第32話 ピッピの冒険【三人称視点】
そのブルーの美しいセキセイインコは一般家庭で飼われていました。彼にはかつて別の名前がありましたが、なんと呼ばれていたか今では覚えていません。
飼われていたお家には他にもセキセイインコがいました。彼は先住インコの兄弟として新たに迎え入れられたのです。ですが先住インコからしてみたら飼い主の関心を奪う邪魔者に見えたようで、顔を合わせると威嚇される始末でした。
彼はいつも鳥かごに閉じ込められていました。
たまに放されることがあっても、狭い部屋の中を飛ぶことしか許されません。その自由な時間も僅かです。
彼は夢を見ていました。
窓の外から見えるあの青い空を自由に飛べたらどんなに楽しいかと。この檻から飛び出して飛んでいきたいなと。
そしてとうとうその機会と巡りあいました。飼い主の不注意で開きっぱなしだった窓から脱走したのです。
彼は自由になりました。
空を羽ばたけば人間は追いつかない。ようやく、なにものにも縛られない世界を手に入れたのです。
世界はこんなにも広いのか、外の世界は美しい。瞳に見えるものすべてが新鮮に映りました。ビュンビュン流れる風にのって、遠くまで、更に遠くまで飛び続けました。
……彼は知らなかったのです。
自由とは、責任を伴うということを。
冷たい雨の中、雨宿り先を探してさまよえば縄張り意識の強い鳥に追い払われ、食事にありつこうとすれば、腹をすかせた他の動物に奪われました。大きなカラスや野良猫に追い回された事もあります。
彼の求めた自由とは、自分のことは自分で責任を持つこと。縛られない代わりに守るものは何もありません。彼の夢見た外の世界で生きることは、危険を伴うものでした。
飼われていた家に戻れば、自由を縛られることを条件に、安全な環境で温かい寝床、豊富な餌、きれいなお水を与えられることでしょう。
ですが、退屈な鳥かごの中に戻りたくない彼は敢えて厳しい道を選んだのです。自然の厳しさに心が折れそうになった事もありますが、諦めませんでした。
自由を選んだ彼は向かい風に負けずにたくましく成長しました。
遠くへ遠くへあてもなく飛び続けた彼は聞こえてくる【声】に惹かれて、とある建物の近くに降り立ちました。その周辺は彼が今まで見てきた街とは少しだけ雰囲気が異なり、なんだか不思議な雰囲気です。
『あら、初めて見るお顔ね』
驚きました。人間と会話をしたのは初めてだったのです。彼女は動物の心がわかる人間でした。
鳥かごに縛られたくない彼は今までのことを彼女に話すと、彼女は「そうなの」とうなずき、宿と餌を提供してくれました。
望めば外に放ってくれます。
彼はそこへ長居するようになりました。彼女のそばにいるフクロウやモモンガも彼を威嚇するわけでもなく、程よい距離感で接してくれます。そして檻に閉じ込められる訳でもない。とても居心地が良かったのです。
それからしばらくののち、彼は一人の少女と出会います。
艷やかな黒髪をポニーテールにした藤という名の女の子です。彼女からは懐かしい香りがしました。彼がいた外の匂いです。
名無しだったセキセイインコは藤から名前をつけてもらいました。ピッピという安易すぎる名前でしたが、彼は嬉しかったのです。ピッピは彼女と行動を共にするようになりました。
彼女たちは決して鳥かごに閉じ込めたりはしませんでした。温かい寝床、餌にお水を与えてくれます。ピッピの望むまま自由を与えてくれました。
ピッピは毎日が楽しいと感じるようになったのです。この世界はピッピにとって素敵な場所に変わりました。
そうしてピッピの望みは叶ったのです。
■■■■■
「人に見つからないようにね…お願いね、ピッピ」
あまりいい雰囲気ではない人間によって捕まった藤を追って、こっそり忍び込んだピッピは彼女に伝言を頼まれて反省房から飛び出しました。藤は冤罪を被せられ、中等部校長によって収容されてしまったのです。
ここは鳥かごよりも最悪な場所かもしれません。なんたってここには窓がありません。ピッピの好きなお空も見えないのですから。
殺風景な壁が四方を覆っており、ここに居るだけで気分が滅入りそうです。こんな場所に藤を置いておけないと、ピッピは必死に羽根を動かします。
「うわっ!? 鳥? シッシッ!」
途中反省房の監視員に見つかりましたが、相手は迷い込んだ鳥だと思いこんでいるようです。ピッピを追い払うために、建物の扉をご丁寧に開けてくれました。
ピッピは大空へ羽ばたきます。
目指すは、動物の言葉がわかる小鳥遊さんのもとです。
ピッピは授業中の教室に乱入すると、授業を受けていた小鳥遊さんの机に着地して必死に訴えました。周りの人間はおどろいていましたが、ピッピは今さっき見たものを包み隠さずに話しました。
事態を重く受け止めた小鳥遊さん。小鳥遊さんは巫女姫と呼ばれる特別な少女とは親しくありませんが、藤と彼女が親しいのを知っています。
授業が終わるなり、お隣のS組へ出向いて日色君に伝言してくれました。
──藤は何もしてないのに拘束されて頭をぶつけた。意識のない彼女は鳥かごのような場所にいれられた。
そう聞かされた日色君は彼らしくなく、険しい表情を浮かべていました。それには小鳥遊さんもピッピもビックリです。
