第23話 リトの決断
(もう……終わってしまうのか……?)
絶望に震えるミリエルの横で、リビも同じように震えていた。
そして、今しがたの衝撃に耐えることにかなりの力を費やしてしまったのであろう、リトの肩は呼吸に合わせて大きく上下している。
「くそっ……!」
リトの声からは紛れもない悔しさが滲み出ていた。
「リト……」
「リトさん……」
不安にかられたミリエルとリビがリトの名を呼んだ。
「ミリエル……すまん……」
相変わらず目は裂け目を睨みつけながらリトがミリエルに謝った。
「……」
ミリエルはどう答えてよいかわからず、言葉が出てこなかった。
(リトの責任ではない……)
そう、敵が予想を遥かに超えて強すぎたのだ。
リトだけではなく、ミリエルにも、それに抗えるだけの力が無かったということだ。
「リトが……リトが謝る必要は何もない。私などほとんど何もできなかった……力が足りなかったのだから……」
リトの肩をギュッと掴みながらミリエルが言った。
「……」
リビは言葉が出ず、唇を噛み締めてリトの肩を掴んで俯いている。
「いや……そうじゃないんだ」
「そうじゃない……?」
思わぬリトの否定に戸惑うミリエル。
「なら……どういうことなのだ?」
ミリエルが問いただす。
「約束を……守れなくなっちまうからだ……」
「約束……?」
一瞬、リトが何を言っているのかミリエルには分からずに、オウム返しに聞き返した。
「そうだ……」
リトが答える。
(あ……!)
ミリエルは思い出した。
(そうだ……昨夜リトは……)
『約束する……ミリエルを一人にはしない』
『きっと……?』
『ああ、きっとだ』
(約束してくれた……)
リトの後ろにいるミリエルからは彼の表情は見えなかった。
だが、リトの言葉の響きには、唇を噛み締めているのがはっきりと分かるような、心の底から悔しがる彼の心情が感じられた。
「リト……」
(約束を守れないとはどういうことだ……?)
ミリエルの脳裏に少しずつ信じられない、否、信じたくない可能性が浮かんできた。
「……じいちゃん、やっぱこうなっちまったな……」
悔しそうにリトが言った。
「じゃな……」
答えるノルの声にも沈んでいた。
「どういうことなのですか……?」
状況が理解できないリビがリトに聞いた。
「俺たちは負けない……」
リトが静かに話し始めた。
”負けない“という希望的な言葉とは裏腹にリトの口調は沈んでいた。
「……切り札があるんだ」
「切り札……?」
ミリエルが聞き返した。
「そうだ」
“切り札”といえば勝利を約束してくれる言葉だ。
だが、リトの口調からはそのような希望的な未来が感じられなかった。
「それは……その切り札とはどういうものなのだ?」
ミリエルは不安にかられながらも、希望を込めて聞き返した。
「俺が蓋になるんだ」
静かで平坦な口調でリトが言った。
「蓋?蓋とはどういうことだ!?」
ミリエルが訳が分からないといった様子で聞いた。
「言葉のとおりだよ。俺が【蓋】になって【裂け目】を塞ぐんだ」
ますます持って訳が分からない。
「あんなに大きな裂け目をどうやって塞ぐのだ!?」
「……なんて言えばいいんだ……」
うまく説明できずに困惑するリト。
『儂のようにエネルギー体になって広がるんじゃ。そうすれば【裂け目の蓋】になれる』
今は虹色の防護壁になってユラとシエルを守っているノルが代わりに答えた。
「エネルギー体になって?そんなことができるのか、リト?」
「ああ、できる。多分な」
「多分?」
「やり方はじいちゃんに教えてもらった。まあ、ぶっつけ本場ってやつだけどな」
そういうやり取りをしている間にも、裂け目の奥から魔族共がまさに出てこようとしていた。
「もう、時間がないな……」
魔族共を睨みながらリトが言った。
「ちょっと待て……蓋になったらその後はどうなるのだ?」
そう聞きながらも、ミリエルには半ば答えが予想でき、血の気が引いていくのをはっきりと感じた。
