笑葬
さかたいった
城崎家葬儀
舟は音もなく進む。
なだらかな水の流れ。
左右に見える岸には、砂利の川原と、その先に生い茂る木々。
空には地表を昼間に灯さない、ぼんやりとした明かりを放つ太陽。
黄昏時のような紺と茜色のコントラスト。
舟には一人の男が乗っている。
新たな旅路に向けて。
川を下っていく。
流れには逆らえない。
それでも、その男は笑っていた。
城崎家。それは滅多にない親戚一同の集まりだ。
その室内では、多数の椅子が正面方向に向かって並んでいる。しかし学校の教室とは違い、正面にあるのは教卓と黒板ではなく、白い花で彩られた棺。
列席者の一人である城崎
棺の奥に見える遺影には、白い髭を生やした城崎甲の悪戯っ子のようなお茶目な笑顔がある。甲はまさにその笑顔に似合った人生を送った人物だった。眼鏡の奥にある遊び心に満ちたその目の輝きは、まるで少年のようだ。
「本日通夜式の進行を務めさせていただきます、津島と申します」
式場内の脇で待機していたセンター分けの爽やかな顔立ちの男性が、マイクを使って話し始めた。葬儀社のスタッフだ。
「初めに、故人城崎甲様より生前預かっていた、ビデオレターを流させていただきます」
室内前方、左右の壁際に一つずつモニターがあり、そこに映像が流れ始める。
どこかの部屋のソファに座っている城崎甲。家のリビングで撮影したものだろうか。
「ヤッホー。みんな元気ー?」
映像の中の甲がこちらに向かって手を振りながら陽気に話し始めた。
「これをみんなが見ているってことは、僕は死んじゃったってことだねー。地獄の先からこんにちはー」
地獄の住人にしては底抜けに明るい。
「さてさて、本日はお足元の悪い中、こんなへぼくれたクソジジイの葬儀なんかにお集まりいただき、クソありがとうございます」
丁寧なのか、下品なのか、よくわからない。ちなみに今日の天気はすこぶる良好である。
「まあ堅苦しくせず、のんびりしていってくれ。葬式なんてものは、屁みたいなものだ。臭いだけの身の無いやつ。僕の辞書に不謹慎という言葉はない。僕の葬儀だ、僕の好きなようにやらせてもらう。
一つ条件をつけよう。ちょっとしたゲームだ。葬式の最中、きみたちは笑ってはいけない。笑った者は即失格。そして、最後まで笑わなかった者に、僕の遺産を全部くれてやる。どうだ? これで臭いだけの葬式もちょっとは面白くなるだろう?
ハッハッハッハー」
城崎甲の笑い声が場内にこだました。
一般的な葬式というものは、親しい人間の死を憂い、悲しみに暮れるようなものだろう。そんな葬式の場で笑い散らすなど、不謹慎極まりない。
城崎甲の通夜を執り行う式場には、彼の親族たちが集まっている。甲の配偶者であるモネ、二人の長男の
お坊さんが式場に現れた。棺の前の供えものやら何やらが置かれている台のほうに歩いていく。
いつの間に置かれたのか、お坊さんの進行方向の床にバナナの皮があることに凌空は気づいた。
そんなわけはない。そう思いながら、凌空は成り行きを見守った。
お坊さんがバナナの皮を踏んだ。
だが、すってんころりんと派手に転ぶわけでもなく、足を滑らせて地味につんのめっただけだった。お坊さんがバランスを崩したことを悟られないよう隠そうとするような動作が、逆に滑稽に見えた。その様子を見ていた親族たちの中で、声を上げた者はいない。しかし微妙に場の空気が変化したことをみな感じ取っただろう。何かが起こり始めている。
お坊さんは何事もなかったかのように、神妙な顔つきで指定の椅子に座った。
しばらく間を作って溜めた後、お経を唱え始めた。
「ぷ」
「くくっ」
何人かが堪え切れずに笑い声を漏らした。なぜそうなったのかというと、お坊さんのお経を唱える声がびっくりするぐらい高かったのだ。ジェットコースターに乗った女性の悲鳴ぐらい高いといったらわかるだろうか。お坊さんのお経なので低いトーンの落ち着いた声だという先入観のあったところにいきなりふざけているんじゃないというほどの素っ頓狂の声を上げ始めたので、つい可笑しさが反応した。
読経の合間に、葬儀社スタッフの津島がお焼香を促す。しかし台の上で焚かれているのはどうやらお香ではない。香ばしい匂いが部屋の中に充満する。
