第14話 ミリエル、服を作る

 一週間ほどするとミリエルは元の木綿の生地を均一な質感で大きくすることができるようになってきた。 


 修行の成果をユラに見せると、

「そうしたら、その生地で服を作ってみましょう。もうすぐ夏だものね、涼し気な装いもいいんじゃないかしら」

 ミリエルの服装を見ながらユラが言った。

 今のミリエルは紺色で踝丈くるぶしたけの木綿と毛の混紡の生地のローブという、まもなく夏を迎えようというこの時期には少々厚手の装いだった。


「でも……私、服を作ったことがありません……」

 ミリエルの服は全て生前の母が手縫いで作ってくれたもので、この他にも2着、似たような作りの服を持ってきていた。

「それに、どういう服を作ればいいのか……」


「そうしたら……ちょっと来てくれる?」

 そう行ってユラはミリエルを手招きして、小屋の奥、廊下の突き当りの部屋へと連れて行った。


 ユラがその部屋の扉を開けると、ミリエルが久しく嗅いでなかった独特の匂いがした。

「この匂い……本ですか?」

 ミリエルの声は期待を含んだ高い声音になった。


 ミリエルが知る世界では紙は高価なものであり、本は誰もが持てるというものではない、いわゆる贅沢品だった。

 彼女の故郷の村でも個人で所有している者はなく、村共有の財産として200冊ほどの本が寄合所に所蔵されていた。

 ミリエルは幼い頃から本好きで、同年代の他の子供が教わるよりも先に、村長むらおさから読み方を教わり、それこそ貪るように少ない蔵書を何度も繰り返し読んでいた。


「ああ……本がこんなにたくさん……」

 ミリエルは胸の前で手を組んで目を輝かせてつぶやいた。

 そんなミリエルを好ましげに見ながらユラが言った。

「ここには、これまでに世界で書かれたほぼ全ての知識があるわ」

「ほぼ全て……ですか!?」


 確かにミリエルがその18年の人生で見てきた本の数に比べれば、とてつもない数の本が所蔵されていることは一目瞭然だが。


「うふふ、信じられないみたいね」

 ユラは面白がるような顔で言った。

「今この書庫に並んでいる本が蔵書の全てではないの。ここを使う人の必要に応じて並ぶ本の種類が入れ替わるのよ」

「本の種類が入れ替わる……誰かが入れ替えるのですか?」

 だとしたら大変な作業になるだろうと現実的なことを考えながらミリエルが聞き返した。


「いいえ、勝手に入れ替わるのよ。まあ、敢えて言えばこの書庫そのものが入れ替えるといったところかしらね」

 と言うユラの言葉を頭の中で反芻するミリエルだったが、どう考えても彼女の理解の範囲を超えている。


「今のところは、そうね……そういう便利な書庫だと思って頂戴。それに……」

「それに……?」

「あなたがそういう疑問を持っていれば、書庫がそれを感じて、あなたの疑問を解く助けになる本を並べてくれるかもしれないわ」

「……はい」


(そういえば予言書もいつの間にか手元にあったんだっけ……)

 そう考えると、ミリエルにはその仕組みは謎であるものの、書庫の存在は心にしっくりくるものがあった。


「それで、今あなたが必要としている知識は服飾関係ね。どこかそのへんの書棚を見てご覧なさい」

 ユラにそう言われて、ミリエルが手近な書棚を見ると、服に関する本がズラッと並んでいた。

 そのうちの一冊を手にとって開いてみると。


「わぁ……!」


 思わず感嘆の声が出てしまった。

 そこには女性が様々な服を着ている鮮やかに色付けされた絵が描かれていた。

 地域や職業、季節や生活様式によって違う様々な服が載っていて、それこそ一日中でも見ていられそうだった。


「その中から作ってみたい服の絵を選んで、そして……この奥の方かしらね……」

 ユラはそう言いながら書庫の奥の方へ進んでいき、

「……あったわ」

 と言って縦横が肘から手の先の長さくらいありそうな、大きくて薄い本を取り出した。


「ここには服の型紙があるはずよ。型紙に合わせて生地を広げていって縫い合わせるの」

 ユラが表紙の厚い板紙いたがみを開くと中には折りたたまれた薄い型紙が入っていた。

「縫い方は分かる?分からなければここで探せば縫い方の本も見つかるわ」


「縫い物は……麻布あさぬのの縁のかがりくらいしかやったことがないのですが……」

 ミリエルが自信なさげに言うと、ユラが教えてくれた。

「もちろん、手で縫わなくも魔法を使って縫うこともできるわ。けれど魔法で縫うにしても縫い方を知っていたほうがずっと綺麗に縫えますからね」


 こうして、ミリエルの服作りが始まった。

(どんな服を作ろう……)

 様々な種類の服の絵が載っている本を見ながらミリエルは悩みに悩んだ。


 本に載っている絵の多くは実際にミリエルが見たことがない柄や形の服だった。

 故郷の村では年に2回、秋の収穫祭と冬の降誕祭の時には皆であでやかな服を着るが、普段は誰もが似たような質素で実用的な服を着ていた。


(せっかく作るんだから……)

 実用的ではない服を作ってみたいとミリエルは思った。

 というのも、書庫から何冊かの本を持って出る時にユラから言われたことが頭に残っているからであった。


「自分が着たいと思う服を作るのが基本でしょうけれど、着ている姿を見てもらいたいと思う服を作る、という観点で考えてみるのもいいんじゃないかしら?」

「見てもらいたい服……?」

「ええ、そうよ。そして、この谷であなたが服を見てもらえる人はごく限られた人よね」

 と、ユラが含みのあることを言ったのだ。


(……新しい服を見てもらいたい人は……)

