中村朋美の章
第35話 宿罪
(もう、どうなってもいい。城東女子の中でどんな噂を言いふらされても構わない。中央高校でも、ぼくの高校でも、同級生や後輩のみんながどんな話しをしていようが構わない。たとえ、街中の人間全部がぼくに後ろ指をさそうが、ぼくにはまったく関係ない。)
少年は、虚ろな目で電車の窓から見える街並みを眺めていました。しかし、今はその街並みでさえ、少年には辛いものでした。少年の眺める先のそちこちに、理恵子と歩いた街角が目に入るからです。
(ぼくは理恵子の尊厳を穢し、朱美の思いを踏みにじった。それは確かなことなんだ。そんな男がどうなっても自業自得じゃないか。それが理恵子と理恵子の家族、三人の命を奪ったぼくに課せられた罰なんだ。)
少年は、朱美から殴られた頬の痛みよりも、それによって負った心の痛みに耐えかねていました。しかし、少年にとって、その痛みは、彼自身が甘んじて耐えて受け入れなければならないものなのでした。
朱美のマンションからの帰りの道すがら、少年は自分の行いを恥じ、朱美に恥じ、理恵子に恥じ、麗美おばさんに恥じ、自分が愛した素晴らしい女性たちすべてに対して恥じたのでした。
そして、誰に対しても、正当に自分の立場を主張することもできない自分の惨めな境遇を恥じました。
あとはこの場所から逃げるだけです。この現実から逃げるだけです。それがどんなに卑怯なことであるとしても、今の少年にはそれはどうでも良いことです。少年はどこまでも後ろ向きに、自暴自棄になっています。
(どうせ自分はこの街を出る、そして、2度とこの街には戻らない。この街での思い出はあまりにも辛すぎる。駅の中、街角、店、すべてに理恵子との思い出がある。)
少年の意識はすべての過去からの逃亡につながっていました。自分ではなにひとつ解決できない未熟さを自覚しつつ、つらい思い出から、ひたすら逃げることしか考えが及びません。
(今は受験勉強にだけ専念して、東京に出てさえ行ければいい。後は都会の人混みに埋もれてひっそりと生きることができる。そして、故郷の誰にも知られずに、いつの間にか野垂れ死にするのが、ぼくにはお似合いだ、)
子供の頃のように、麗美おばさんの胸で泣いて甘え、麗美おばさんに優しく慰めてもらうことは、少年の選択肢の中にはありません。
たとえ、僅かなりとも少年にその気があったとしても、彼女との物理的な距離は少年にとっては絶望的に遠く離れているように感じたことでしょう。
少年に唯一残された選択肢は、現実から逃げて隠れる道を選ぶことしかありませんでした。たとえそれが視野狭窄によるものだとしても、少なくとも現時点での少年には、それしか考えられませんでした。
実は、それを防ぐ彼が救われるための鍵は、ちゃんと少年の目の前に用意されていました。土屋朱美という少女がその鍵を握っていたのです。彼女そのものが彼の救いの鍵でした。
少女は少年の未来を心配して、自らの身体を少年に捧げました。それが少女としてはどれほどの決意の必要なことであったものか。しかし、少年はそれを自分の意志で捨て去ったのです。偏狭で醜悪なる自分の意志で……。
振り返ってみれば、彼の周りには素晴らしい女性がいつもそばに居てくれたのです。彼を愛し、彼の将来を案じて自ら身を引いた、美しいおばさん、彼のために献身的に愛を捧げ、常に彼のことを思いながら異国の空に散った美しい 少女、そして、彼が立ち直るために自らの体を投げうった健気な少女…。
(……慎一くん、そうやって、また逃げるの。いつまで理恵子さんのことを言い訳にして自分を守ろうとするの。)
少年の耳朶には、あの時の朱美の言葉がこびりついています。
(自分は自己チュウに自分を守るために現実逃避をして逃げているのか?……いいや、違う。ぼくは理恵子の命を奪った罪を背負い、その罰として社会からの排斥を甘んじて受け止めているんだ。……これは,、あの日から,、ぼくに課せられた宿罪なんだ。)
しかし、彼がどのように自らの行動や考えに理屈をつけようとしても、その朱美の言葉は、どこまでも彼を追いかけて来るかもしれません。恐らく彼が都会に逃げ込んだとしても、彼の耳にこびりついた朱美の声は消え去ることはないでしょう。
しかし、少年には、今更この状況をリセットする方法が他には見いだせませんでした。しかも、見いだすつもりさえも彼にはありませんでした。
わざわざ現状を打開するための苦しい道を選ぶよりも、あと数ヶ月のみを静かに雌伏して、別の世界へと逃げ込む安易な道を望んでいました。
そして、その別の世界で、心から愛した女性を偲び悼む安易なダンディズムにひたるのです。それが単なる自愛の自己満足だと分かっていても、少年はそれで良いと思っていました。
この日以後、少年にはもう二度と土屋朱美からの連絡はありませんでした。
**********
それでも少年は、まだ毎日の学校への通学をやめるわけにはいきませんでした。土屋朱美と会うことはなくなっても、通学のために駅に行けば、同級生や後輩の好奇や侮蔑の視線から逃れることは出来ません。
そして、その毎日の通学の時、駅で後輩の中村朋美を時折見かけることがありました。
土屋朱美とともに、もうひとつ残された少年が救われるための鍵、それこそが朋美であったかもしれません。しかし、少年は、この朋美からも隠れるようにして通学をするのでした。
