第21話 星と雪

「鏡がね、私を唆すんだよ。部室に来ればワクワクドキドキの面白いことがあるって。霜門先輩の言いつけがあってもさ、いくら尊敬する先輩でもさ、そんなの言われたら来ちゃうよね」

 美竹は早口で弁解した。正直者のポーカーフェイスが見せる恥じらいは意外性があって新鮮だった。美竹は多分異性だけじゃなく同性にもモテる気がする。身長も女子にしては高くて読モみたいだし、化粧っ気がないのが反って素材の光る物を感じさせる。そんな秘めたるポテンシャルを美竹のまくし立てるような弁解のなかに見いだした。お節介だけどさ。

 美竹が部室に入ろうとする。と、袖の部分が引っ張られた。誰かがいるのは明白だけど、なんのことはない。後ろの人物は見なくても分かった。某さんは美竹の袖の部分を握って、顔の三分の一を出してこっちを窺っている。無意識でやっているのだろうがあざとい。あざとすぎる。きっと彼女の無邪気さはこれまで数多くの男子の平常心を殺傷してきたのだろう。あるいは計算ずくだったとしたら。それはそれで身震いしてしまう。

 美竹はじれったく思ったのか、手首を掴んで背後の人物を露わにする。

「わ! ダメ」

「この通り、姫ちゃんもうずうずしちゃって、ね」

 両肩に手を乗せると、姫乃樹は小さくビクッと。

「言わないって約束したじゃないですか。それに星來ちゃんの方が、ぜーったいに興味津々って顔してました!」

「姫ちゃん、また敬語になってる」

「違いま……違うもん」

 二割増しのぷく顔で怒る姫乃樹に美竹は優しいため息。

 美竹は俺たちに向かって、やれやれといった感じで。

「姫ちゃん、敬語やめてっていったのになかなか治らないんだ」

 でも、それが姫乃樹のいいところ。とでも言いたげな表情で、美竹は姫乃樹の頭をポンポンする。

「子供扱いしないでください! 何度でも言いますけど、みぞれはコーコーセーなんです。月璃ちゃんも星來ちゃんも、二人してヒドいです」

 と、言葉ではいうものの撫でられている表情はまんざらでもない様子で、要するに二人はわちゃわちゃと楽しそうだった。神楽と姫乃樹が親と子の関係ならば、この二人の方はまるで姉妹のよう。部室に来ない間にだいぶ距離が縮まったみたいだ。その仲睦まじい光景を眺めていると、

「みぞれ、星來!!」

 突然、叫んだのは神楽だった。何事かと思った。ずっと黙っていた神楽はほとんどジャンプする勢いで二人の元へ。

「わわわ。月璃ちゃんどうしたの?」

「月璃、いきなり……。ちょ、ちょっと痛いよ」

 右手と左手で等分に抱きつく。

「助けに来てくれたんだね。ありがとう」

 神楽は何度もお礼をいった。最初は感謝だけだと思った。感情の窓を開け放した神楽を微笑ましく見ていた。でも神楽は次第に声が声にならなくなって、美竹の左腕と姫乃樹の右肩の暖かい空間に顔を埋めて動かなくなる。

「月璃ちゃん……」

「ごめん、みぞれ、星來。もう少しだけこのままでいさせて。今、アタシひどい顔してる」

 きっと神楽は怖かったのだと思う。一人で先輩に逆らって申請書を完成させることがプレッシャーになっていたのだ。

 美竹は神楽の頭を撫でる。髪を梳くように優しく。余計な言葉はなくただ黙って撫でている。美竹の思いやりを見た瞬間だった。俺は三人のなかに確かな結束を感じた。

 神楽の気持ちが落ち着いてから(メイクを直していた)、俺は美竹と姫乃樹に状況を説明した。現在悩まされている問題点と、申請の期限。美竹はまるで仕事に取り組むかのように事務的に聞いていたけれど、姫乃樹は終始おろおろとしていた。

