第10話「二千螺旋恒星」
9/10の夜、屋敷を襲撃する黒服達。
そうして終わりを迎えた、だから次は。
次はない、筈だった。
――2015 左目 9/11 朝
目が覚めた。
酒に溺れた翌朝には何度も見たバーの天井が映り込む。
目が、覚めた?
生理的現象としてごく自然だからこそそれが意味するのは。
「生き、てる……?」
クジャクはソファから跳ね起きる。
屋敷にいてそこで死んだ筈なのに繋がらない景色。
片手と脇腹の鈍い痛みが前述の襲撃を物語るが。
幻視痛ではなく吹き飛ばされた指先が確かにあって――。
「おはよう、目が覚めたみたいだね。」
バーカウンターから掛けられた店主の声。
覚め切ってなかった意識は否応なく覚醒する。
「指は、うん問題なく動きそうだ、移植手術が成功してよかったよ。撃たれたと言っても幻の炸裂弾、摘出手術の手間は省けたけど、だからこそ実体を持たないイマジナリーフレンズの君への
知り得ないことを捲し立てる。
けれどよく聞き知った中性的な声。
振り向けば極上の曲線美を魅せるチャイナドレスを纏った。
……間違いない間違えない、だから唇は震える。
「命宿……、なのか? なんで生きて――。」
ハンナ・Hの触手に貫かれる胸。
今も目に焼き付いて離れない東京虐殺。
だからこそ考えられる。
彼女のように過去へ命宿が死ぬ前に飛んだ可能性。
「残念だけど時間は巻き戻ったりしないよ、時間の矢は過去から未来へ一方通行。今日は紛れもなく君が
見透かしたようにまだ信じられた可能性は否定される。
だけどそれよりも聞き捨てならなかったのは。
「さっきから何を言ってるんだ、それに今は西暦二〇五四年だろ……?」
揺るぐ筈のない世界の共通認識。
それを共有しない命宿は間違いなく世界の輪から外れてて。
「うんそうだったね、ここではそういう設定だったね。それも含めて全部君に話すよ、まずはあたしの名前から。」
今更の自己紹介、それが意味するのは一つしかない。
命宿が頭の後ろ、蛇柄の目隠しの結び目に手を回す。
「先に謝っとくね君を騙していたこと、あたしは本物の命宿じゃないんだ。」
解かれる目隠し、見初めるその目は。
――
「あたしの名前はキュルル、よろしく。」
「キュルル……?」
「うん、君に分かるように言うならそうだね。ほら君にとって去年、パークに夏休み旅行中の当時十歳の子供がセルリアン女王に襲われたってニュースあったでしょ。その子供の
そう命宿、いやキュルルはクジャクに名乗る。
今までも散々ハンナ・Hの不条理に付き合わされたが。
この動揺を超える物はなかった。
こんな奴いなかったとイレギュラーのなんたるかを知る。
「……。」
「まぁいきなり恩人に入れ替わってたなんて告白されて信じられないのは無理ないよね、論より証拠。付いて来て、君に見せたい物があるんだ。」
「ちょ、おい待て。」
バーから出るキュルルのあとを追って外。
一年前まで住んでいた東京の見慣れた裏通り。
――何故か違和感を覚えた。
なんだそれは、だけど今はそれより問わねば成らない。
「なぁあんた……、入れ替わってたって言ったがいつから命宿と入れ替わってたんだ。」
「君とバーでタイムパラドックスを語り合った【2013 左目 9/12 夜】から、君の目の前でハンナの触手があたしを貫いた【2014 左目 9/10 夜】の間。まぁ要するに君が東京にいた一年間ずっと、あたしは命宿を演じてたよ。」
一年間も騙されていた事実(黒服は気付かなかったのか?)
“左目”を用いる謎の暦(そもそもこれは暦なのか?)
解を得ている筈なのに募る不可解。
それでも分かること、答えによってはこいつを。
「……なら本物の、俺が最初に会った命宿は何処に――。」
「安心して、本物の命宿なら今もあたし達のことを
周りを見渡す。
見渡した所でヒトっ子一人いない街並み。
ただ不思議と嘘とは思わなかった。
確かに誰かに
……いや待て別の意味で可笑しくなかったか。
そうだ既にラッシュ時の筈なのに表通りに出ても。
「なんで、街に誰もいないんだ。」
「今はここを舞台とする
違和感の答えに成っていない答えは。
見せたい物があるという方角を見ながらで。
この先に何があった?