喪主である甲の長男、凌空の父親である大翔から順に、席を立ってお焼香を開始する。
初めこそ戸惑っていた大翔だが、そこは甲の息子、真剣な面持ちでやり切った。
やがて凌空の番が回ってくる。席を立ち、お焼香に向かう。お坊さんは素っ頓狂な声でお経を唱え続けている。
葬式で行うお焼香といえば、粉状のお香をつまみ、それを額のほうに持っていってなにかするふりをしながら、炭の上にくべる動作だ。凌空も以前何度か親戚の葬式に参列したことがあるので、覚えがある。
しかし今目の前にあるのはお香ではない。粉状のものは、おそらく塩コショウ。そしてその横にあるのは、黒い鉄板の上で煙を上げているステーキ。
凌空は脇で待機している津島に目を向けた。凌空の視線に気づいた津島は、神妙な顔を装って「コクン」と頷いた。なにが「コクン」だ。
凌空は右手の指で塩コショウを少量つまみ、額のほうに持っていった後、鉄板の上のステーキに振りかけた。無事ステーキの味つけが終わる。
「あちっ!」
凌空はつい鉄板の縁に触れてしまい、声を上げた。すると近くにいた数名が小さく吹き出した。この葬式、油断も隙もない。
裏声みたいな高い声の読経を終えたお坊さんは、椅子から立ち上がって親族に向き直り、一礼をした。その後、懐からフォークとナイフを取り出して、みなが塩コショウをかけていったステーキを一口サイズに切り、それを口の中に入れて頬張った。口をモグモグしながらその場から去っていく。発想が飛躍しすぎていて、凌空はちょっと理解が追いつかない。
「ではここで、故人城崎甲様の奥様である城崎モネ様からお言葉を賜ることにいたします」
進行スタッフの津島に促され、凌空の祖母であるモネが設置されたスタンドマイクのほうに向かう。モネは小柄で控えめな、可愛らしい優しい人だ。凌空も小さいころは、いや今でも、とても可愛がってもらっている。
マイクの前に立ったモネだが、スタンドマイクの位置が高すぎて、モネの身長を越えてしまっている。モネは手を伸ばし、マイク位置の調節をした。しかし今度は低すぎる。おへその位置だ。何度か調節するものの、上手くいかない。するとモネがマイクのスタンド部分を怒り狂ったように思い切り蹴り飛ばした。衝撃の光景である。あの温厚な祖母がまさか。津島が慌てて駆け寄り、マイクを片づけていった。
すると今度はどこからともなく軽快な音楽が流れ始めた。モネが長男の大翔を手招きする。おそるおそる向かった大翔の手を取って、モネはリズムに合わせてサルサを踊り始めた。大翔と向かい合い、左右にステップを踏む。マイク蹴り飛ばしからの突然のサルサである。意味がわからない。
八十歳を超える老婆のダンス。元気なのは良いことだが、それを見せる場はここでなくてもいいと思う。
突然モネが大翔を突き飛ばすような動作をした。それから、凌空のことを真っ直ぐに指差した。そして凌空を手招きする。嘘だろ!?
凌空は親族たちに見守られる中、大翔に代わりモネの手を取った。
見様見真似でサルサを踊る。
モネがうっとりとした表情を浮かべながら投げキッスをした後、凌空の胸に顔を埋めてきた。周りからくすくすと笑い声が上がる。
凌空はおじいちゃんの通夜で、おばあちゃんとダンスをした。
通夜の後、凌空と両親、そして祖母のモネは、斎場で寝泊まりすることになった。
備えつけのバスルームでシャワーを浴びた後、凌空は祖父の遺体が安置されている式場に入ってみた。
室内には監視カメラがあり、死者への冒涜行為がないよう監視されている。
動かなくなった祖父の入った棺。その向こうに見えるお茶目な笑顔の祖父の写真。
凌空が椅子と椅子の間の中央の通路を歩いていくと、祖母のモネが一人最前列の椅子に座っていることに気づいた。
亡くなった夫を想い、悲しみに暮れているのかとも思ったが、モネは甲の遺影を眺めながら微笑んでいた。
「おばあちゃん、悲しくないの?」
凌空はモネと通路を挟んだ場所の椅子に座り、尋ねてみた。
モネは一度凌空に視線を向け、再び甲の写真のほうを向きながら、答えた。
「そうね。びっくりするぐらい、悲しくないの。面白い人だったからね。あの人は。人を笑わせるのが大好きな人だった」
凌空も甲の写真を見る。