「高階たちもとんでもないのを引き受けちゃったね」

 美竹が苦笑する。その間にも姫乃樹は目を平らにして「むぅ」とか「はぁ」とか言いながら鏡の作った資料と申請書に目を通している。

「みぞれ、大丈夫?」

 例によって神楽の過保護な心配が始まった。

「だ、大丈夫だよ月璃ちゃん。ただ、こんな方もいるんだなって、ちょっぴりびっくりしただけ。でももう大丈夫」

 大丈夫に見えない。そこに鏡。

「姫乃樹もすっかり慣れたわけだ」

 天井を仰ぎ見ながら、軽口を叩く。

「違います! きょ、興味があったんです」

「内容に?」

「もっと違います! みんなで文章を作るっていう行為に、です。わたしは文章上手じゃないですけど、友だち同士で仲良く作文するのって憧れがあって」

「あー……チームプレイ! でしょ」

 神楽が指をくるくる宙にやりながらいった。

「そう! そうなんです。チームプレイが出来るなら多少のことは我慢できます。たとえ――」

「たとえ?」

「ア、アダルトであっても!」

 とびきりの告白をした姫乃樹は、言い終えると萎れた花のように俯く。その表情は窺えないけれど、きっと真っ赤な花が咲いていたのは想像に難くない。

「じゃ、続きをやる? 私達が入ってきて中断しちゃったけど、時間もあまりないことだし」

 美竹が空気を破る。姫乃樹の「空気」を察して早く話題を転換しようとしていた。

「今、高階たちは何を考えているところ? そこには『保留』っていっぱい書いてあるけど」

「ああ。同好会の名称を考えなきゃって思ってたんだ。黒タイツ同好会じゃ非難されるのが目に見えているから、聞こえのいい名称がないか探してる。俺がパッと思いついたのは男女兼用伸縮性下腿部衣服同好会」

「長すぎー。こういうのはもっと短くしようよ」

 いったのは唇を突き出して不満な様子の神楽。いうは易く行うは難し、だ。そう思うなら神楽のネーミングセンスを試したいものだ。というか、このことわざで正しかったっけ。うろ覚えで使うもんじゃないな。

「あのぅ」

 そこで姫乃樹が手を挙げた。挙げたといっても胸の辺りまでで控えめな主張だったけれど。

「テキスタイル研究会というのはどうですか?」

「テキ――なんですか、それ?」

 俺が聞くと姫乃樹はリュックから辞書を取り出した。当たり前のようにマイ辞書が出てくることに驚いたけれど、もっと驚いたことはその辞書が紙だったことだ。電子辞書じゃ不充分なのか。それについて触れる間も与えず姫乃樹は薄く乾いた音を立ててページを捲っていく。

「これです!」

 かわいらしいキャラものの絆創膏のついた人差し指で指示されたところにはこう書いてあった。

 テキスタイル――(服飾用語で)織物。布地。

 俺は思わず鼻息で唸った。よくこんな言葉がストックされているもんだ。姫乃樹の隠れた才能に驚嘆を禁じ得ない。

「これなら黒タイツの扇情的な印象も抑えられるし、一般受けしそうだ。いいかもしれない……。姫乃樹さんすごいですね」

「えへへ」

「カタカナなら教師も騙せそうだしな」

「そういう考えは賛同できないよ。あくまでクリーンにいかないと」

 鏡がいうと、美竹が顔を顰める。

 鏡は申請書を通せれば後のことは知ったこっちゃないスタンス。美竹は道徳や倫理を重視するスタンス。どちらの内容も理解はできたけれど俺は鏡の側につこうと思った。高潔を貫くには時間が足りなさすぎる。そして、そもそも鏡を巻き込んだのも俺なのだから。

 そういうわけで、美竹の肩を持ちつつも、主張的には鏡を肯定しようと思った。このバランス感覚ときたら!

「美竹のいうようにクリーンにこしたことはないけど、俺は鏡に賛成だな。消極的賛成」

 しかし鏡はお気に召さないようで「けっ」と小さく吐き捨てる。全面肯定じゃなく部分肯定だと物足りないらしい。もしかして完璧主義者?

「ちぇっ。あんな手を使って、クリーンなんてよく言えるぜ」

「はて、なんのことか。記憶にないな」

 それで鏡が引っかかったところが分かった。クリーンという単語で、神楽のことを掘り返している。要するに、神楽を使って取り込んだくせに、と言いたいわけだ。しかし、それは解決済みだろうに。なおも鏡は絡んでくる。

「お前は政治家に向いてるな」

「褒めてもらって光栄だよ」

「二人とも懲りないね。仲直りしたんじゃなかったの?」

 神楽に咎められる。美竹と姫乃樹は事情が分からないからもちろんお互い疑問符。俺は再度鏡にお灸を据えようと、

「さあな。俺に心当たりはないから鏡自身の問題だろう。なあ、鏡。どうしたんだ? 神楽に答えてやれよ。お前の得意な論理とやらで」

「うっ……」

 鏡は解けない問題を指名されたような顔をしてしどろもどろ。これで決着はついた。後は本題の同好会名称について意見をまとめなければ。

「で、結局名称はどうするか? 多数決にするか」

「ううん。その必要はないよ。私も名称に関しては異存ない。さすが姫ちゃんって感じだしね。問題なのは申請の過程だけだから」

「じゃあ名称は決定だな」

「異議なし!」

 神楽がいった。

「鏡さん。あのぅ」

 姫乃樹は俺たちの醜い争いに加わらず、資料の文字を指でなぞりながら尋ねる。自分の案が採用されたというのにそれに舞い上がるのでなく、もう次に進んでいる。姫乃樹は集中しながらもかなり楽しんでいるようだった。