「……そのままだ」
少し間を置いてリトが答えた。
「そのまま……」
「そうだ、そのまま俺はずっと蓋のままだ」
「……!」
「そんな!」
ミリエルは絶句し、リビが驚愕の声を上げた。
「そろそろだ」
そう言ってリトは裂け目へと一歩踏み出した。
「待て、待ってくれ……リト」
ミリエルが裂け目へと踏み出したリトの腕を後ろから掴んで言った。
「まだ、負けたわけではないだろう?なにか手があるはずだ!」
力いっぱいリトの腕を握りながらミリエルが焦燥にかられながら訴えた。
「確かに、とんでもない数の敵だ。とても勝てそうには思えない。だが私達が連携すれば、時間はかかるかもしれないが、勝てる可能性はあるのではないか!?」
ミリエルの声は既に涙声になっている。
「無理だ。わかるだろう、ミリエル」
落ち着いた口調で説き伏せるようにリトが言った。
「残りがあと数体ならなんとか勝てるだろう。だけど、見えるだろう……今度はさっきまでに倒した敵の何十倍もいるんだ」
「でも……リトなら……」
ミリエルが縋るようにリトに言ったが、
「いや、途中で力尽きてしまう、それに……」
そう言ってリトはリビを見て続けた。
「さっきまでの戦いで精霊さん達にもかなり負担をかけてしまった。しばらくは助けては貰えないですよね、リビさん?」
「……はい、精霊さん達……先程の衝撃でかなり弱体化してしまったみたいです……ごめんなさい」
リビが申し訳無さそうに言ったがリトは、
「いえ、とんでもないです。たくさん助けてもらいました。ありがとうございます」
と、明るく応えた。
そしてリトは裂け目を見やりながら再度身体に魔力を取り込み始めた。
「ミリエル、リビさん、俺から離れて!」
リビはリトの肩を掴んでいた手を放し、彼から数歩離れた。
だが、ミリエルはしっかりとリトの腕を掴んで放さなかった。
「ミリエル!離れろ!」
リトは肩越しに振り返り、彼にしては珍しく、というより、彼がこれほどの激しい口調をミリエルに使うのは初めてであった。
「……嫌だ、私も戦う!」
「言っただろ、もう戦ってどうにかなる状況じゃないんだ!」
「嫌だと言ってるだろう!」
「だから……」
「約束してくれたじゃないか、私を一人にしないと!ずっと一緒にいてくれると!!」
ミリエルは滂沱たる涙を流しながら、ほとんど絶叫するようにリトに訴えた。
そして、ミリエルは思い出していた。
(リトは……リトは私のために花を作ってくれた……)
―――茶色く変色した茎が瑞々しい緑色に変わっていき、やがて、ピンク色の花弁が縁を飾った。
『リト……凄い……!』
リトは自らの手によって再び鮮やかな花弁を咲かせた花をミリエルに差し出した。
『……ミリエルに』
リトは照れながらも厳かに言った。
『リト……』
ミリエルは感激のあまり手が震えてしまいそうだった――――
「ミリエル……」
そう言ってリトは悔しさの余りギリリと音が出るほど歯を噛み締めた。
「リト……お願いだ……私も……」
リトにすがって訴えるミリエル。
そんなミリエルの肩を掴む手があった。
「ミリエル」
ユラだった。
「彼はこの世界のために、何よりもあなたのためにやろうとしているのよ」
ユラの手がミリエルの両肩に載せられた。
「いや……いや……!」
ミリエルは少女のように肩をゆすり、ユラの手を振りほどこうとした。
「ミリエル、ごめん……約束を守れなくて……本当にごめん……」
「嫌だ……私も行く!私も……!」
そう叫びながらリトに
「ミリエル!」
ユラの厳しい声が飛ぶ。
「離してユラ様、離してっ!」
すると、必死に抵抗するミリエルの肩を掴んでいるユラの手が淡く光った。
「あっ……」
という声と共にミリエルの手がリトの腕から離れ、彼女は、全身の力が抜けたようにしなだれてしまった。
ユラは、そんなミリエルの両脇に腕を差し入れて、彼女をリトから引き離していった。
「いや……いや、いや……!」
