やまないあめ

朱い糸が見える様になってから、

何人かの人たちの朱い流動を感じてきた。

自分とは違う心情の変動を感じ、

時に慰め、時にはいさめてきた。


感情とは本当に天気の様な物。

人間という大地が育つ為には、

陽の光や暖かい風ばかりでは駄目なのだ。

私は雨が嫌いだ。

いや……


楽しみにしてる事は大体雨でながれる。

運動会、遠足、家族旅行、花見、海水浴。

私は晴れ女なので、行事ごとは大体は晴れるけれど、雨だとわかった時は、てるてる坊主を作ってそれで、雨に降られて八つ当たり……。



けれども時には冷たい雨に打たれないと、

生命は強くならない。


大根やほうれん草は寒い冬を乗り越えると

甘味が増すらしい。


日向で……優しさと喜びの中のみで育った人間はイレギュラーな事柄を受け入れられない。

打たれ弱いのだ。



やまないあめはない。

いつかはきっと太陽の下で笑える時がくる。

やまないあめはない。

けれど雨もきっと悪い事ばかりじゃない。

暖かい雨は生命の息吹を助け、

春には色とりどりの花を咲かせる。

きっと人の心に花を咲かす為にも、

優しい雨が必要なのだと思う。



弥都波能売神みつはのめかみ様の話を聞いて私の心は優しい雨に潤されるように、

満たされた気分になった。




ところで、私は静子さんが先生に教えなかった最後の秘密を察している。

 


私はあの日……。

金魚の餡の入った可愛い羊羹を食べた日の事だ。ミツハノメカミ様に出会う前に私は見てしまったのだ……。



羊羹を食べて待つのに飽きてしまった私は、社務所をでて山手へ歩いて行った。

そこで父を見つけた。

声をかけようとしたが横にきれいな髪の長い巫女さんが居たのでやめた。

真剣な表情で何かを話したあと、

父はその巫女さんを強く抱きよせたのだ。



先生が持ってきた静子さんのノートに何枚かの写真が挟まっていた。

そこには若い時の先生と静子さんの一緒にうつっている物があった。



もちろん記憶は曖昧だが、父が抱きよせた女性はおそらく静子さんだった。



私は母と血が繋がっていない。

それは母から聞かされていた。

いずれはわかる事だから……。

と中学生になる時に母から聞かされていた。

けれど母はそんな私を実の娘のようにちゃんと扱って育ててくれた。





母は出版社の文芸部で働いていて、

父の担当だった。

物心つく頃にはずっと家にいて

(普通の家族なら当たり前か……)

仕事がら家にいない事が多かったが、

何度か一緒に食卓を囲んで3人でご飯を食べた。その時は父も母も楽しそうに話して、

私も幸せだった。

そして父はまた居なくなったのだ。



結局父は自由奔放というか……。

いい加減というか……。

一つの場所に定着しない根無草のような人なのだ。


それでいてロマンチストだからタチが悪い。



夢をみたいひとほどそのロマンチストの船に同乗してしまうものなのだろう……。



どんな事情があって、何故父が私を引き取り育てて、母と結婚したかそれは知らない。




けれどおそらく静子さんは私のだ。




わたしは母や静子さんの妹さんに話を聞く事はできても、とうの本人たちである、

父が失踪し

静子さんがこの世を去ってしまった今、

その心情を含めた真相は確かめようがない。



先生には言えない。

いや言わない方が良い。

それが静子お母さんが選んだことだから。



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