第30話 命の水を作る少女【水月沙羅視点】
両親のことはおぼろげにしか覚えていない。
色濃く覚えているのは、お母さんが国の人達に逮捕されていく姿。私に手を伸ばして必死に叫んでいた。
それと、お母さんの作ってくれた誕生日ケーキのことも覚えている。
あの日食べられなかったケーキは一体どうなったのだろうか?
私の7歳の誕生日に私のこの能力は発現した。
場所は当時通っていた小学校。何かの拍子に私の能力が出現し、周りの同級生が騒ぎ始め、そこから話は広がったのだ。
超能力という存在を知ったのもその日。うちにやって来た国の偉い人に、全寮制の学校に入る必要があると説明を受けた両親の反応はバラバラだった。
仕方がないなと諦める父と、私を抱き込んで断固拒否の姿勢を示す母。
国の人に説得された父がいろんな書類にサインしていく隣で、母は私を抱っこして泣いていた。そして耳元で言ったのだ。
『逃げようか、沙羅』
私にしか聞こえない声量で囁かれた言葉。
母が悲しんでいるのをわかっていた。もう会えなくなるってわかっていた。だから母に抱きついて返事をしたんだ。
夜中に家から抜け出した母は小さなカバンしか持っていなかった。中には私達のパスポートと通帳、印鑑など必要最低限なものだけ。母は必要なものは現地で買い揃えようと言っていた。無計画な逃亡だったが、「お母さん頑張って働くからね」って母が言うから、私は黙って頷いた。
だけど逃げようとした私と母は捕まった。
通報者は父だった。
『子どもならまた作ればいいだろう』
『よくもそんなこと言えるのね!』
父と母は口論していた。当時の私は幼かったけど、父の発言を今でも覚えていた。その言葉にどんな意味が含まれているのかは知らないけど、見捨てられてしまったのだと感じた。
私と母は引き離され、予定を前倒しで閉鎖されたこの彩研究学園に連れてこられた。母は逮捕され、風のうわさで父と離婚したという話を聞いた。
毎日、母恋しさで泣いていた。知らない人ばかりの土地に馴染めず、私は毎日沈んでいた。
母に沢山手紙を書いた。しかし、待てど暮らせど返事は来ない。段々と私も手紙を書く回数が減っていった。
それでも時折手紙を送ってしまうのは諦めが悪いからであろう。
…私はお母さんにも見捨てられてしまったのだ。
学校でも私はひとりだった。
同じ超能力者なのに、学校にいる子達はみんな私を避けた。新しく編入してきた子が話しかけてくれて、嬉しくて沢山おしゃべりしたのに、翌日になれば離れていくのだ。
最初は私が悪いことを言ってしまったのかと思って相手にそっと尋ねるけど、みんな口を揃えて言うのだ。
“特別な女の子”
“あなたは奇跡の巫女姫だから”
と。
それを言われる度に、私が私じゃなくなる気がした。
私という人間に“巫女姫”という人格を充てがわれ、それらしく振る舞うようにって圧力を掛けられているみたいで……
友達が欲しくて何度か頑張ったけど……みんな、私を特別扱いしては離れていった。
『お母さんに会わせてあげようか?』
孤独に過ごしていた私に掛けられたその言葉は蜜よりも甘い甘言だった。
幼くて愚かな私は素直にその言葉を受け取った。その人の言われるがままに、命の水を作りだした。
お母さんに会いたい、その一心だったのだ。
だけど、命の水を作っても作ってもお母さんには会えない。
まだ頑張りが足りないのだと思った。能力を使いすぎて体調を崩しても、回復した後にまた頑張った。
お母さんに会えるなら。
それが私の心の拠り所だったのだ。
その子と会ったのは偶然だった。
高等部に珍しい編入生がやって来たというのは噂で聞いてきた。私は中等部生なので、軽い噂しか聞けていなかったけど、今まで能力が判明せずに外に暮らせていたその人がとても羨ましいなって思っていた。
私はどこにいても視線を感じていた。皆が奇跡の姫巫女と注目してくるのだ。それに耐えきれなくて人気のない場所に避難したそんな時に彼女と出会ったのだ。
彼女は沢山の野鳥たちにパンを小さくちぎって与えていた。私は鳥が好きだったので、沢山の鳥たちに囲まれている彼女が羨ましくてその様子をじっと眺めていた。
