第40話 高所恐怖症にこの仕打ちはまずいから!


「なんていうか…本当にごめんね」


 日色君がわざわざクラスまでやってきて、先日の幼馴染の非礼を詫びてくれた。日色君が悪いのではないのに本当に真摯な人である。…私は周りからチクチク刺さる視線に半笑いを浮かべる。


「いや、大丈夫…気にしないで」


 噂になっていた日色君とこうして一緒にいるところを見られても、陰口されることはなくなった。

 なぜなら新たな噂が蔓延しているからだ。


 日色君と私の噂が消えて、代わりに沙羅ちゃんと私が百合ップルという事実無根な噂がまことしやかに囁かれているのだ。

 今現在、私の下駄箱にはほぼ毎日「巫女姫と別れてください!」と書かれたシンプルなお手紙を入れられていたりする。あのタコ助がいなくなった今、配下の巫女姫親衛隊は解散させられたそうだが、陰ながら沙羅ちゃんを慕い、愛でている団体が新たに結成されたそうで…今は手紙だけで済んでるけど、嫌がらせに発展したらどうにかするしかないかなぁ。

 ……こればかりは誤解が解け、落ち着くのを待つしかない。


 しかし、沙羅ちゃんと親しくなりたいなら自分たちから声を掛けたらいいのに、どうして私を引き離そうと…今回は同性愛カップルと誤解を受けてるんだけどさ……沙羅ちゃんに彼氏ができたらどうするんだろうこの団体……。


「大武さん? どうしたの?」

「え? あぁうんなんでもない」


 それならこの日色君も同じことだ。

 めぐみちゃんがあの状態だと、日色君は苦労するだろうなぁ……


「日色君も…困ったことがあったら言ってね?」

「…うん? ありがとう」


 日色君はなんのこっちゃとばかりに不思議そうに首を傾げていた。

 まぁこの彼なら私の助けがなくとも簡単に問題解決に至りそうなんだけどね。



■□■



 問題が去り、穏やかな日常が戻ってきた。そう思っていた私だったが、ちょっとした問題にぶち当たっていた。

 昼休み、私はとある女子生徒に睨まれていた。


「巫女姫を隠れ蓑にしたつもりかもしれないけど、私の目は誤魔化されないわよ」

「……何のことを言ってるのか…」


 2年の先輩に通せんぼされて睨みつけられたと思いきや、突然そんなことを言われたのだ。

 場所は中庭付近の渡り廊下。今週は中等部が中間テスト期間のため、沙羅ちゃんはいない。私は秘密基地でぼっち飯するつもりでここまで来たのだが足止めを食らった。

 2年の普通クラスの制服を着用した女子生徒が2人。彼女たちはどうみても友好的な態度ではない。

 …ところでこの人たちは誰だろう。悪いが、上級生とは全く関わりがないので、よく知らないのだが…


「あんたはあの日色王子に近づいて、あわよくば彼女になろうって思っているんでしょう!!」

「……?」


 聞き間違いでなければ、今「王子」って言った? 日色王子…日色君…そんなあだ名あったんだね……私が言葉を失って黙り込むと、それを別の意味で受け取ったのか、目の前の先輩は胸を張ってふんぞり返っていた。

 

「Sクラスの優等生、次期生徒副会長就任を確実視された彼があなたみたいなミソッカスと付き合ってくれるとでも思ってるの?」


 ひでぇ。またミソッカス言われたし。

 違うもん、もっと他にも能力あるもん。だけど日色君が口止めしてきたから公表できないんだもん。

 何だよこの人、初対面にも等しい後輩に向かって暴言はいて……日色君のことが好きなのか? 巫女姫ファンクラブと同じタイプか?


「王子に近寄らないでよね。言う事聞かないなら痛い目みるわよ」


 そう言ってお仲間が手をワキワキさせながらこちらに近寄ってくる。私がどんな返事をするかによって、制裁が加えられることが確定するみたいだ。

 だが、そんな事…彼女たちに命じられるいわれはない。


「お断りします。誤解をされているようですが、私と日色君は友達です」

「友達ぃ!?ふざけないで!!」

「王子があんなふうに笑っている姿を私達は見たことがないのよ!? 手の届かない王子のはずなのに…イメージが崩れるでしょうが!」


 ???