 ミリエルの頭に、いつも明るく賑やかに笑っている金髪碧眼の青年の顔が浮かんだ。


(彼は……リトはどんな服を好ましく思うだろうか……)

 と、思いを巡らしながらミリエルは本のページをめくっていった。

 そうしているとあっという間に時が過ぎていき、どの服にするか決められないうちに日暮れ時になり、ノルとリトが帰ってきた。


 この頃には朝と夜の食事はリトが作るという流れができており、この日もリトが手際よく具沢山ぐだくさんのスープとパンの夕食を整えた。

 正直なところミリエルは料理はそれほど得意とはしていなかったが、具材の切り分けを手伝うくらいのことはするようになった。


 二人は、ここ数日で簡単な言葉を交わすくらいにはなっていたが、未だ元のように遠慮のない気楽な会話はできずにいた。


 リトは表面上は明るくいつも通りなのだが、ミリエルの気持ちに遠慮をしてか、言葉数ことばかずが少なくなっていた。


 そんなリトに対して、

(もっとくだらない冗談でも言ってくれればいいのに……!)

 と苛立ちに似た気持ちになるミリエルだった。

 そしてその苛立ちが表情や口調に出てしまうせいなのか、リトはミリエルに対してより慎重に接することとなってしまう。

 それがまた、ミリエルを―――。


 ベッドに入ってからもミリエルは新しく作る服のことで悩み、リトとのやり取りに対するる方無い不満に悶々とした。


 また、別の夜には、

(新しい服を作ったところで……そもそもリトは私の服装なんて気にかけるだろうか……)

 と、言いようのない不安にさいなまれることもあった。


 そんなことを繰り返しながら日々が過ぎていき、谷が夏を迎えたある日の午後、ミリエルの新しい服が完成した。


「まあーー!とっても素敵よ、ミリエル!」

 恥ずかしげに新しい服を披露するミリエルにユラは惜しみない賛辞を送った。


 ミリエルが着ているのは、薄い青色のワンピースだった。

 袖は短くして軽く膨らみを持たせてある。

 丈は膝が隠れるほどの長さで、心持ち広がりを持たせたすそはレースで縁取りをし、腰のところを鮮やかな青色のサッシュで締めている。


「……少し裾が短くなってしまったのですけど……変ではないですか……?」

 頬を赤く染めながらミリエルが聞いた。

「ちっとも短くなんかないわ。もう少し上げて膝を見せてもいいくらいよ」

 ユラはミリエルの前にかがみ込んで、ワンピースの裾を膝までたくし上げて検分した。


「ゆ、ユラ様……!」

 ミリエルは恥ずかしくなって裾を抑えようとした。

「うふふ、今夜は楽しみねぇ。リトはどんな反応をするかしら」

 ユラが立ち上がって夢見るような表情で言った。


(やっぱり恥ずかしい……)

 ミリエル自身、服の出来栄えには満足している。

 生地を型紙通りにすることも、縫い合わせることも大変な苦労だった。

 縫う作業も最初は針と糸で手縫いした。何度も指に針を刺して痛い目にいながら。

 だが、そのおかげで縫い目の仕組みを理解でき、魔法を使って縫い付ける作業に大いに役立った。


(綺麗にできたとは思うけど……リトはどう思うだろう……)

 そうしているうちに日暮れとなり、ノルとリトが帰ってきた。


「ただいまーーすぐに夕食にするよーー!今日は美味そうなキノコがたくさん採れたから……」

 そう言って、キノコが詰まった布袋ぬのぶくろを掲げながら小屋に入ってきたリトは、ミリエルを見た途端言葉を失ってしまった。


「あ…………あ…………」

 リトの顔は真っ赤になり、次に青くなり、そしてまた真っ赤になった。


「おおーーおおーーミリエルちゃん、今日はまた一段とべっぴんさんじゃのうーーうんうん!」

 リトの後から入ってきた来たノルはリトを追い越して、顎に手を当てながらじっくりとミリエルを鑑賞している。

「そんなにジロジロ見るもんじゃないわ、ノル」

 ユラがたしなめる。 

「……ありがとうございます、ノル様……」

 小さな声で答えるミリエル。


「今夜の夕食は用意してあるわ。そのキノコは明日いただくことにして、夕食にしましょう」

 ユラはそう言ってリトの手からキノコが詰まった布袋を受け取った。

 リトはユラに布袋を手渡す時もミリエルから視線を外せないでいた。


 そんなリトにユラが言った。 

「リト、あなたはなにか言うことはないのかしら?」

 すると、ミリエルから視線をそらせずにいるリトがやっとのことでひと言を発した。


「……かわいい……」


 それを聞いたミリエルのほのかに赤かった頬が真っ赤になった。

 頬の火照ほてりを感じたミリエルは慌ててリトに背を向けた。

 そんなミリエルに、ユラとノルは愛しい子を見るような笑みを向けた。


 席に付く前、ミリエルはチラッとリトを見た。

 彼は未だ最初の衝撃から立ち直っていないようで、目を丸くして、何かを言おうとして途中で固まってしまったような表情をしていた。


(……やった……!)


 そんなリトを見てミリエルは小さな勝利を感じたのだった。

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