第24話 とある一夜
『大河くん……』
声が聞こえた。
聞き覚えのある少女の声だ。
桐山が振り返るとそこには、真っ暗で何も無い空間にぽつんと佇みこちらをじっと見据える、ひとりの少女の姿があった。
目を疑った。自分が遂におかしくなってしまったのだと思った。
少女は依然として優しい瞳をこちらに向けて微かに微笑んでいる。
「すず、はる…………鈴春ッ、何で、何でお前がここに……!」
桐山は酷く取り乱した。
無理もない話だ。彼女がここにいる筈などない、そんなことは決して有り得ないことなのだ。
『大河くん』
「鈴春……っ」
涙が滲み、少女の姿がぼやけて見える。
だが確かに今彼女は目の前にいて、懐かしい匂いがして、あの優しい声と眼差しで自分の名前を呼んでいる。
そしてまた、
『大河くん』
「鈴春っ……おれ」
『あなた、また人を殺したのね』
心臓を鷲掴みにされた。
酷く冷えきった声で、たったその一言だけで、桐山にとって最大の恐怖が呼び起こされた。
吹き出す汗が止まらない。
騒ぐ心臓の鼓動が止まらない。
しかし口だけは凍りついたように固まって動かず、喉が無くなったみたいに声が出ない。
何か、何か言わなければ。誤解を解くために。
「ち、ちがう……違う!俺は殺してなんか、俺は……俺はただ――!」
『ただ、何だよ』
背後から声が聞こて振り返ると、再び目を疑う光景がそこにあった。
「あ、雨宮……」
そこには死んだはずの少年が虚ろな目をして立っていた。
『桐山、何で置いて行ったんだよ。仲間なんじゃなかったのかよ。友達じゃなかったのかよ。何で…………俺を見捨てたァァァ!!』
少年は憎悪に満ちた声で叫び、嫌悪に溢れた目でこちらを睨みつけている。
その目に気圧され、桐山は後ずさる。
「ち、違う……そうじゃねぇ……!俺はお前を、お前達をッ」
『違わねえだろ。裏切ったんだから』
違う、そうじゃない。裏切った訳では無い。あの時ベルザムが星野を人質に取ったから、だから助けに行けなかったのだ。仕方が無かったのだ。
説明しなければ。誤解を解かなければ。そうして桐山は口を開くが、
「――――ぁ」
言葉が出てこない。
何を言い訳したところで、仲間だった彼を見捨てたことに変わりはない。仲間だと言っていた、信じていた彼を裏切ったのは紛れもなく他の誰でもなく、桐山大河なのだから。
彼はどんな気持ちで死んで行ったのだろう。助けが来ると信じて、それでも最後の最後には見捨てられたのだと悟って、怒りと苦しみの中死んで行ったのだろうか。考えただけで猛烈な吐き気に襲われる。弁解の仕様がない。
耳の奥で誰かが叫んでいる。
『あんたのせいよ!あんたが殺したっ!!』
いつか聞き覚えのある、誰かの声が聞こえてくる。脳内の奥にこびりついている。
『お前が殺した、この人殺し!』
『人殺し!!』
『人殺しッ!!』
「やめてくれ……」
耳を塞いで蹲る桐山を追い詰める様に、二人の少年少女が見下ろしている。
そして聞きたくなかった、二人の暗く冷たい声だけが耳元で聞こえた。
『『この人殺し』』
「あ゙ぁあああああ――――!!」
布団を蹴飛ばし大声で飛び起きた。
「はぁっ、はぁっ」
肩で息をし滅茶苦茶に荒んだ呼吸を整える。心臓は暴れ回り、全身が汗でびしょ濡れで、まるで川で溺れていたかのようだ。
やがて呼吸が整ってきた。
隣から雨音が聞こえている。
横を向くと窓の外で夜雨が絶え間なく降り続いていて、水滴が幾つも付いた暗い窓ガラスに、酷い面をした自分が映り込んでいた。
徐に視線を落とすと両の手がぶるぶると震えていて、
「くそっ」
小さく吐き捨てるように桐山は呟いた。
雨は嫌いだ。
*
夕方頃から降り始めた雨は次第に強まり、すっかり辺りが暗くなってしまった今でも地面を濡らし続けていた。
夜空は淀んだ黒雲に覆われていて、時折雷が音も無しに小さく光っている。
そんな中、止むことのない雨音を切り裂くように、鋭い風切り音が一定の間隔でなり続けていた。