ユラに引き摺られながら、ミリエルは頭を振って抵抗した。
「ユラ様、ミリエルをお願いします」
今にも魔族が出てこようとしている裂け目を睨みながらも、肩越しに頭を下げるリト。
「ええ」
その華奢に見える身体からは想像もつかないほどの力で、ユラは抵抗を続けるミリエルを抑えながら言った。
「本当に……本当にごめんなさいね、リト」
そう言うユラの表情は苦渋に満ちていた。
それに対して、リトは彼らしい爽やかな笑顔を返した。
そして、
「じいちゃん……ノル様、色々ありがとう」
と、元の姿に戻ったノルにも最高の笑顔で別れを告げた。
「こちらこそじゃ、ありがとうな、リト」
破顔しつつも、その目には深い悲しみの光を宿した表情でノルが言った。
「リビさん、シエルさん、ありがとう」
今はリビとシエルは並んで立っていた。
「リトさん……」
リビは涙を浮かべながら応え、
「……」
既に声が出せないほど泣いてしまっているシエルは無言で深くお辞儀をした。
そして、リトはミリエルに視線を移した。
「ミリエル……」
「リト……リト、リト……」
後ろからユラに抑えられながら、リトに向かって手を伸ばしながらリトの名を呼ぶミリエル。
「ミリエル……約束を守れなくて、ごめん……」
「だめだ……!約束を守って……私と一緒にいて……!」
泣きながら声を絞り出すミリエル。
「ありがとう、ミリエル、出会ってくれて……俺と出会ってくれて、本当にありがとう」
「行かないで……お願い……行かないでぇ―――!」
必死にユラの腕を
そんなミリエルから、魂を引き千切られる思いで視線を外し、裂け目を睨みつけるリト。
既に、数体の大魔級の魔族が縁まで浸出してきていた。
「てめえらぁぁーー!覚悟しろよぉぉぉぉーーーー!」
そして、驚くべきことに彼の身体は徐々に巨大化していった。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーー!」
二倍――――
三倍――――
四倍――――
リトの身体が巨大化していくに連れて、その実体は肉体から光の集合体へと変化していった。
そしてついに、先頭を切って浸出してきた魔族がリトに攻撃を仕掛けてきた。
が、ほぼ光の集合体となっているリトに魔族が触れた途端、
バチバチッッッッ!
という激しい音と共に魔族は全身を火花に包まれ、
「ギァァァァァァーーーー!」
という絶叫と共に裂け目へと弾き返された。
そして、巨大化した輝くリトは、
カッッ!
と、更に光輝き、直視できないほどになった。
「リト……リトぉぉぉぉーーーー!」
未だユラの手を振りほどいてリトのもとに行こうとするミリエルの、リトの名を呼ぶ悲しみに満ちた声が響く。
そして、それまではかろうじて人の形だったリトの光の集合体が、完全に輝くエネルギー体になる直前、彼は後ろを振り返り最後の別れをするように手を上げた。
「ああぁぁぁぁーーーー……」
ミリエルの叫びは言葉にならない。
ひときわ輝きを増したリトの光は裂け目に向かって彗星のように尾を引きながら翔んでいった。
そして、裂け目の口に到達すると、爆発するように広がり、その光は裂け目を塞ぐように広がっていった。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――!」
ミリエルの悲痛な叫びが谷に響き渡る。
やがて広がった光は裂け目を完全に飲み込み、まるで、何も無かったかのように静かに晴れ渡った空が谷に広がっていた。
「あぁぁぁぁ…………ぁぁぁぁ…………」
胸が張り裂けるようなミリエルの慟哭が響く。
「ああぁぁぁぁ―――――――」
細く小さくなりながらも――――
長く尾を引いて――――
愛する者の喪失に絶望するミリエルの―――
哀しく咽び泣く声が谷を渡っていった。
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