学校童のカシマさん

一初ゆずこ

『旧校舎三階の一年一組には、幽霊がんでいる。幽霊に気に入られると黄泉よみの国へ連れていかれるという噂があり、中学生達が肝試しを行った。

 一年一組に到着し、さあ帰ろうと誰かが言った時だった。一緒にいたはずの**ちゃんが見当たらない。全員で探したが、**ちゃんは行方不明となった。

 その後、旧校舎では女の子のすすり泣きが聞こえるという。


『N中学校一年一組 学級新聞九月号』より抜粋』


     *


 山間やまあいにある木造三階建ての旧校舎は、元々は小学校として児童で賑わっていたらしい。真昼に見ればただの廃屋だが、夕暮れには様相を一変させる。暗い空には青紫色に濁った雲が山の稜線に沿って棚引き、真夏のぬるい風は木々の梢をざわめかせた。

 肝試しには打ってつけの場所だろう。旧校舎を見上げた千秋ちあきは、眼鏡のブリッジを指で押し上げて溜息をついた。Tシャツとカーゴパンツから露出した肌には蚊が寄り付き、先程から追い払うのに忙しい。

「全員揃ったな。清原と河合がルールの確認をするからな」

 担任の勝俣かつまた先生が、溌溂と声を張った。旧校舎前のグラウンドに私服姿で集まった一年一組の面々は、各々が久しぶりに会う友人と談笑していたが、学級委員の男女が前に出ると、授業の時とは打って変わって、拝聴の姿勢に入った。

「まずは男女別にくじを引いて、同じ番号同士でペアを組んでもらいます。順路は、河合さんが配布したスタンプカードの地図を見て下さい」

「保健室、理科室、それから私達と同じ「一年一組」に用意したスタンプを全て集めて帰ってきたら、先生からジュースを受け取って下さい。ただし、必ず二人で戻ること。一人で帰ってきたり、スタンプが足りない場合は失格です」

「失格でもジュースはやるからなー。怖かったら無理すんなよ」

 豪快に笑った勝俣先生が、足元のクーラーボックスを腕で示した。氷水に浮かぶ缶ジュースは、縁日のヨーヨー風船みたいに涼しげだ。あちこちで歓声が上がり、「男子は僕、女子は河合さんの所に並んで下さい」と清原が指示を出した。全員が移動を始めたので、千秋も男子の列に並んだ。

 男子も女子も、ぴったり九人ずつ並んでいる。くじ係を含めれば十人ずつ。一年一組の全員が、夏休みに揃ったことになる。千秋が段ボール箱から引いたくじには、「十番」と書かれていた。

「お、千秋は最後か」

 短く刈った黒髪の頭が、千秋のくじを覗き込んだ。恰幅の良い身体に押されかけた千秋は、「康太こうた」とげんなり声を掛ける。

「俺は九番。見ろよ。英美理えみりとペアだぜ」

 康太は左腕を千秋の肩にどっかりと回すと、右手の親指で斜め後ろを示した。そこにはタンクトップとスカート姿の英美理がいて、唇を不機嫌そうに歪めている。ペアへの不満がありありと窺えて、千秋は康太が不憫になった。

「英美理は相変わらず感じ悪いな」

「俺達の中学一の美少女に、そんな言い方すんなよ」

「美少女であることは、性格の悪さの免罪符にはならないから」

 適当に相槌を打ちながら、千秋は女子生徒達に目を向けた。夜の学校に浮かれる生徒達は、それぞれのペアを見つけている。まだペアと合流していないのは、千秋だけだ。

「おい、十番の女子は?」

 千秋のぞんざいな問いかけは、「では、一番のペアから!」という清原の声に掻き消された。一組目の二人が、おっかなびっくり歩き始める。男子の誰かが口笛を吹き、闇色の窓が並んだ旧校舎へ、二人の背中が消えていく。康太が、愉快そうに声を潜めた。