 彼女たちは何を言っているんだ。日色君は最初からよく笑う人だったぞ。……まぁ、そりゃあ…初対面の時は作り笑いみたいな笑顔を浮かべていたような気もしないこともないけど…


「日色君が笑っていたらなにか都合が悪いんですか?」


 別にいいじゃないか、笑っても。

 悲しい顔されるより何倍もいい。


「そばにあんたがいるのが問題なのよ! 彼女になりたいとかそういうわけじゃないなら弁えなさいよ!」

「彼の価値が下がるでしょ!」

「……」


 価値って…

 巫女姫親衛隊みたいなこと言ってる……もしかして日色君にも親衛隊が非公式で存在してるのかな…

 彼女たちの勢いに引きながら、私は目を動かして周りの様子を確認した。


 何度も言うが、ここは中庭近くの渡り廊下。生徒が行き交う通路である。

 そんな場所で騒いでいたら注目を浴びるってものなのだが、彼女たちはまったく気にもとめない。私は先程から集中している周りの視線がとても気になっているというのに。

 沙羅ちゃんとの疑惑がまだ残っているところに、再度日色君との噂が浮上したら、私はとんだ悪女になるじゃないか。両刀の二股女になっちゃうじゃないか! やめてくれないかな!!


「ちょっと、聞いているの!?」


 日色君が好きなのか、それともアイドル視しているのかは知らないけど、なぜ本人に接近しようとしないのか。こうして周りの人間に牽制して何が楽しいのか……沙羅ちゃんの状況と同じじゃないか。


「とにかく、お断りします。私と彼は友人です。行動を制限されるいわれはありません。…日色君に好意をお持ちなら、直接本人に伝えたほうがいいですよ?」


 一応相手は先輩だ。

 最低限の礼儀は払った上で断り文句を吐き捨てると、私は踵を返す。いつまでもここで道草食っていたらお昼ごはんを食い損ねる。どうせ話は平行線のままなんだからここで切り上げてしまったほうが身のため……と思っていた。

 ──その時までは。


 コンクリートに砂利を埋めて作られた地面を踏みしめた私は異変を感じた。何故かぐにゃりと地面が柔らかかったのだ。

 次に気づいた違和感は、どんどん身体が浮遊していく感覚だ。


「!?」


 …比喩じゃない。身体が浮いている。

 私の身体はふわふわと宙を舞い、どんどん上昇していた。


「やっ!? なに!?」

「下ろしてほしければ頷くことね。王子に二度と近づかないって」


 どんどん地面が遠くなっていく。

 自分の身長の倍、更に倍の高さまで持ち上げられた私はパニック状態に陥った。

 私は高所恐怖症なのだ!!


「いやぁぁ! おろっおろしてっ!」

「わかりましたって一言言えば下ろしてあげるわよ」


 私が怯えて怖がって暴れている姿を、彼女たちはおかしそうに笑ってみていた。ただのいじめっ子じゃないか!

 片割れが手を動かすと、それに合わせて私の身体が動く。ガクガクと振り回され、私は口から魂を吐きかけていた。

 訳わかんない。なんで私浮かされてるの。

 無理、ムリムリ…!!


「ピンクのフリルレース!」


 それは知らない男子の声だった。その単語に私は一瞬我に返る。

 ピンクのフリルレース……? ギュッと閉じていた目を開けてみると、頭の下に人の姿……いや、私が逆立ちの体制になっているんだ。

 私は気づいてしまった。

 スカートが思いっきり捲れていることに。


「いやぁぁあああ!」


 大慌てでスカートを抑えるが、完全に見られてしまった。しかも大声でパンツの色を暴露された。

 恐怖と恥ずかしさで身体が震えた。

 スカート捲りまでせんでよくない? なんなん小学生かよ……。

 悔しさと情けなさで私は嗚咽を漏らした。涙は頬でなく、おでこに伝っていく。過激なファンに絡まれるし、周りの人は見ているだけだし、パンツは見られるし、高いところに飛ばされるし踏んだり蹴ったりだ……。

 落ち着け、私。PKバリアーで対抗できるかも……ぐらん、ぐらんと身体が揺れる。

 ──エネルギーに意識を集中させたが、不安定な空中で操られている私は恐怖が先行して気が遠くなりかけていた。


「“今すぐに下ろすんだ!”」

 