彼は次の授業が始まるのも構わずに、急いである場所へ向かいました。
「あっ、ピッピ!」
ピッピは日色君の肩に飛び乗ります。
きっと彼なら藤を助け出してくれるだろうと信じていたからです。
社会科準備室にいたのは高等部の社会科の先生でした。ピッピも授業で会ったことがあります。社会科の時間になるとウトウトする藤を起こす役割を担っているのはピッピです。
彼は突然荒々しく来室した日色君に驚き、窘めようとしていましたが、彼の口から中等部校長の単語が出ると、難しい顔をしていました。
「よりによって中等部校長の元にか…」
「反省房に入れられてしまったようです」
人間たちが難しい話をしています。ピッピは賢いですが、人間の言葉がすべて分かるわけではありません。早くしろと急かすことしか出来ません。
とにかく事情を確認するために、反省房から出す手続きを取ると、社会科の先生は椅子から腰を浮かせました。
その日、藤は帰ってきませんでした。
社会科の先生は藤が反省房から出られるように手続きをしてくれましたが、どこからか圧力がかかって彼女をあの鳥かごから出せなかったのだそうです。
藤がいない夜は何度がありました。
ここへ来るまでは一羽ぼっちだったピッピは慣れっこです。ここには小鳥遊さんやアニマルパラダイス仲間たちもいます。
ですが、やはり藤がいないと寂しいのです。
「ホウ」
「ピ…」
フクロウのフクちゃんにピッタリくっつくと、ピッピは目を閉じました。
■■■■■
翌日、いつもの調子が出ないピッピは小鳥遊さんの頭に乗って一緒に登校してきました。今日は食欲もなく、水を少し飲んだだけです。
あの最悪な鳥かごに閉じ込められた藤のことが心配でお腹が空かなかったのです。
「小鳥遊さん」
「あ、日色君おはよう…」
そこへ声を掛けてきたのは日色君です。昨日はピッピの訴えを聞いて東奔西走してくれた彼ですが、顔色が悪く緊張でこわばった顔をしていました。それを見た小鳥遊さんは驚いた顔をしています。
「…巫女姫の容態が悪化しているそうだ」
「えっ」
日色君の声音や小鳥遊さんの反応でピッピは悪いことがあったのだと察してしまいました。
ピッピは聡いセキセイインコです。人間の言葉がわからずとも、彼にも状況が良くないことは理解できました。
「緊急ということで水月さんの保護者が呼ばれた」
「……能力の枯渇による衰弱が原因なの…?」
小鳥遊さんは藤の見立てを信じていなかったわけじゃないですが、教職員、それも校長によって利用された生徒が衰弱死するという恐ろしいことを信じたくなかったのです。
日色君は重々しく頷きます。小鳥遊さんは言葉を失ってしまいました。
「この学校に来たばかりの大武さんが気づいて、ずっとここにいた僕らが気づかないなんて…情けないね」
日色君は落ち込んでいるようでした。
それは怒りにも似ています。非力な自分に腹を立てているのです。
日色君は頭がいいですし、人望もあります。その上レア能力持ちですが、衰弱している巫女姫を回復させることは出来ませんし、冤罪で収容された藤を出してあげる権限もありません。
彼はあくまで学生。この鳥かごのような都市に閉じ込められた鳥なのです。
ピッピは彼の気持ちがよくわかりました。
ピッピはとても勇敢なセキセイインコです。ですがいくら彼に勇気があっても、人間世界のゴタゴタを解決する力はありません。
日色君の頭に飛び乗ると、毛繕いをしてあげました。悲しそうだからです。彼が手を差し伸べてきたのでその手に留まってあげます。
頭を手のひらにこすりつけると、日色君はぎこちない手付きでピッピを撫でてくれました。
「大丈夫よピッピ。大武さんをすぐに出してもらうから」
小鳥遊さんが安心させてくれようと話しかけてくれましたが、ピッピは状況がますます悪くなったような気がしてなりませんでした。
──わぁ…! とどこからか歓声に似た声が上がりました。その中心には大きなスーツケース引っさげたおじさんがいました。
生徒が『教頭先生』と口々に発していますが、誰でしょうか。その人はピッピの知らない人でした。
「すまんな、あっちでの引き継ぎが時間かかって帰国が遅れてしまった…」
おじさんは日色君の知り合いのようです。日色君に謝罪を入れると、日色君は首を横に振りました。彼はいつもの柔和な目つきを珍しく鋭くさせると、真剣な表情で言いました。
「不正の証拠はすでに集めています。早くせねばあの中等部校長はやりかねません」
「あの強欲な男だ。奇跡の巫女姫をも消しかねんな」
このおじさんは来たばかりなのに何もかも知っているようでした。
なぜでしょうか。
ピッピにはこの人がものすごく頼りになる存在に見えました。
確証はありません。
ピッピの野生の勘のようなものです。
そのおじさんの行動は早かったです。
おじさんを慕う人が周りに集まってきて、次から次に行動を起こし始めたのです。
一人が動けば二人目が動き、他の人もそれに続く。それは次第に大きな力となり、中等部校長を罷免すべく事態は大きく変わり始めたのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。