「この旧校舎って、本当に〝出る〟んだよな。『旧校舎の幽霊に気に入られると、黄泉の国へ連れていかれる』んだろ?」

「くだらないな」

 千秋は、馬鹿馬鹿しさから一蹴した。肝試しというイベントなんて、恋愛にのぼせた中学生が、クラスメイトを呼び出す口実にしか思えなかった。小学生からの悪友である康太も例外ではなく、今日のくじ引きに命をかけていたという。

「でもさ、肝試しに行った女子が行方不明になったって話もあるぜ。スタンプカードの裏にも書いてるだろ? 勝俣先生と委員長達、張り切ってるよなあ。何年も前の学級新聞まで調べるなんてさ」

「作り話だろ。失踪した女子の名前だって、わざとらしくぼかしてあるし。それより、俺のペアは?」

知佳ちかじゃねえ? いねえの、あいつだけだし」

 康太が陽気に答えた時、千秋は鈍い頭痛を覚えた。眩暈を感じてから、緩やかに納得する。知佳か。千秋のペアは。――よりにもよって。

「あいつ、昔からどんくさいからな。集合場所を間違えたりしてるんだろ」

 そう吐き捨てた瞬間、「遅れてごめんなさい」と背後から声が聞こえた。振り返ると、肩に届かない長さの黒髪の女子生徒が一人、息を弾ませて立っていた。

 ワンピースの胸元で握られた手には、十番のくじ。千秋は嘆息した。

「遅い」

「千秋、謝ってるんだから許してやれよ。……あ、九番が呼ばれた! 後でな!」

 康太は慌てた様子で言い残すと、まだ不機嫌そうな顔の英美理とともに、委員長達に見送られて歩いていった。

「ご、ごめんね……」

 睫毛を伏せて謝る知佳は、苛立たしいほど怯えている。

 知佳という少女はいつもそうだ。小学生の頃から極端な恥ずかしがり屋で存在感が薄く、教室に居ても居なくても気づかれない。ぼんやりしていて周囲と足並みも揃わないので、今日のようにやきもきさせられることも多い。

 無言で不満を殺していると、「最後のペア、どうぞ」と呼ばれた。勝俣先生から懐中電灯を受け取った千秋は、知佳を伴って旧校舎に向かった。二宮金次郎にのみやきんじろう像の前を通り過ぎて扉に触れると、思いがけず冷たくて吃驚びっくりした。

 きっと、委員長達の演出だろう。小細工に怯えるのは癪なので、千秋は扉を強く押し開けた。


     *


 旧校舎一階には、青い闇がわだかまっていた。開けた扉の形に外光がすうと伸びていて、千秋の影を床のスクリーンに映している。数歩前へ進んだところで、背後の扉が急に閉まった。

「!」

 驚いた弾みで、懐中電灯を落としてしまった。凛、と涼やかな鈴の音が聞こえた直後、身が切れるような静寂と闇が辺りを支配し、前方で一列に並んだ廊下の窓だけが、月影つきかげ色に浮かび上がる。

 手探りで懐中電灯を拾いながら、千秋は気まずさをこらえて「知佳」と呼んだ。皆が呼んできた名前のはずなのに、呼び慣れなくてそわそわした。

「千秋くん」

 心細そうな声が、すぐ傍から聞こえた。懐中電灯を点けると、知佳は少し離れた所にいた。姿が数秒見えなかっただけなのに、思いのほか安堵した。

 扉を閉めたのは、委員長達の仕業だろうか。開けようとすると、がちりと冷たい施錠の音が虚空に響き、退路が絶たれたことを知らされた。雰囲気作りにしてはやり過ぎだと抗議したいが、今は他にも気になることがある。

「まだ、誰も帰って来ないのか……?」

 順路はシンプルなのに、何を手間取っているのだろう。不審に思ったが、ともかく早く脱出するに限る。地図によれば最初の保健室は目と鼻の先なので、千秋は歩きかけてから立ち止まり、顔色の悪い知佳に手を差し出した。

「ほら。今みたいに離れられたら、迷惑だから」

「あ……ありがとう」

 そろりと握られた手の平は、先程の扉と同じくらいに冷たかった。

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