「――っ、――っ」
鋼の剣を真っ直ぐに振り下ろして空を斬る。再び振り上げては、同じルートをまた斬り裂く。素振りと呼ばれる鍛錬法のひとつである。
かれこれ二時間になるだろうか。一神光汰は訓練場の隅で、雨に打たれながらずっとこれを繰り返していた。
言うまでもなく全身はずぶ濡れで、日本人にしては色素の抜けた茶金の髪が顔に張り付いている。
ただそんなことお構い無しに、一心不乱に一神は剣を振り続けていた。
『ありがとう、光汰』
いつだったか、彼は笑顔で礼を言った。
その時の表情を覚えている。忘れるはずなどなかった。
「――っ、――っ」
剣は雨を斬り続ける。
『俺は光汰と仲良くなりたいと思ってるけど……』
少し照れくさそうに彼は言っていた。
その言葉に自分はなんと答えたのだったろうか。
「――ッ、――ッ」
剣を握る手に力が入る。
このままではダメだ。
邪念を払うために、より一層力強く剣を振った。
「――ッ、――ッ、――はッ」
息が上がって、吐く息に声が混じる。
何て言った。自分は彼に何て言った。
『心配するなよ、ユウは僕が絶対に守るから。だって僕達は――』
「クソォ――ッ!!」
力任せに叩き付けられた剣が地面を斬り裂いて突き刺さる。
「はぁっ……はぁっ……」
肩で息をして、剣を握る手を見つめていた。
その時、背後から気配を感じて振り返る。
「っ、愛風……」
黒い傘を差した星野愛風が、どこか哀しそうな瞳でこちらを見つめていた。近頃では見慣れた表情だ。
「光汰、少し休んだら?」
「……もう少しだけ」
「でも」
「強く……ッ!強くなりたいんだ……」
力強い声で星野の言葉を遮ったことで、星野の身体がビクッと揺れる。
何を言われるかなんて分かっている。自分がヤケになっているのも自覚している。それでも立ち止まりたくはなかった。それだけは。
それでも星野の瞳は変わらず曇っていて、何か言いたげな表情をしている。
申し訳ない、とそう思った。
彼女が自分のことを気にかけて心配してくれていることは分かっているのに、彼女だって辛いのは同じだと分かっているのに、自分はいま生意気にもその優しさを突っぱねようとしている。
それでも、
「僕は彼に、ユウに、守るって言ったんだ。そう約束したんだ」
「光汰……」
「ユウは友達で、仲間で、だから……僕が守るのは当たり前なんだ。当たり前だったんだ……」
守るはずだった。
約束した言葉に嘘は無かった。
友はこの危険な世界であまりにも弱く、彼の助けとなる剣が、彼を守る盾が必要だった。そしてその役目を果たすのは自分であると勝手に思っていた。
高慢だと思うだろうか。しかし一神は勇者だ。実力も才能もある。彼以外の一体誰にその役目が務まるだろう。
しかし現実は、
「守れなかった。あの場にいて、なんにも出来なかった……僕がもっと強ければ」
「ち、違うよ!光汰のせいじゃない!だってあれは私が……」
星野は俯く。まるで自分のせいだとでも言いたげだ。きっと人質に取られた自分に責任があると思い詰めているのだろう。しかし一神にはそれが間違いであると明確に断言できた。
「愛風は悪くない。あの時人質に取られたのが僕だったとしても、同じ結果になっていたはずだ。当然桐山や千代、アリスも同じだよ」
「…………」
「かと言って、ベルザムさんが悪い訳でもない。あの人の言っていたことは正しかった。僕らじゃあの魔物には到底適わなかったはずだから……」
「じゃあ……」
じゃあ、一体誰が悪いのか。
その答えは誰にも分からない。しかしひとつだけ分かることが一神にはあった。
「僕らには力が無かった。あの魔物を倒せるだけの、友達を守れるだけの力が……だから」
だから、力がいる。どんな敵が来ても蹴散らして、大切な人達を守れるだけの力が。
「だから僕は強くならなきゃいけない。もう二度と……誰も失わないために……」
鋭い金属音を立てながら地に刺さる剣を勢いよく引く抜くと、柄を握る手に力を込めた。