邪魔するつもりはなかったけど、彼女に「パンあげてみる?」って声を掛けられた時、驚いたのと同時に嬉しかった。そして……彼女も私のことを知ったら離れていくんだろうなって諦めの気持ちもあった。それでも人と話すことに飢えていた私は嬉しかったのだ。
藤ちゃんはおしゃべりが大好きな明るい女の子だ。
元々通っていた高校を1週間で転校になった彼女は、能力が出現した時の話、外の世界の様子、好きなものの話、そして藤ちゃんのご両親やお友達のことを沢山お話してくれた。いつも私は聞き役に回っていたけど、彼女との時間はとても楽しかった。
だけど、外の話をされる度に私はひどく重く悲しい気分になった。それを察した藤ちゃんはそれから外の話をしなくなり、学校内での話しかしなくなってしまった。藤ちゃんは優しい女の子だ。
彼女の優しさに感謝しつつも、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
背は私より高くて、手足がスラリと長い藤ちゃん。艶のある髪は直毛で動く度に揺れるポニーテールがとても良く似合っている。綺麗なアーモンド型の瞳はキラキラと輝いていて、彼女が笑うとこちらもつられて笑ってしまうのだ。
ピンクのリップを引いたような健康的な唇から溢れ出す言葉は心地よく、まるで歌。私の知らないことをたくさん知っている彼女が眩しく輝いて見えた。
外の世界にいた彼女はまるで鳥のようだった。
この箱庭の中でも、自由気ままに飛ぶ鳥。
そんな彼女と仲良くなってもいいのか? と私は迷った。
私は彼女には言えないことをしている。
その真実を知られたら、藤ちゃんはどんな反応をするだろうか?
私は愚かだった。今では自分がやってることは間違っていると自覚しているのに、言われるがままに命の水を作り、それを校長先生が売る。相手は決まって権力者やお金持ちにだ。
私の作る命の水は人の命を救うはずなのに、人助けをしているはずなのに、何かが違う。
命の水を作るたびに、私の心は削れて死んでいくような気がした。
大切な友達に元気になって貰うために水を出すのは辛くないのに、なぜなのだろう。
命の水の効き目が悪いと校長先生に注意された。
同時に、この力を勝手に使うなと注意された。
私の力だ。私を庇って能力を限界まで放出した藤ちゃんのために使って何が悪いんだ。と反抗したかった。だけど私は校長先生が怖くて何も言い返せなかった。そして言われるがままに水を作り出す。
校長先生は私が倒れようとお構いなしに、依頼があれば水を作れと命じていた。
このことを藤ちゃんに知られたら、軽蔑されてしまう。それが恐ろしくて、私は藤ちゃんを避けるようになった。
政治家の先生だというおじいさんにお水を作ったとき、以前よりも効き目が悪くなったと指摘され、校長先生にまた叱られた。
なぜ叱られなきゃならないのだ。
私の力は金儲けのために存在するのでは無いのに。
反抗したいのに出来ない。なぜなら私はもう既に共犯者になっているからだ。この力を悪用してきた。
私は悪い子。
きっとお母さんにも藤ちゃんにも嫌われる。
彼女たちに軽蔑されることを想像するだけで体の芯から凍りついてしまいそうだった。
そして今日も私は命の水を作り出す。
身体が寒くて、怠くて調子が出ない。
いつまでこんなことを続けなくてはならないのだろう。
もう疲れた。
──もう嫌だ。
藤ちゃんに自分の罪を自供した後、私の意識は底なし沼に沈み込みゆくようになくなった。
身体が重い。
このまま私は死んじゃうのかな…?
……それでもいいかも。
だって私の望みは叶わなかった。
どんなに頑張ってもお母さんには会えなかったのだから。
死んだら鳥になりたい
ここから飛び出してしまいたい。そうしたらもう何にも縛られない。
青空に向かって飛翔して、どこまでもどこまでも遠くへ飛んでみたい。
でも、そうなったら私はもうおしゃべりを楽しむことはできなくなるのね。藤ちゃんともお喋りができないんだ…
…お母さん……
どうしてお手紙の返事をくれないの? お母さんに会いたいよ…
今ではもう、お母さんの顔すら思い出せなくなってしまった。
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