Round 0 (2/3)
***
「お茶でも出しましょうか?」
「じゃあお願い」
少年の部屋は意外と片付いていた。少年は、無防備に私に背中を向けて冷蔵庫をあさっている。
私が何かするとは毛ほども思っていないのだろう。
「で、話っていうのは?正直全く思い当たる節がないんですけど」
こちらに背を向けたままコップにお茶を注ぎながら、少年は言う。
「まあそうでしょうね。私だって昨日まではこうなるとは思ってなかったわ」
「ん?」
少し怪訝そうな顔をしながらも、両手にお茶の入ったコップを持った少年が戻ってくる。
少年が注いでくれたお茶を一口飲んでから、パーカーの内側に手を入れる。
お茶はちゃんと冷えていて、おいしかった。
「で、用っていうのはね」
そして、ホルスターから拳銃を抜き、親指で安全装置を外してから、ちゃぶ台ごしに、ちょうど座ったばかりの少年の眉間に銃口を向けた。
「ごめんなさいね。こういうことなの」
私は、この不愉快な仕事へのせめてもの抵抗として、不意打ちはせずに誠意をもって彼を殺すことを選んだ。
そして、これから殺す予定の少年に、壊す予定の私の「表」の一欠片に、私の「裏」を少しばかり見せることにした。
***
不思議と、銃口がこちらを向いても、そこまで慌てはしなかった。驚きはしたが。
彼女が普通の暮らしをしてはいなさそうなことに、うすうす気づいていたからだろうか。
「意外と落ち着いてるわね。こう、もっと逃げたり騒いだり、取り乱すかなー、と思ってたんだけど」
表情を変えず、こちらに銃口を向けたまま、少女は言う。
「なんだろう、君が普通の人間じゃなさそうだな、とは思っていたから。働いてるところも見ないし、見かける場所も時間もバラバラだし。まさか拳銃持ってやってくるとは思わなかったけど」
純粋に、予想外時の状況に放り込まれて思考停止しているだけかもしれないけど。
いや、そうなのだろう。現に、普段は敬語で話していたのにとっさに出てきたのはタメ口だ。
「あー、私そんな風に見えてたのか。普通に見えるように頑張ってたんだけどね」
とにかく、今一番わかっていないことを尋ねる。
「で、これはどういう状況なの?」
自分の頭に銃を向けている相手に敬語を使うのも変な感じがしたので、タメ口のまま。
予想していた質問なのだろう。少女の表情はピクリとも動かない。
「私は、貴方を殺すためにここに来た。」
それは見ればわかる。
が、改めて声に出して言われると、また別の重みがあった。
「別に私の私怨とかではないから安心して。」
少女は軽く微笑んで言う。恐怖を感じさせるような微笑みではなかったけれど、人間らしい温かさも感じなかった。
何を安心しろと。
「私はね、人を殺めて生きているの。仕事として、人を殺してる。上からこの人を殺してこいって言われてね、その人を殺して、金をもらって、その金で、生活している」
ああ、聞いたことくらいはある。本物に会うのは初めてだが。
それにしても、まさか本当にそんな仕事があったとは。
そして、そんな彼女がここで俺の顔に銃を向けているという事は、
「つまり、今回はその誰かが、俺だったってことか」
「そう。どこのだれかは知らないけど、貴方を消したいと思っている人がいるんでしょうね。その人が金を払って私の上司に貴方を殺してくれって頼んで、それで、私がその上司からあなたを殺してこいって言われた。簡単に言えばこういうことね」
俺を殺したいと思う誰か、か。ぞっとしない話だ。一応はまっとうに生きてきたつもりなんだけどな。
「で、今から君は俺をその拳銃で撃つわけだ」
「そういうこと」
どうしよう。
慌てはしなかったとはいえ、撃たれたいわけではないので、
「見逃してくれって頼んだら?」
「ごめんなさいね」
まあ、そうだよな。
「あと、逃げたり抵抗したりしようとしたら、撃つから」
彼女の目が細くなる。
いわれなくても、銃口がこっちに向いてる時点でわかってるさ。
「ここでもし、俺が逃げおおせたら?」
「無理だとは思うけど、そうなったら誰か別の人が来るんじゃないかしら。私より腕の立つ人が。まあ、この業界は腕がたつ奴ほど変な奴が多いからね。私の次に来る人があっさり死なせてくれるかは分からないわよ」
流石にそうなるよな。後半は脅しかもしれないとしても、前半は本当だろう。