 私が意識を失いかけていると、あの不思議と従ってしまう声が聞こえた。途端、浮かされていた身体が急降下して行く。

 何も構えていなかった私は、地面に叩きつけられるんじゃ…と思っていたけど、そんなことはなかった。ドサリと衝撃はあったが、地面じゃなくて二本の腕がしっかり私を受け止めてくれたのだ。


「…大武さん、大丈夫?」

「ピッ!」

「…日色君、ピッピ…?」


 涙で歪んだ視界の先には心配そうな顔をしている日色君と、彼の頭に乗っているピッピの姿があった。私を受け止めてくれたのは日色君だった。

 日色君は涙で濡れた私の目元を指で拭ってくれる。「もう大丈夫」と掛けられた言葉の心強さよ……私は彼の腕の中でブルブル震えていた。

 高所恐怖症舐めんなよ。まじで怖いんだからな…!

 

 正常な思考に戻った私は恐ろしいことに気づいてしまった。そういえばピッピ…どうして日色君と一緒に……なんでここに日色君が……!?

 全身の血の気が引いた。私は日色君の腕を掴むと、こわばった顔で恐る恐る問いかけた。


「……パンツ、見た?」

「……ごめん」


 私の問いに日色君は目を丸くすると、気まずそうに目をそらして謝罪してきた。こころなしかその頬は赤らんでいる。


「うわぁぁぁっ!」


 それには私は絶叫した。

 なんで、よりによって日色君に!


「大丈夫、大丈夫だから落ち着いて!」

「全然大丈夫じゃないよ! どうして見るの!? 忘れてよ!」


 急激な羞恥に私は全身発熱を起こしていた。

 日色君はギャンギャン喚く私を落ち着かせようと私の背中を撫でてくれるが、落ち着けるはずがない。


「とにかく移動しよう、立てる?」


 彼から手を差し伸べられたので、その手を取って立ち上がろうとしたが、腰に力が入らない。


「……腰が抜けて立てない…」


 日色君は眉を八の字にして困った顔をしていたが、くるりと回って私に背中を向けた。


「乗って、医務室に連れて行くから」

「ん…」


 腕を伸ばして乗ろうとすると、周りにいた人が補助してくれたので日色君の背中に無事乗れた。

 あ、おんぶされると視界が高くなる。先程の空中高い高いを思い出してゾクッとした私は日色君の首にぎゅうとしがみついた。

 それが苦しかったのか、日色君の肩に力が入ったので慌てて力を抜いた。


「ピッ!」

「いてぇ! 何だこの鳥!」


 何故かピッピがその辺にいた男子の髪の毛をむしっている。急にどうした。


「ピッピ、おいで」


 日色君が慣れた様子でピッピを呼び寄せる。ピッピは仕上げにつんつんつんと男子生徒の頭皮をくちばしで突いた後、私の頭の上に飛んできて着地してきた。

 ファッサァ…と頭上から人間の髪の毛みたいなものが目の前に降り落ちてくる。──ピッピよ、抜いたんか…あの人の髪の毛…


 すっかり注目の的となっていた私達。私は恥ずかしくて日色君の肩へ顔を埋めた。彼はというと実行犯の2年女子生徒らに何やら呼び出しをかけていた。


「あなた方は今すぐに風紀委員会室に出頭してください」

「えっ!?」

「話はそれから伺いますが、反省房行きは覚悟しておいてくださいね」


 2年女子の「王子、いえ日色君の為にやったことなんです」と言い訳する声が聞こえてきたが、日色君は静かに「それは後ほど尋問しますから、先に行ってて頂けますか」と告げていた。

 その声が妙に冷たく聞こえたのは気のせいだろうか……


 日色君が歩きはじめたことでその振動が伝わってきた。頼む、私を誰もいないところへ連れてってくれ。今すぐに鎖国がしたい。

 なのだが程なくしてピタリ、と立ち止まった日色君。

 どうしたのかと顔を上げると、日色君は先程ピッピに髪をむしられていた男子生徒の前にいた。相手は3年生。だけど日色君は怯みもせずにキッパリ言った。


「先ほどの事は忘れてくれますか…?」

「は、はい…」


 私のために口止めをしてくれたのか…! なんと気の利く男なんだ君は…。この場にいる人皆忘れてくれ、頼む。

 紳士な日色君の気遣いに私はジーンとして感動していたのだが、ひとつ気になったことがある。


 なんかあの男子生徒、青ざめてなかったか?

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