「分かった……無理はしないでね」
そう言うと星野は静かに踵を返す。そんな彼女を背に、再び空気を裂く音が辺りに響いた。
また雲と雲の合間で、雷が音を立てず光る。
悪天はまだ続きそうだった。
*
部屋の扉をノックする音がした。それに気づいたアリスは扉の方へちらりと視線を移すと一息置いて、
「どうぞ……」
「失礼致します」
部屋に入ってきた男は室内だと言うのに腰に一本の長剣を差していて、筋肉質な身体を隠すように白く大きなマントを羽織っていた。
彼がこの部屋に入るのは初めてのことではない。むしろこれまで何度も足を運んだ部屋であるはずだ。だと言うのに、彼の表情はどこか強ばっていて少しばかりの緊張が伺えた。
「ベルザム、どうだった……?」
無機質にも聞こえる声でアリスは問いかけた。わざとそうした訳では無く、自然とそうなったと言った方が正しい。それは一国の王女として、世界を救う一人の聖女として、荒れた感情を押し殺した結果でもあったのだが。
「やはり、アマミヤ・ユウの姿は発見できませんでした。例の魔物の消息も不明です」
「そう……下がっていいわ」
今回も、雨宮優を見つけ出すことは叶わなかった。
あの事件が起こった翌日、雨宮優を捜索するための部隊が編成され『アルデラの森』にて捜索活動が行われた。金獅子の魔物が出没することも想定されたため、部隊は第一、第四、第五騎士団を統合した即席の大部隊が出動することとなった。
しかし結果は雨宮優どころか金獅子の魔物にすら遭遇することはなく終幕。代わりに見つかったモノは、大量の血痕。そして切断された人間の手足であった。しかもその手足には雨宮優の着用していた衣服もついている。これ以上の無い決定的な証拠だった。
雨宮優が死んだという事実は電撃的に城内に広まり、そして同時に、彼の捜索はその日を持って打ち切りとなった。
しかしアリスだけは諦めなかった。何度も父である国王バハマドの前に赴き、捜索続行の抗議を行った。しかし結果は同じ。いくら娘の申し出であろうとも、死亡がほぼ確定している人間の捜索に貴重な兵を貸すことは出来ないらしい。
やけになったアリスは自ら優の捜索に向かおうとするのだから、見かねたベルザムが個人で捜索を行っていたという訳だった。
「それでは私はこれで……」
「まって」
報告を終え、その場を去ろうとするベルザムをアリスは引き止める。
「何でしょう……」
「皆さんの様子は……どう?」
皆さん、とはもちろん一神たちのことである。優がいなくなってから殆ど会っていない。せめて様子だけでも知りたいと思ったのだ。
「……一神は、彼は焦っています。しかし決して勇者としての責任を忘れているわけではありません。他の者も落ち込んではいますが大丈夫です。ただ……」
「ただ……?」
「成村に関しては、正直分かりません。もしかすると、もう戦士として戦うことは難しいかも知れません……」
成村はあれ以来ずっと自室に篭っていた。星野がたまに彼女の部屋に入っては何やら話をしてすぐに出て行くを繰り返している。星野が言うには食事は取っているし問題ないとのことらしいが、流石に成村が勇者パーティーを抜けるとなっては世界にとっても大損害である。国王も冷や汗をかきながら「慎重に対応しろ」と部下達に言いつけてあるようだ。
「そう……」
「では、これにて」
ベルザムは部屋の扉をガチャりと開ける。そんな彼の背中を見たアリスは、
「ベルザム……」
再び彼を呼び止めた。
「ごめんなさい、あなたは悪くないわ。でもお願い……もう少しだけ、あなたのことを恨ませて……」
瞳を涙で滲ませて、微かに震えた声でそう言った。ベルザムは表情一つ変えず、軽く頷くと扉をゆっくりと閉めた。
自分以外の誰もいなくなった部屋で、彼女はそっと涙を拭った。
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