ただの学生に過ぎない俺が今後も逃げ切れるとは到底思えない。
それにあっさり死なせてくれるか分からない、というのも本当ならぞっとする話だ。
「あーあ、チェックメイトってことか」
声に出してみても不思議と焦りだとか、恐怖だとか、そういうものはなかった。
俺だって、あなたは死にたいですか、と聞かれればいいえと答えるし、自殺志願者でもない。
死なずに済むならそれに越したことはない。
けれど、今、一方的にあなたは死にますと言われ、もしここで全力で抵抗し、生き延びたならば、と考えたとき、その選択肢にあまり惹かれなかった。
高卒というステータスを得るためだけに通っている高校を卒業し、このろくでもない街でその日暮らしのような生活をしていく。何のために生きているのか、と聞かれれば、惰性で生きていますとしか答えようがない。未来に何か輝かしいものを期待できるわけでもなく、むしろつらいことの方が容易に想像できる。
親は悲しむだろうか。いや、悲しまないだろう。仕送りの必要がなくなったと喜ぶかもしれない。今だって学費どころか食費にも足りない程度の仕送りしか送ってこない親だ。それも数か月に一回前置きもなく、なくなる月がある。
――あれ、そこまで未練っぽい未練、ないな――
そう思うと、言葉は自然と口から出ていた。
「分かった。どのみち逃げられるとは思ってないさ」
こんな状況で考えて出した結論だ。冷静に考えればもっといい選択肢があるのかもしれない。正常な思考とはかけ離れているのかもしれない。いわゆる一時の気の迷いのようなものかもしれない。
けれど、
「できれば、痛くないように一発で終わらせてくれ」
拒絶という選択肢がない今、一方的に押し付けられたはずの死、という選択肢は、妙に魅力的に思えた。
***
目の前には、抵抗もせずに、こちらをみつめる少年がいる。
抵抗されても逃げられたり、返り討ちにあったりすることはさすがにないだろう。けど、なりふり構わず死に物狂いで抵抗なんてされた日には、せっかく半分勢いで固めてきた決意が揺らぎそうだと思っていたので、すこしほっとした。
「分かったわ」
私に相手をなぶり殺しにする趣味はない。もとから一発で終わらせるつもりだ。
コップに残ったお茶を一気に飲み干してから立ち上がり、改めて拳銃の照準を少年の眉間に合わせなおす。
「ところで、最後に名前を聞いても?」
表情をほとんど変えず、軽く笑っているようにも思える表情で少年が言った。
どちらの名前をこたえるか少し逡巡してから、
「セイ」
「それが本名?」
「ペンネームみたいなものね」
正確には、この稼業を始めるときに自分でつけた、一種のコードネームのようなもの。
もちろん戸籍上の、そして表で使っている名前も存在はしている。しかし、 裏の殺し屋として会いに来た今の私に、表での名前を名乗る資格はないだろう。
「……そう」
特にほかに聞きたいことはなさそうだったので、そろそろ終わらせることにする。
この心臓と精神に悪い案件をとっとと終わらせて、きれいさっぱり忘れて、友人と飲みに行こう。
スライドを半分引いて、弾丸が装填されていることを確認する。
拳銃くらいなら片手でも保持できるし、いつもそうしているのだが、なんだかそうしなければいけないような気がして、きちんと昔、一番最初に教わった通りに、きちんと姿勢を正して両手で構えた。
呼吸を落ち着け、伸ばしていた人差し指を引き金にかけて、
「さよなら」
無意識にそんな言葉が口をついて、
私は引き金を引いた。
そして。
少年の眉間に。
しっかりと刻まれるはずの9mmの赤黒い穴は。
穿たれなかった。
「へ?」
自分の口から出たとは思えない、力ない声。
思わず手の力が緩み、銃口がすこしブレて下を向く。
いつもと違って別のことに気が向いていたからだろうか。理屈ではたまにあると分かっていても慌てる。
間違いなく弾丸は薬室に装填されているはず。
昨日は撃てたし、ぶつけたりもしていないので変形もしてないはず。
ならば不発か、遅発か。
数秒間だろうか。さすがに銃口をのぞき込むなんて素人じみた真似はせず、軽く混乱した頭のままそのままの体勢でいると、引き金を引いたのから三秒ほど遅れて、手の中の拳銃が跳ねあがった。
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