人鬼より、王を殺す計画を立てた人間の方が罪が重い。第一師団にとって、王への反逆は思想そのものが死刑に値する重罪なのだ。


 例えば、予想に反してディアが王を恨んでいたとしたら。

 例えば、王を殺して、王座を奪う計画があったら。


 第一師団は、ディアを殺さなくてはいけなくなる。


  レナは目に涙を浮かべて、チーニの目を見た。意識して柔らかな笑顔をつくったチーニはレナと視線を合わせる。


 その目にたまった涙が、とても綺麗で。

 チーニを見つめる瞳が、とても優しくて。

 その目から澄みきった心が透けていて。


 チーニは思わず、目を逸らした。声に出そうとした嘘はぜんぶ吹き飛んでしまって、チーニは曖昧な笑顔を浮かべたまま俯く。


(こんなにまっすぐに僕のことを心配してくれる人を吐くのは、失礼が過ぎるかな)


 チーニは体の力を抜いて、ゆっくりと息を吐き出す。不器用で優しい友人と同じように、言葉を選ぶ。誤解無く、相手を傷つけることなく、思っていることが伝わるように。


「僕は、」


 チーニはそこで言葉を止める。迷いながら、口を開いて、閉じて、また開いた。レナの目を見て、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「僕は、ディアにもう一度会いたいんだ。最後に話をした時に、聞きそびれたディアの本音を、ちゃんと聞きたいと思うから」


 チーニは視線をさげて、ぼそぼそと言葉を続ける。


「こんな個人的な理由で仕事をしてたら怒られるかもしれないけど」


 最後に付け加えられた言葉が可笑しくてレナは思わず笑った。チーニは驚いたように勢いよく視線をあげて、レナの笑顔を見て、安堵のため息をもらす。


「私情で馬車を借りた時は何でもない顔してたのに、そこは弱気になるんですね」


 チーニは二度瞬きを繰り返して、笑う。レナはひとしきり笑ってから、小さく言葉を吐きだした。


「でも、良かったです。会いたくないのに探しているわけじゃなくて」


 チーニは緩やかに口角をあげたまま、視線を下げる。


「ディアが何を求めてこんなことをしているのか、今、どこで何を考えているのか。僕は、それをちゃんと知りたいんだ」


 チーニがディアについて語るときの顔が、レナにはとても優しく見えた。優しくて温かくて、幸せな空気を感じる。だからレナは笑って、チーニに言葉を返す。


「やっぱり仲良かったんじゃないですか」


 チーニはどこか困ったような顔で、レナの言葉を受け取った。


「仲が良かったっていう自信はないけど、例え僕がディアに殺されることになっても、ディアが僕を憎んでいても、出会わなければよかったって思うことは、たぶん、一生ない」


 チーニは言葉を吐きだしてから、照れくさそうに笑って、一歩、前に進む。


「さて、そろそろ移動しようか。次は、もう少し東側の集落に行ってみよう」


 レナは、二人が最悪な結末を迎えないように祈りながら、チーニの後を追った。

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