残像
「いやー、ありゃクロだね。クロ」
放課後になり、俺と瀬戸は一緒に歩いていた。
視線の先に、何人かの女友達に囲まれて談笑する七瀬を捉えながら。
髪型は、今日もストレートロング。
その後ろ姿が、頭の中の誰かとダブる。
「クロって何がだよ」
「ワケありってこと。男と」
男……ストーカーのことか?
まあ、ストーカーが女という可能性も全くないわけではないから一概には言えないか。
「ドキっとした?」
「……なにが?」
「あんなに仲良かった七瀬さんが、自分以外の男と仲良くしてるかもしれないって想像したら、ショックじゃないの?」
「そんなわけないだろ」
そんなこと、とっくに想像しているに決まってる。
とうの昔に覚悟ができているから、今さらショックを感じたりしない。
俺の知らない表情で、好きな相手に甘える七瀬。
誰かと手を繋ぎながら、幸せそうにはにかむ七瀬。
あるいは、今のあいつなら、いつかはスマホの向こう側の人になってしまうかもしれない。
今よりずっと魅力的な顔を、毎日見させられるかもしれないんだ。
その寂しさは、現実的な仮想の世界でこれまで何度も味わってきた。
今さら瀬戸に言われたぐらいで、上手く返せない俺じゃない。
別に、これは何も七瀬に限った話ではない。瀬戸だって、滝川だって、村上だってそうだ。
きっとみんな、良い人に巡り合う。きっとみんな、幸せになる。
俺を置いてどんどん先に行ってしまう。
そして、俺はここで足を踏み外し続ける。そういう運命だから。
だから、今こうして同じ空間にいられるだけで、俺は幸せだ。
ほんのわずかな隙間でもいいから、この世界の片隅に俺を置いてくれれば。
あとは全部俺の問題だから、みんなには関係ない。
本当に辛くなったら、次の隙間を探しに行くよ。
「なーんだ、残念。まあその男っていうのは桜井のことなんだけどね」
「――――は?」
その瀬戸の言葉は、自分の内深くに意識を沈めていた俺にも認識できるだけの強度を持っていた。
しかし、すぐに勘付く。どうせまた瀬戸がからかってきているに違いない、と。
「俺と七瀬のことについては、このあいだ話して納得したんじゃないのか?」
「んー? どういうこと?」
「いや、だからからかっても意味ないぞってことで……」
「あー。そんなんじゃないよ。これはマジだから」
瀬戸の言葉は俺の精神を揺さぶるのには十分すぎるほどで、吐き気が込み上げてきた。
噛みしめてストレスを奥歯に押し付けてから、何とか口を開こうとする。
「……それ、は……どういう……」
「七瀬さん本人は何も教えてくれなかったんだけどさー。目がね」
「……は?」
「七瀬さん、私と話してる間もずっと桜井のこと探してるんだもん」
その事実を、俺はどのように受け止めればいいのだろう。
冷静になれ。どうせ瀬戸の勘違いか何かだ。
「俺なわけないだろ。七瀬にはたくさん友達がいるんだから」
「桜井が教室出てきた途端に、顔を輝かせてずっと桜井のことを見ていても?」
やめてくれ。どうしようもなく惨めになってくる。
「万が一それが真実だとして、俺と同じ方向に女友達がいただけだろ」
「えー。桜井しかいなかったけどなぁ」
やめてくれ。みっともなく泣いてしまいそうになる。
「…………勘弁してくれ。もう、その話は」
「あっ……ごめん。しつこく言いすぎちゃった……?」
俺の泣き言に、瀬戸が思わずフォローを入れてくる。
瀬戸がこんなに申し訳なさそうな顔をしてくるのは、はじめて見た。
きっと今の俺の顔は、色んな感情がごちゃ混ぜになって、ひどく醜いと思う。
たくさんの感情の中でも一番強いのは悲しさだから、今にも泣き出しそうに見えるかもしれない。
「俺と七瀬は…………そういうのじゃ、ないから」
俺たちの間にそんな青春があるはずがない。
もしそんなものがあってしまえば、普通じゃない俺は七瀬のことを酷く傷つけてしまう。
―――――――――嫌い――――だ。
やめてくれ、母さん。大丈夫、俺は自分のことがよくわかってる。
絶対に、この理性の枷を外したりなんてしない。
目の前にどれだけ可能性があったって、人生では無限に近い面数を持つダイスを振る以上、ほとんどの出目は日の目を浴びない。
俺のダイスには、青春の出目はない。一見するとそんな風に見えるものだって、全部悪魔の絵とセットのはずなんだから。
勘違いなんてしないんだ、絶対に。
「さすがにしつこかったか……ごめんね?」
「……いや、気にしてない」
「いやー、桜井があんな打たれ弱いなんて思わなかったよ~」
「ははは。瀬戸のやり口がエグすぎるんだよ」
すぐにいつもの調子を取り戻す瀬戸に、心の底から救われる。
おかげで、立体化しつつあった母さんの残像が瞳孔の奥に隠れて、また見えなくなる。
「あ、じゃあ私、こっちだから」
そう言って、瀬戸は道を外れる。
といっても、もう学園から俺の家までの距離を半分以上歩いた後だ。
これまで全然気づかなかったけど、本当に近所だったんだな。
「――あと、ね」
「……なに?」
「七瀬さんについてのことは嘘じゃないから、いつかちゃんと向き合わなきゃ駄目だよ」
そして最後の最後に、瀬戸は地雷をバラ撒いて去っていった。
瀬戸の背を眺めたまま、足が止まる。
七瀬と俺の帰り道は真逆だ。
だから、振り向かなきゃいけないのに……振り向けない。
少しでも足を動かしたら、地雷を踏み抜いて重心を失い、座り込んでもう二度と立てなくなってしまいそうだった。
「うおぉ……」
思い通りに動かない下半身を無視し、上半身だけを無理矢理捻ろうとしても、上手くいかない。
上半身と下半身は繋がっているんだから当たり前のことなのだが、今はそれがこの上なく理不尽なことに思えた。
「――――ぁ」
声が漏れる。目の端に、七瀬の姿が見える。他の人は見当たらない。
七瀬も振り返ろうとしたのであろう、中途半端な半身の姿勢で止まっていて、こちらの様子を伺っている。
待ってもらっても、こっちは動けないんだよ。
頼むから放っておいてくれよ。
「…………くっそ……が……」
震える指でスマホを取り出し、トークアプリを起動する。そして、「紗花」の文字をタップ。
気分が悪い。太陽はもう沈みかけているのに、真昼の夏みたいに肌が熱い。
止めどなく汗が流れては、頭の中に浮かんだ言葉を皮膚から排泄してしまう。
まるで言葉がまとまらない。一文字入力するごとに、今から書こうとしているはずの完成形を忘れてしまう。
一文字入力しては、無様に一から文章を考えている。
とはいえ、一秒が一分にも感じられるようなこの緊張感の中でも、永遠に等しい時間をかければなんとかならないことはない。
やっとの思いでメッセージを送信した俺は、もう一度自分の背後に目をやる。
遠くに七瀬の背中が見えることに安堵しながら、俺は膝から崩れ落ちた。
これはもう、短く見積もっても三十分は立ち上がれそうにない。
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