(朋美ちゃん、ぼくは本当にダメな人間なんだ。自分が一番よく分かっている。……ぼくも久美ちゃんと同じ気持ちだ。ぼくのことは、どうか、もう探さないでくれ。お願いだ。)
その少女は、少年を必死に探しているのか、いつもキョロキョロと辺りをうかがっている様子でした。そして、少年の姿を見つけると、彼女は何か必死に声を掛けようとしている素振りが見えました。
でも、それを引き留める朋美の友人達がそこに立ち塞がります。そこで友人たちの壁を乗り越えるほどの行為までには、なかなか踏み込めない少女でした。
まるで彼女たちの舌打ちまでもが聞こえてきそうな冷たい視線が、少年の背中に突き刺さります。彼女たちにとっては、慎一の存在そのものさえ疎ましいものだったことでしょう。
一方の少年もまた、彼女達にはまったく気づいてもいないような素振りをして、改札の中に消え去るように、足早にその場を過ぎ去るのでした。
それが、慎一も了承した柏倉久美子との約束でしたから。
**********
電車通学の短い時間、少年は窓の外の景色に目をやるのを、もうやめたのでした。僅かな短い時間であっても、今の少年にとって、その景色はつらい思いしか感じることができなかったからです。
理恵子の隣の席で、中学三年の一年間を楽しく過ごした中学校の校舎……。
友人と一緒に、理恵子の自宅を探して、自転車を走り回らせた町並み……。
勇気をふるい、初めて理恵子に告白をした、市民会館の噴水前のベンチ……。
理恵子の通っていた中央高校の校舎や、理恵子と待ち合わせた南高校の校門……、
理恵子と一緒に、二人で何度も買い物をして歩いた、中央商店街……。
理恵子が見つけてきた、素敵なおばさんが美味しいケーキを作るお菓子屋さん……。
朋美へのお礼にと、朋美を誘って行った映画館やボウリング場、そして、喫茶店……。
ベルギーでの事故のニュースを聞いて飛び込んで行った地元の新聞社と放送局……。
朱美と初めてキスをして、そして平手打ちをされた河川敷の公園ベンチ……。
窓の外のどの景色を見ても 、少年には辛い思い出にしかなりません。楽しかった筈の思い出も、今は彼の悲しみを一層深めるものでしかありません。そして少年は、外の景色を眺めることをやめました。
しかし、外に目を向けずに電車の中にいたとしても、通学中の同じ高校の男子生徒や中央高校のすべての生徒たちが、自分を見て噂しているように彼には感じられてしまいます。
ふと笑みを浮かべた男子高校生の横顔は、慎一をあざけり笑っているのです。
小声で話し込んでいる女子高校生たちは、慎一の節操のない女性関係をおもしろおかしく噂しているのです。
無遠慮にジロリと睨むおじさんの瞳は、人間として唾棄ずべき慎一を非難しているのです。
それは過剰なまでに自分を意識をしすぎた少年の妄想でした。しかし、少年はあえてそのように思うようにしていました。そうすることで、少年は、社会から、世間から、罰を受けているのだと思うようになっていました。
しかし、それら以上に、少年にとっては電車通学そのものが苦痛であったのです。
なぜなら、電車通学それ自体が、それまではいつも、理恵子と二人で過ごした楽しかった空間であり、二人で過ごした楽しかった時間であったからです。今ではどんなにあがいても手の届かない空間と時間でした。
そして、少年は外の景色を眺めることをやめただけでなく、電車の車内に目を向けることもやめてしまいました。
電車通学のわずかな短い時間、少年は毎日のようにある小説を食い入るように貪り読むのでした。そうやって、少年はますます自分の殻の中に閉じこもっていくのです。
少年が通学中に読んでいる小説、それは三島由紀夫の『豊饒の海』でした。それはなぜか不思議と少年の心を吸い寄せました。そして、今、少年はその第四巻『天人五衰』のページを開き始めます。
少年は何を思い、その小説を選んだのでしょう……。作者の強烈なまでの個性と破滅に突き進む道程に魅入られたのでしょうか?であれば、それは代表作である『金閣寺』や『潮騒』でも良かったでしょう。
でも、少年が引き込まれたのは、秀作ではあっても、代表作と呼ぶには知名度という点では前作にそれを譲る『豊饒の海』でした。しかし、観点を変えれば、ある意味でこの作品は、作者の思想を体現した代表作と呼べるものであったかもしれません。
天人五衰とは、本来は三島の創作の言葉ではなく、仏教用語のひとつでした。天界に住まう天人でさえも、長寿の末に迎える死の訪れには抗えないことを表した言葉であり、その死の直前に現れる五つの兆しを表す言葉です。
この『豊饒の海』という作品は、20歳で死ぬ青年の輪廻転生を描いた作品で、その根底には仏教や神道、そして東洋的な伝統思想が流れている哲学的な文学でした。
肉体としての人間の生物学的存在ではなく、人間の深層意識とも繋がっているかもしれない魂魄というものに、少年は魅入られたのかもしれません。
それがどうしてか、……それは、少年にも分かりませんでした。しかし、少年には、その小説がどうしても自分の境遇へのひとつの回答の書であるように思えたのでした。
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