(30)諦めない
「無茶だ。取り込まれるぞ」
「無茶は承知。少しでも可能性があるなら、それに賭けたい。今なら入れるんじゃない?」
かつて睡狐が、根源の中心部に到達したように。肉体を持たない今の私なら、情報生命体と同じことができるんじゃないか?
私の問いかけに、レンは押し黙る。非合理的意見に悩んでいる。
「……根源が降りた今、当初の計画は破綻している」
やがて彼は、重い口を開いた。
「ここに居る人達が束になって戦った所で敵わない。棋力を搾取され、あゆむ君のようになるだけだ。
正直お手上げ、と言いたい所だけど。君の言う通り、根源から棋力を奪い返せれば、勝機はゼロじゃないな」
何が起こるかわからない、取り込まれる危険性さえある。それでも。そこにあゆむを救う手立てがあるのなら、私は迷わない。
「僕だって同じだ。姉さんの仇を討てないのなら、生きる意味は無い。わかった。賭けてみよう、君に」
「ありがと。それじゃ──」
背後から物音が聞こえたのは、その時だった。
とっさに振り返ると。仰向けに寝転がった修司さんの姿が目に入った。その傍らには香織さんが。修司さんの体を揺さぶり、何かを叫んでいる。涙と鼻水でグシャグシャになった顔で、彼女は「しゅーくん」と懸命に名前を呼び続けている。
だけど、修司さんが意識を取り戻すことは無い。あゆむと、同じだ。
「レン。もっかいプラン変更」
「やれやれ。今度は何だい?」
「香織さんの、バックアップを頼む」
香織さんと修司さん、二人そろってなら浄禊を食い止められると信じていたけど。香織さん独りじゃ無理だ。あの夫婦は一緒でなきゃ、真の力を発揮できない。
ごめんね、香織さん。一緒に戦ってあげられなくて。
「まさか。一人で行くのか?」
「一人じゃないよ」
『ああ』
私には華燐が付いてる。大丈夫だ、私達ならきっとできる。
「大船に乗ったつもりで待っててよ。時間は取らせない。すぐにあゆむ達の棋力を取り返してみせるから──だからそれまで、香織さんを守ってあげて」
「泥舟じゃないことを祈るよ」
軽口を叩いた、レンの気配が遠のいた。香織さんの方に行ったのだと察する。何だかんだ言って引き受けてくれたね。ありがとう。
これで、心置きなく根源をぶちのめせる。
『……ぶちのめせる物なのか?』
「知らんけど」
やるしかない。根源に突入する。全神経を集中させろ。あゆむの『棋』を辿れ。
私に知覚できるのは、弟の気配だけだ。得体の知れないモノの居場所なんて感知できない。だから追いかける、奪われたあゆむの棋気の流れを。渦を巻きながら、ものすごい速さで中心に向かって移動している。そうだ、中心。そこに根源が在るに違いない。意識を、情報を飛ばせ──。
「おっと、そうはさせん」
流れが阻まれる。黒い影が一つ、目前に静かに舞い降りた。明確な敵意を向けられ、やむなく足を止める。本当は無視して通り過ぎたかったけど。
──すれ違い様にズタズタに切り裂かれる予感がして、止まらざるを得なかった。
「……誰?」
「姓は無明、名は羅刹」
低い男の声が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ようやくアレを降ろせたのだ。邪魔される訳にはいかん」
むみょうらせつ。聞いたことの無い名前だが、全身が総毛立つのを覚えた。これは、私じゃない。私の中の、華燐が震えている。彼女の記憶が、危険を告げている。この存在と戦っては駄目だ、今すぐ逃げろ、と。
「貴様に恨みは無いが……斬る」
最初はモヤのように輪郭が曖昧だったものが、徐々に形作られていく。異様に痩せ細った体、枯木のように節くれ立った手足。華燐の記憶を糧として、ソレのカタチ(情報)が構成されていく。
名前と華燐の怯え具合から、屈強な大男を連想していたが。これなら、鬼の豪腕でぶちのめせそうじゃないか。
『駄目だ、燐。奴だけはまずい。引き返して作戦を練り直そう』
「や、そんな悠長にやってる暇無いって。香織さん独りじゃ長くはもたない。ここは私達で突破しなきゃ」
男の何が怖いのかわからない。確かに見た目は普通じゃないけど、こっちには天下の火輪皇鬼様が居るんだ。負けるとは思えない。
過去に何があったか知らないけど、現在の私達二人なら勝てる。どのみちやるしか無いんだし。および腰になる華燐にハッパをかけ、男をにらみ付ける。ぽっと出の新キャラ風情に負けてたまるかっての。
「貴方の相手をしている時間も惜しい。退いてくれないなら、遠慮無くギタギタにぶちのめさせてもらうよ」
「……同感だ」