「いっつも笑っていたから、まだ全然悲しみが追いつかない。まだお腹いっぱいなのよ。あの人がもういないなんて信じられないけど、それでもまだ楽しみを与えてくれる」
「おばあちゃんはおじいちゃんのこと好きだった?」
「好き? あまり考えたこともなかったよ。いつも傍にいて、いつも私を笑わせてくれた。それがあたりまえだった。すごく感謝してる。おかげで楽しい人生だった」
「まだ終わってないでしょ?」
「そうね。あの人の願いを次に受け継がないと。それをするのが、残された私の役目」
「願い?」
モネは答えずに、ただ笑った。とても楽しそうな笑顔だった。
翌日になり、昨日の通夜と同じ場所で告別式が始まった。といっても、通夜とやることはほとんど変わらない。変わったことといえば、塩コショウをかけるのがステーキではなく目玉焼きになったことぐらいだ。
そろそろ別れの時が近づいている。みなが甲の棺の周りに集まった。故人に別れを告げる段だ。
棺の窓が開けられ、故人の顔が見えるようになる。
「ぷっ」
甲はおしゃぶりをしゃぶっていた。動物の耳の形のついた可愛いニット帽も被っている。コンセプトは、言わずもがなだ。童心に帰りたかったのだろうか。
「故人様におはなの手向けを」
葬儀社スタッフの津島が持つ箱から、みながはなを受け取る。それは花ではなく、鼻だった。ゴム製の人間の鼻の形をした玩具。赤ん坊の格好をした甲の周りにみなが鼻を置いていく。こんなふざけた葬式、見たことも聞いたこともない。モネにいたっては、笑いながら甲の顔にマジックペンで落書きをし始めた。もうみんな笑うしかなかった。死してなお、体を張ってみなを楽しませる城崎甲という男。
「これが親父の生き方だった」
喪主からの挨拶の段になり、親族一同に向かって大翔が言った。
「いつも自由で、自分の好きを追求した。羨ましい男だよ。いつだって楽しそうに笑っていた。子供みたいにね。子供だったよ。最期まで」
告別式が終わり、親族たちは斎場の外に出た。
清々しい天気。気持ちの良い青空だ。
火葬場に向かうため、甲の棺が運ばれてくる。
もう祖父は戻ってこない。次が最後の場所だ。自分たちの居場所から、一人の大切な人間がいなくなる。そう思うと、凌空の瞳が潤み出した。周りからも小さくすすり泣くような音が聞こえる。でも、泣いてはいけない。祖父が望んでいるのは、みなの笑顔だ。それでもやっぱり悲しい。
甲の棺が霊きゅう車の中に収められていく。そして後部のドアが閉められた。
凌空が傍にいる父の大翔を見ると、歯を食いしばるようにしながら俯いている。父も悲しいのだ。ここにいる全員がそう思っている。それが城崎甲という人間の人柄だ。優しく包み込むような温かさ。常に周りを励まし、元気づけてくれる。愉快な冗談で笑わせてくれる。とても大きな存在。
「それでは、ここで城崎甲様からの最後の伝言をみなさまにお伝えします」
津島が話し始めた。用紙を取り出し、そこに書かれた文言を読み上げる。
「みんな今日は僕のお遊びに付き合ってくれて、ありがとう。葬式で笑わなかった者に僕の遺産をくれてやると言ったが、あれは嘘だ。
なぜなら、きみたちの笑顔、それこそが、僕が残した遺産だからだ。何より大切な、僕の宝物。その笑顔をいつまでも忘れずに、大切にしてくれ」
凌空のまぶたから涙が流れた。奇怪な葬式をしたのは、ふざけたかったからじゃない。それが祖父の気遣いであり、優しさなのだ。
周りの親族たちもみな泣いている。父の大翔も泣いていた。ただ一人、祖母のモネだけは笑顔のまま。
「では最後に」
みなが津島に目を向ける。甲が残した最後の言葉に耳を傾ける。
「今日はみんな葬儀のリハーサルに参加してくれてありがとう。本番もよろしくー!」
城崎甲は一人南の島でバカンスを満喫していた。
照り返す陽光!
白い砂浜!
エメラルドグリーンの海!
ビキニ姿のピチピチギャルたち!
まさに楽園!
きっとみんな今ごろ神妙な顔つきで葬儀に参列しているだろう。そのことを考えて、甲はほくそ笑んだ。してやったりだ。
楽しい楽しい一人旅。
ウキウキ気分が止まらない。
人生は楽しまなくっちゃ。
フハハハハハハ!
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