Episode 3-2 忍び寄る影
その後も何件かの店で買い出しを続け、街の噴水広場に面した場所にある、とある雑貨屋に立ち寄った時の事だった。
「嫌なもんだねぇ。真っ昼間から酔っ払って、だらしのない」
店の主が眉をひそめたその視線の先には、噴水に寄りかかって酔いつぶれている三人の男達がいた。
主の話によると、三人は
男達の中でも首領格と見られる男は、又三郎よりも頭二つ分ぐらい背が高く、筋骨隆々で、腕の太さなどは下手をすると女の腰ほどもある。その男が時折あおる酒瓶は、まるで子供の
その両隣で何度も酒をあおっている男二人も、お世辞にも人相が良いとは言えないが、どちらも背が高くがっしりとしている。それぞれ腰には、ティナが持っていたものと同じような片手剣を下げていた。こちらもそれぞれ、かなり使い込まれたものだった。
出来れば誰もが関わり合いになりたがらない連中だったが、噂ではそこそこ腕が立ち、それなりに金も持っているので、あまり
「ほらマタさん、冒険者だなんだって言ったところで、ああいう人達は結構多いものなのですよ。特に流れ者の冒険者なんて、ろくなものじゃないです」
ナタリーなどは露骨に顔をしかめ、小声で又三郎に耳打ちした。
ティナの冒険者仲間達も、あのような者なのだろうか――ティナのあっけらかんとした性格から考えると、どうにもそうは思えない。あの三人の酔漢達は、おそらくかなり特殊な部類に入るのだろう。又三郎はそう判断した。
店先で必要な商品を選び、支払いを終えた時、
「何だぁ、うるせえぞ! このくそ犬!」
大男は苛立たしげに叫ぶと、足元で吠えていた子犬をいきなりかかとで蹴飛ばした。子犬は甲高い悲鳴を上げ、遥か遠くまで転がされた。
すぐに少し離れたところから、小柄な老婆が倒れている子犬に駆け寄った。さも痛そうに鳴く子犬を胸に抱き、老婆は気の毒なほどに狼狽していた。
「おいババア、その犬はお前の犬か?」
大男が立ち上がり、のしのしと老婆の元へと歩み寄る。取り巻きの男二人も、ニヤニヤと笑いながら大男の横に並んだ。
「命の洗濯でもと思って、せっかく気分よく酒を飲んでいたっていうのに、
大男は再び酒瓶をあおり、大きく息を吐いた。
「いけない! あれ、ジルさんじゃない!」
隣にいたナタリーの顔色が、みるみる青ざめた。その言葉で又三郎は、子犬を抱えて狼狽している老婆が、七日に一回の礼拝で教会に来ている信者達のうちの一人であることを思い出した。
ある日の礼拝の後、たまたま教会の庭の掃き掃除をしていた又三郎は老婆に声をかけられ、言葉を交わしたことがあった。
その時は「アンタがジェフさんの言っていた、教会の居候さんかい?」といった話に始まり、しまいには「これでナタリーにも、良い人が見つかったってことなのかねぇ」などと呑気なことを言われた。又三郎は何とも気まずい思いをしたが、かといってわざわざ老婆の言葉を強く否定するのもはばかられたため、そそくさとその場を退散したものだった。
雑貨屋の主をはじめ、周囲にいた者達は皆一様に、緊張した面持ちでその様子を見ていた。だが、いかにも荒くれ者といった男達を前に、進んで老婆を助けようとする者は一人もいなかった。
又三郎は、新選組隊士として京の街中を巡察していた時、まれに似たような酔漢に難儀していた
いずれにせよ、このままではあの老婆も危うかろうと思い、どのように助け船を出したものかと思案していたところ、それよりも先に又三郎の隣にいたナタリーが駆け出し、老婆と酔漢達の間に割って入った。
「あっ、あの、貴方達、このような
老婆の前に立ち両手を広げたナタリーの声は震えていた。酔漢達は思わぬ
「この
大男の言葉に、後の二人の男達が下卑た笑いで続いた。
ナタリーにとって、酔漢達の言葉の意味は何となく理解できたが、理解したい訳では無く、ここから先の彼らへの対応策も無かった――ただ、自分の知り合いであるジルという老婆を助けたい、見捨てられないという思いだけが、ともすれば恐怖にすくんで崩れそうになる彼女の両足を何とか支えていた。
「犬に吠えかけられることなど、そう珍しいことでもないだろう」
ナタリーが振り返ると、そこには又三郎の姿があった。更にその後ろには、いつの間にやら大勢の人だかりが出来ている。
「おう、お前、何か文句でもあるのか?」
「俺達一応、被害者なんだけれどな」
「何だよおい、見ろよ、こいつの妙な恰好」
三種三様の悪態を、又三郎は意に介することなく聞き流してナタリーに目配せをした。その意味を察したナタリーは老婆と子犬を連れて、又三郎の背後の人だかりの中へと紛れていった。
ようやく生きた心地がしたナタリーだったが、周囲の人だかりの群れは、皆一様にこれから起こるであろう「何か」を、不安と期待の入り混じった目で見つめている。何とも薄情で無責任な話ではないかと、ナタリーは無性に腹が立った。
それにしても、心配なのは又三郎のことだった。いくら日々の人足仕事で鍛えられているとはいえ、又三郎は細身だ。あの三人の酔漢達と比べると、どう見ても大人と子供ほどの違いがある。
それなのに又三郎は、まるで何事でもないと言いたげに平然とした
「お前のせいで、婆も女も逃げちまったじゃねぇか。どういう落とし前をつけてくれる」
んだ、という最後の言葉は、一人の酔漢の悲鳴でかき消された。又三郎の胸倉をつかもうとしたその男の手を、又三郎が小手返しで捻り、そこから男を地面にひれ伏させた。
又三郎はそのまま、男のもう一方の手を掴んで背後に回し、先程雑貨屋で手に入れた麻紐で、男を後ろ手に素早く縛りあげる。素人目にも鮮やかなその所作に、周囲の人だかりがどよめき、ナタリーは呆気にとられた。
「この野郎、何しやがる!」
次の一人が殴りかかってきたのを、又三郎は体を捌いてその
最後に残った大男は、何やら意味不明な言葉をわめきながら、両手を広げて掴みかかってきた。又三郎は大男の脇を潜り抜け、
大男を蹴り転がし、最後に残った麻紐で後ろ手を縛り上げたところで、又三郎は周囲からの拍手と歓声にようやく気付いた。
「凄いじゃないですか、マタさん!」
人混みの中から駆け寄り、興奮した様子で声をかけてきたナタリーに、又三郎が答えた。
「なに、この程度は慣れたものだ」
先程の所作はそのいずれもが、又三郎が幼少の頃から学んだ柔術の技の応用だ。また、新選組では捕らえた不逞浪士に縄を掛けることは日常茶飯事だった。それらの術理を知らぬ酔漢の相手など、又三郎にとっては児戯に等しい。
それから程なくして街の衛士達が駆けつけ、三人の酔漢を衛士詰所へと引っ張っていった。争いの当事者の一方として、又三郎も衛士から事情を聴かれたのだが、又三郎がそれに答えるよりも先に、雑貨屋の主をはじめ周囲にいた人達が口々にその時の様子を語ったため、正当防衛によりお咎め無しとされたのは幸いだった。
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