第29回 とても小説を書いていられるような状況でもなく

 2018年という年は、今から振り返ると、凄まじく多忙な時期であった。


 まず、以前にも書いたが、私は某拳法をやっており、さらには町道場の代表者――二人いる内の一人――を務めていたのであるが、その活動が忙しくなったのである。


 もともと「2018年は自分の干支の年! 自分のやりたいようにやる!」という決意を抱いていたので、正直、拳法の道場にかけるエネルギーは例年よりも抑えめにするつもりでいた。


 ところが、そういうわけにはいかなくなった。


 それは、新年になってからしばらく経った後、ある日の練習後の飲みの席でのことだった。

 道場に通う一人の中学生が、希望の高校に推薦入学するため、拳法大会で上位成績を収めたいと望んでいる、という話が出てきたのだ。どうやら私以外の全員は、その話を既に知っているようだった。私が都合悪くて参加できなかった飲み会の場で一度持ち上がった話である、とのことだった。

 寝耳に水――もちろん、自分の道場の子供に関することであるから、力になりたいのは当然の話である。しかし、2018年は執筆にほとんど全ての力を注ごうと決意していたところへ、突然ぶつけられてきた使命であったので、正直戸惑いを隠せずにいた。


「これであいつが大会で上位に入れるか入れないか、高校に推薦入学できるかできないかで、あいつの俺達大人に対する信頼度は変わってくるぞ」


 昔からの道場の先輩は、そう言って、私に迫ってきた。今後、誰かが専属で彼の指導に当たらなければいけない。大会への申込等の手続きもやらなければいけない。そのリーダー役は誰がなるのか。誰がすべきか。

 道場の指導者達は、私も含めて、ボランティアで活動している。無償だ。みんな何かしら仕事を抱えていて、その隙間時間で道場に来ている。それゆえに、いくら私が代表者の一人であっても、「仕事よりも道場を優先してくれ」とは頼みがたいところがあった。他の道場では、平気でそういうことを命じる先生もいるが、それはその先生がかなりのベテランだからこそ出来るのであり、私のように指導者の中でも若手に入る人間では、とても切り出しにくいものだった。

 すなわち、私が率先して、リーダー役となる以外に道は無かった。


「わかりました。僕が指導しましょう」


 そこから、一気に忙しくなった。毎週二回練習日はあったが、それ以外にも休みの日を出来るだけ自主練習にあてて、指導に当たっていた。

 同時進行で、拳法大会への申込をするための書類作成等の各種手続きも行っていた。

 それだけではない。私は、町道場での代表としての顔以外に、東京都の道場全てを統括する組織の一員としても働いていたので、そちらでの事務作業にも追われていた。それこそ、自分が指導している中学生が参加する大会の、エントリー受付等も私がやったりしていたのである。


 よく頑張っていたと思う。


 いや、頑張りすぎてしまっていた、というほうが正しいかもしれない。とにかく良くも悪くも私は真面目すぎた。自分が率先してやらなければ、という思いが強かった。他人に頼んだり、任せたり、押しつけたり……そういうやり方を、不得手としていた。それがかえって、後々にトラブルを引き起こすことになるのだが、当時の自分は何も考えずにがむしゃらに単騎で頑張り続けていた。


 ※ ※ ※


 そして、もう一つ問題だったのが、会社での仕事のことだった。


 2017年から、新しい部署に異動となったのであるが、慣れない業務を前にして四苦八苦していた。

 だが、問題だったのは、業務そのものよりも、人間関係だった。

 とにかくクセの強い人が集まっていて、パワハラ気味な言葉がよく飛んでくる部署だった。私と同年齢の部員が、心を病んでしまい、最終的には地方へと異動になってしまうくらい、容赦のない言葉を浴びせられることが多かった。


 その中でも特に私とそりが合わなかった人物がいた。

 仮に、Y課長としておこう。


 とにかく言い方がいやらしい人だった。


「逢巳さーん、あなた、仕事のやり方が間違っとるんとちゃいますか?」


 一番印象に残っているのは、このセリフであるが、それ以外にも散々な言葉を浴びせられてきた。

 それでも私は、ちゃんと仕事さえ出来れば文句も言えないだろうと思い、地道に頑張り続けた。


 同年齢の部員が鬱になって部署から離脱してしまってからは、下っ端は私だけになり、Y課長以外からもますます当たりが強くなってきていた。


 正直、転職も考えた。

 しかし、いつかは小説一本で生きていきたい、と考えているような自分だったので、いまいち他の会社で心機一転、という気分にはなれなかった。


 なので、非常に強いストレスを感じながらも、この会社での仕事を続けるしかなかった。


 ※ ※ ※


 そして――これは多忙の三本柱の中では、唯一喜ばしいことであるが――2013年に金沢の彼女と別れて以来、数年ぶりに、彼女が出来たのである。


 初めて彼女と出会ったのは、一年前の2017年のことだ。色々と飲み会を渡り歩いていた時に、とある飲み会の場で知り合い、そこから意気投合してLINEのやり取りをするようになっていた。


 2017年は、よく二人で遊びに行ったりした。映画を観たり、新宿のVRゾーンに行ったり、アウトレットモールに行ったり。


 それなりに紆余曲折はあったものの、一年間の交流を通して、二人は正式に交際をスタートした。


 平日は仕事で悩まされ、休日の大半は拳法のことで費やされ、そんな大変な日々の合間を縫って、彼女とデートをしていた。忙しい毎日の中での、一番の癒しの時間だった。


 ※ ※ ※


 かように、隙間時間なんてどこにも無いような状況であり、正直とても小説を書いていられるような状況でもなく、X社のミッションをこなすのは最初から無理難題だったのかもしれない。


 私はまったく気が付いていなかった。自分の心身に、大きな負荷をかけてしまっている、ということに。


 ※ ※ ※


 後宮物語のプロットを送ってからしばらくして、X社より返信メールが来た。


 それは、やんわりとした文章ながら、NGを伝えるメールだった。


 おそらく後宮物としてはメジャーな唐代をイメージしていたのかもしれない。私がプロットで書いた宋代は、あまりにもマイナーということで、読者層には受けないだろう、という指摘がされていた。


 しかし、そのメールには、NGのこと以外も書かれていた。


 どうやら私のTwitterアカウントを見て、そこに書いてあるプロフィールを目にしたようだった。


 X社からのメールは、次のような内容だった。


「他のネタでひとつお願いしたいのですが、逢巳さん、Twitterを拝見する限り、石川県の観光特使のお仕事をされているのですか? 石川(というか金沢ですが)は京都、鎌倉の次にくるのではと考えていて、もしできたら金沢を舞台のほっこりものなど、ご検討いただくのは可能ですか?もう少し読者へのハードルを下げられたらよいかなと。何卒ご検討のほど、よろしくお願いいたします」


 願ってもいない話だった。金沢なら、自分にとって大得意なテーマである。しかも先方が言うように、読者へのハードルはそれほど高くない。後宮物語よりはよほど一般受けしやすい題材だと思った。


「石川県は、案、問題なく練ることができます。いしかわ観光特使はボランティアですが、一時期、月に2回は石川県に行き、友人も多くおりますので、その内容であれば企画を作れます。取り急ぎ企画書を作り始めます。よろしくお願い申し上げます」


 そして、バタバタする日々の限られた隙間時間を使って、新しい企画書を作り始めた。

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