ボロ雑巾のような着物がなびく、風も無いのに。ぎらりと輝く鋭い視線に射抜かれる。
同感とは、何に対してのものか。
「貴様は儂を知らぬ。だが儂は貴様を良く識っている。全てを観て来た」
「何……?」
「鬼の娘よ。貴様は敗北するのだ。我が刃の錆となり、絶望の内に朽ち果てよ」
『燐。無明羅刹とは奴の"生前"の名だ。今のそいつは──』
瞬間、脳裏をよぎったのは。四肢を切断され、臓腑を撒き散らし、脳髄をぶちまけられた、自分自身の哀れな姿だった。
理性が悲鳴を上げている。本能のままに、尻尾を巻いて逃げろと。
ああそうか。こいつは。やっと理解できた。この男の正体。
「ヨソマガツヒ」
知らずつぶやきが漏れる。かすれた声だった。私はそれについて、ほとんど何も知らない。竜ヶ崎が所有する、古より伝わる呪われた棋書。その原典がこんな男だったなんて……知っているはずが無い。
なのに、私は怖れている。死の想像が頭から離れない。勝てないと、瞬時に悟ってしまった。
こんな痩せっぽっちのおっさんに、鬼である私が、負ける? 自分自身が信じられなくなって、私は何度もかぶりを振った。臆するな、勝負する前から気持ちで負けてどうする。何のために今ここに居るか思い出せ。
私は。そうだ私は。
「左様。儂は四十禍津日の原典にして、あれを創造せし存在なり」
「貴方が誰かなんて関係無い。そこを退いてもらう」
四十禍津日は創作品だ。である以上、作者が居たことはわかっていた。目の前に存在する男がそうで、とっくの昔に死んでいることも。その棋力が、想像を絶するものであることも。
だからといって、屈する訳にはいかない。私がやらないでどうする。
あゆむを助けられるのは私だけなんだ。たとえ刺し違えてでもこの男を倒し、根源へと至ってみせる。絶対に退かない。
恐れよ。今なお全身に走る悪寒よ。死のイメージよ。それら全てを闘志に変えろ。死ぬから何だ? 一回死ぬくらいで勝てるなら儲けものじゃないか。羅刹に、四十禍津日に、勝てるのなら……!
「ほう。儂の正体を知ってなお挑んで来るか。なんと勇敢、なんと愚かな。
良かろう。かかって来るがいい」
言うや否や、羅刹は剣を振るうように右手を旋回させる。刹那。一陣の突風が吹き、私と彼の間に何かが出現した。透明な──将棋盤?
大盤解説に使うような大きな将棋盤が、空中に浮かんでいた。
私には表の面が見えている。通常は見えない裏面を羅刹の方へと向けて、盤は静かに佇む。半透明の駒達は両陣営共に整然と並び、戦いの時を今か今かと待っていた。
これで勝負しろ、ということか。
「脳内将棋盤を具現化した。思い浮かべるだけで駒を動かせる。肉体の無い我らでも、死合できよう」
さあ、存分に殺し合おう。
男は嗤(わら)う。可笑しくて、ではなく。自分に挑んで来る者を将棋で『殺せる』悦びに、知らず口角が上がってしまった。そんな感じの、狂喜に引き攣(つ)った笑顔だった。
『燐。本当に戦うのか? 四十禍津日と』
「華燐、心配してくれてありがとう。戦うよ。後悔を、残したくないから」
棋力を開放する。初手から全力で飛ばす。相手が誰であろうと、やることに変わりは無い。私は私の将棋を指すだけだ。
『……わかった。ならば私は、全身全霊をもってお前を支えよう』
「ん。サンキュ」
私には心強い味方が居る。ここで一緒に戦ってくれる華燐に、本殿で頑張ってくれている香織さんに。
それに、あゆむ、修司さん、ついでに雫も。棋力を奪われ、今は意識を失っているけど。彼らが踏ん張ってくれたからこそ、まだ地球人は絶滅せずに居られている。
そして大森師匠。穏やかな笑顔に隠された真意は未だに不明だけど、私の棋力を底上げしてくれたことは善意と信じたい。そういう意味じゃ、レンも。私が今、全身を切り刻まれる恐怖に打ち勝って居られるのは、彼らが鍛えてくれたおかげだ。
みんなのおかげで現在がある。誰一人欠けてもここには来られなかった。
ありがとう、みんな。みんなのためにも、もう一踏ん張り頑張るよ。鬼籠野燐、一世一代の大勝負だ。
だから。大船に乗ったつもりで見守っていてね。
「ねえ、全知全能の棋書さん。私の棋力がいくつかわかる?」
「ふむ。低く見積もって四、五段といった所か」
「残念、不正解! 正解は──」
測定不能。
その単語には、無限の可能性が秘められている。
たとえ破滅と絶望の未来が待ち受けていたとしても。
私は、諦めない。
第十二章・完
第十三章に、続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます