【PATRASCHE】使い魔獣猫パトラッシュ、主を探して
桜良 壽ノ丞
【Prologue】元使い魔、帰り道をなくして
Prologue(001)
【Prologue】元使い魔、帰り道をなくして
木々が生い茂り、日差しも僅かな深い森の中に、1軒の粗末な小屋が建っていた。
あちこち補修が間に合わない木の壁に、穴が空いた床。屋根には穴を塞ぐ応急処置のシートが掛けられている。
「パトラッシュ、わしはお迎えが来たようだ」
「ご主人様、それではわたくしも一緒に」
「その気持ちだけでいい、お前はもう解放されるのだよ」
住人である白髭の老人は、粗末なベッドの上で息を引き取ろうとしていた。
意識を失って丸1日。ふいに目を開け、老人は傍にいた大型の雄猫を撫でた。
「介抱はわたくしの役目でございますよ」
声の主を探すことなく、老人は目元だけで笑う。そして小さくかすれた声で愛猫に死への旅立ちを告げ、そのまま腕の力を緩めた。心臓の鼓動はなくなり、次第に温もりが失われていく。
「ご主人様、わたくしもすぐに参ります。靴をお履きになって、コートをお忘れなく羽織られる頃にはきっと。わたくし靴もコートも必要御座いませんので、準備は早いのです」
声の主はその大型の猫だった。しかしながら喋る猫……などというものはこの世にはいない。
では、その大型の猫の正体は何か。
全体的に白く所々灰色の毛が混じり、特に首から胸元までがふさふさとして……金色の目に尖った耳の四つ足動物。
どう見ても猫でしかないが、それは老人の使い魔だった。
使い魔は、主人の死と共にその役割を終えると言われている。つまり、死ぬのだ。
パトラッシュと呼ばれた使い魔も、老人の胸元で丸くなり、己の死を受け入れていた。
誰にも知られぬまま生涯を終えた老人の、物語の終わり。
少しだけ温かみを持って言うとすれば、使い魔に看取られ、老人の物語は幸せな結末を迎えた。
それならめでたしめでたし、だ。
しかしそれから1時間後。
まだ終わりではないと言うように、猫が……いや、使い魔が起き上がって伸びを始めた。古い柱時計を確認し、
「んー……寝てしまいました。やはりこれも老化というやつでしょうか、1日に20時間寝ないとどうにも体が……」
そう呟いた使い魔は、ハッと気づいて老人の顔を覗き込んだ。窓から木漏れ日が差す穏やかな室内は、静まり返っている。
「ご主人様? お亡くなりになったのですよね? わたくしは……わたくしは? まさか連れて行って下さらなかったのですか! なんてこと!」
使い魔は自分も死ぬとばかり思っていたが、どうやら死なずに遺されてしまったらしい。予想外の展開に、使い魔は主人の亡骸の上でウロウロと不謹慎に歩き回る。
「ああ、困りました……どうしましょう! 使い魔が主人亡き後、こうして存在し続けるなんて話は聞いた事がありません! これは、わたくしが使い魔ではなかった可能性も……」
そう呟きながらも、使い魔(?)は首を横に振る。
「いえ、わたくしは使い魔のはず。よく猫と間違えられますが、あいつらはニャーだとかシャーだとか、まるで訳が分からない事ばかり」
ぶつぶつと自身が使い魔である事を確認し、そして床に降りたのち、亡くなった主人をぼんやりと眺める。
「間違いなく亡くなっていらっしゃいます。いつも感じていたご主人様の気配が一切ありません。という事は……わたくし、どうすれば良いのでしょうか」
それから1時間、2時間経っても、半日経っても、やはり使い魔はそのまま生きていた。老人も生き返らなかった。
しばらくすると使い魔は棚に足を掛けてよじ登り、亡き主人の枕元に座った。老猫……いや、老使い魔にはきついのか、ベッドに跳び上がれないのだ。
「ご主人様。村の者に知らせてまいりますので」
そう告げると、使い魔は紙切れを咥え、ペンを器用に両手で挟み、何かを書きだした。上手なミミズの絵かと思えばどうやら「あるじ、しす」と書いたらしい。
使い魔は主人が手作りしてくれた、小さな自分のバッグを引っ張り出し、首に下げた。そしてよろよろと2本足で立ち上がってドアノブを回すと、深い森へと出ていった。
* * * * * * * * *
1時間ほどトボトボ歩き、使い魔は森から一番近い1軒の農家を訪ねていた。石造りの頑丈な塀に、頑丈な石のブロックで造られた一般的な家だ。
ランプの温かな光が漏れる窓を叩き、使い魔は住民が出て来てくれるのを待つ。
「あらパトラッシュ! こんなに遅い時間にどうしたの。何を咥えているの?」
「にやあーん」
「ふふっ、あんた相変わらず鳴き声が下手くそねえ」
エプロン姿に三角巾を被った、随分とふくよかな女性が声を掛け、そして使い魔の背中を優しく撫でた。パトラッシュは主人以外の者の前では猫のフリをしていた。
使い魔を操るのはごく一部の力ある魔族しかいない。魔族とは人族を怖がらせ、怯えさせ、襲い、時々食べたりなどもすると言われている存在だ。
人族の場合だと、ごく一部の者だけが、生まれると同時に使い魔ではなく「精霊」を伴うと言われている。しかし老人はパトラッシュを15年前から従えているため、精霊と言い張る事も出来なかった。
主人が魔族の血を引く事を隠していたため、パトラッシュも使い魔である事を隠していた。幸い鳴き声を除けば、パトラッシュの「猫のフリ」は名演技と言ってよかった。
ちょっと油断していようと、犬らしく振舞ってみようと、何をしても猫そっくりだったからだ。
「あんたももう年寄りなんだから、出歩いちゃ危ないよ……おや、何を咥えているんだい」
女性はパトラッシュが足元から小さな紙を拾い、口に咥えている事に気が付いた。それを受け取ると、上手なミミズの絵に似た文字を読み取り、血相を変えて家の中へと駆け戻る。
「あんた! ちょっとあんた! 大変だよ、森に住んでたあのお爺ちゃん、死んだって!」
「え、誰がそんな!」
「パトラッシュちゃんが知らせに来たのよ! お爺ちゃんが最後の力を振り絞って書いたメモがほら!」
中で慌てる男女の声が聞こえる中、パトラッシュはそっと玄関を後にした。
「ご主人様をお願い申し上げます。わたくしではお墓を用意して差し上げる事ができませんので」
もしも自分が喋ってしまえば、主人が魔族側の者であった事がバレるかもしれない。仕える主がいなければただの魔獣だ。
今まで猫のフリをして騙していたと気付かれたなら、どんな非難の目を向けられるか分からない。
「この村にはいられません。ご主人様との思い出が多すぎるのです」
パトラッシュは弱った足腰を奮い立たせながら村の道を歩き続け、そしていつしか村の外の草原に出ていた。主人が老いて満足に動けなくなるまでは、よく村を襲う「魔物」狩りをしていたものだ。
「今のわたくしが魔物を狩っても、褒めて下さるご主人様はおりません。仕える主を持たない以上、わたくしはもう使い魔を名乗る事も出来ません。わたくしは……ただの魔獣に成り下がった哀れな猫モドキ……」
そう言ったところで、パトラッシュは耳をピクピクさせ、首を振った。
「いえ、モドキなのは猫の方ですね。猫がわたくしの姿にとても似ているのです。まったく迷惑な話です……ですが、猫の真似をすれば人族に近寄り易い。都合のいい生き物ではありますね」
パトラッシュは夜の草原をあてもなく歩く。
周囲の草は風に撫でられるたびにカサカサと音を立て、空を見上げれば晴れた空に無数の星が輝いている。パトラッシュの目は人族よりも視野が広く、暗闇にも強い反面、人族ほど遠くは見えない。
ただの黒い空間しか見えない夜空の下、魔族や魔物も恐れる元使い魔は、今や勇ましさの欠片もない。
これからどうするのか。
このまま草原を住処にし、魔物のように獲物を狩って生きていくのか。
残念ながらパトラッシュは年を取り過ぎた。小さな地を這う虫くらいしか捕まえられない。
主人に作り出され、主人を亡くし、それでも生きている事は幸運だと言える。だがパトラッシュにとっては厳しい余生の始まりだ。遅かれ早かれ満足に食べ物を得る事も出来ず、野晒しで死ぬだろう。
そんな時、パトラッシュは最期にどう思うだろうか。
使い魔がたった1匹で、誰にも知られずヒッソリ死んでいく事に耐えられるのだろうか。
「……願わくばこのパトラッシュ、自身の最期はご主人様の傍で迎えたい。わたくしはやはり使い魔でありたい。この際人族でも魔族でもよいのです。どこか、わたくしと元のご主人様を知らない者が住む地に行かなければ」
老いた魔獣は時々歩き、沢山寝て、南へと延びる街道を行く。
小さな……いや、中くらいの元使い魔による、新たな主人を探す旅はこうして始まった。
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お話を覗いて下さり、有難うございます!
この作品を多くの方に見つけていただくきっかけにもなりますので、「応援してやんよ!」と思っていただけましたら、どうか応援を宜しくお願いします。
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