「な、なんだ姫乃樹」

「他の同好会はどんな活動をしてるんですか? 全ての部活は個性の伸長があったから承認されたんですよね。そこに鍵があるかもです」

「そうだな。実は俺も思っていたところだ。俺調べだと資料にあるように、数研は高校で扱わない数学の問題を解いたりパズルをする。クイズ研究会はクイズを研究する」

 そういうことではないだろう。調子を取り戻したはずの鏡の切れ味は悪かった。ひょっとしてまだ神楽のことがメンタルを引っ張っているのか。どれだけ読解力が低くても分かる。姫乃樹が聞きたかったのはどう個性の伸張に関連するか、だ。

「クイズ研究会はクイズなんて当たり前だろう。ついでにいうと、バスケ部はバスケをして、テニス部はテニスをする」

「そこ! アホ二人。喧嘩しない」

 神楽が机をバンッと叩く。

「なら黒タイツ研究会――じゃなくて、テキスタイル研究会はテキスタイルを研究すれば充分に設立理由や活動目的は申請が通るってことだね。ヘンな感じだけど」

 美竹がまとめ上げたけれど、やっぱりそれにも一言もの申したかった。

「緩いな。それじゃ私的すぎるという指摘を躱せない」

「どうして? 数研やクイズ研もそれで申請が通ってる」

「それは既存の同好会の話だろ。新設の設立理由や活動目的には適さない気がする。もしくは私的な同好会が増えすぎたから、個性の伸長なんて縛りを作ったことも考えられる」

「高階にしては、鋭い観点だ」

 どうやら鏡は素直に褒めるということができないらしい。これが鏡の性質なのだ。この先もずっと熱く長く忘れられない戦いになることを覚悟しておこう。

「そうなんだ。じゃあどうしたらいいだろう」

 美竹がいった。

「私的の逆。つまり公的な要素がないと難しい気がする。複数の誰かの未来をよくするとか、地域の貢献とか。卒業生に繊維企業に就職した人はいないか? うまくいけば動機に援用できるかもしれない。キャリアセンターを当たってみるか」

「あるいは環境問題を持ち出す。僕たちの制服に使われている合成繊維と石油は切っても切れない関係だ。問題をすり替えて環境問題に関心があると装えばいい」

「奇遇だな。今回ばかりは意見が一致した」

「そのようだ」

 悪巧みのように話していると、

「まーた、そういうこという。嘘はよくないって」

 美竹が呆れた口調でいった。

「野沢が環境問題に感心がないってどうして言い切れるんだ? 1%でも感心があれば条件は満たす。嘘はついていない」

「そこは家族で充分でしょ。実家が繊維会社であることを前面に押し出す。それが本当の理由なんだから」

 美竹はシンプルに反論したものの、「ただ」と続ける。

「活動目的にどうしても黒タイツが出てきちゃうのは障壁だね。どう言い換えても厳しい。黒タイツを通して生活の質が――違うね」

「黒タイツを通して将来の日本を見据える。あり得ないな」

 鏡が眼鏡を外して、額を揉む。

「黒タイツを通して社会に貢献する。漠然としすぎか」

 俺も自分でいって自分で取り下げる。

「うーん。黒タイツを通して大切な家族の救済に……。全然、ダメっぽい。てか、もうなんで黒タイツなのよ! 黒タイツの語感が強すぎて、どうやっても違和感だらけよ」

 神楽が机に突っ伏す。

 恐らく地球上でもっともタイツという言葉が飛び交っているのはこの部室なのだろうけれど、大抵の人にとっては一二を争うどうでもよさだ。

 そのとき。

「学生服を通して、普段主役になれない繊維という影のスターにスポットライトを当てることをミッションとする。なーんて……どうでしょう」

 天啓が舞い降りたかと思ったら、それは姫乃樹の言葉だった。俺はまたしても姫乃樹の語彙力に驚いた。

「さっきから語彙がすごいですね。俺ずっとびっくりしてます」

「えへへ。語彙だけが取り柄なので」

 と、姫乃樹は謙虚にいった。

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