考えても無駄なことは未だロクな説明のない態度で察する。
それはこの目で見なければ理解出来ないこと。
だから
「さて、君はハンナの時間移動のパターンには気付いたかな?」
「……俺がそれに気付いてると?」
「あくまで知識の
何者であろうと命の恩人であることには変わらない。
それを否定するのは寝覚めが悪く話を合わせる。
「……俺の認識でよければだが、あの虐殺の夜ハンナは四年の命だと言っていただから。
①ハンナは西暦二〇五三年、以降省略9/11東京虐殺から二ヶ月後俺から産まれ、五四年9/10屋敷の襲撃時に俺を撃つ。それがあいつの
②五二年9/12過去の東京に来たハンナはパークから渡った俺と出会い、……五三年9/10命宿であるあんたを殺しそして俺を犯す。それがあいつの
③今度は五一年9/12孔雀茶屋で生まれた俺を見付けたハンナはキングコブラを名乗り、五二年9/11パークの外で待ってると言い残し俺をフる。それがあいつの
④最後は推測に成るが五〇年9/12パークの何処かに潜んだハンナは、五一年9/11動物の孔雀から輝きを奪って俺に成り代わる。それがあいつの
こうして並べて見れば一目瞭然だ。ハンナは一年間そこで過ごしたのち、二年前の過去に飛ぶのを繰り返している。……まぁ孔雀に成り代わったハンナが五四年の襲撃前日に屋敷前に現れ、再び五一年の孔雀茶屋前に戻ったことはパターンから外れるが。兎も角パターンってのはこれを言ってるんだよな?」
「その通りだよ、銃殺の一年目・姦淫の二年目・拒絶の三年目・簒奪の四年目。君とハンナが経験する一連のイベントは、だけど不思議と見事なぐらいに君と逆の順番でハンナは辿る。」
「そりゃぁ不思議に見えるかもしれないが、二歩戻って一歩進めばそれは一歩戻ることと変わらないだろ。」
「だけどそれがパターンに成っているならそこには意味があるんだよ、二年前にしか戻れない必然性そう見せ掛けるには。」
何を何に見せ掛けていると言うのか。
キングコブラの正体がクジャクでありハンナだったこと。
そもそもクジャクはハンナであり。
ハンナはクジャクだったというのに今更何が……。
「着いたよ。」
無駄と分かっていてもしてしまう思索が中断される。
それに感謝するべきか。
それとも目を背けていた現実を突き付けられたと思うかは。
自分に唯一残されていた自由意志だった。
「君に見せたかった、ハンナが
観光名所を案内するノリで手振りする。
事実街外れにある東京の観光名所の一つと聞いていた。
なのに石橋は半ばで途切れていた。
なのに物理に反して崩れていない。
そんなのが些末に成る光景が崩落した橋の先続いていた。
――ヒトが通れるサイズの
「死角……っ。」
本能的にそれがそういう物だと悟る物。
ハンナには越えられても自分には越えられない境界線。
屋敷の地下室にあった
キュルルは近寄りあろうことか足を入れ、そのまま闇の中。
「っ、めい――、キュルル!」
「ビックリした?」
なんてことはなかったように暗闇から顔を出すキュルルは。
五体満足であっさりとこちら側に戻ってみせる。
「おいそれ……、一体どう成って。」
「別に一方通行でもなんでもないただ暗いだけのトンネルだからね、でも君が直感し避けたようにここは観測者の死角。観測されて存在するイマジナリーフレンズである君が通れば消えてしまう、まぁ橋の上までならギリギリ大丈夫だからほら近くで見ない?」
手招きされる橋へ穴へ。
手招きした本人が実演してみせたのもあって。
地下室で見た時の不気味さより確かめたいが上回って。
――怖る々る足を踏み込んだそこが
「そうそこが丁度世界の、【テクスチャ】の裏面だよ。」
被膜のような、きっと
その瞬間。
世界が一変。
した。
「……は?」
絶壁立った、突如目の前。
ダムのようと言っても差し支えのない。
……事実全高2km全長11kmの壁は渓谷を
最初からあったように橋の崩落部を境にそれは現れた。
だからキュルルがトンネルと言ったのが分かった。
死角とはその壁に開いた穴のこと。
だけど認識を訂正しなければいけないのは世界凡て。
まず橋の崩落部と言ったが。
自分が立っていた場所は今や橋を模したポリゴンだった。
振り返れば東京の街も線分から成るポリゴンに置換され。
作り掛けのゲーム世界にでも迷い込んだ?
そんな非現実よりシンプルな話がある。
壁が突如立ったのではなく最初からだったなら?
現れたのではなくテクスチャが露わに成っただけ。
「3Dのポリゴンが描画の負担を減らす為に裏面は何も表示しないのは知ってるかな、この景色はつまりそういうこと。【テクスチャ】が張られているのは壁に接する橋の手前までで、ここは裏面で舞台裏という訳。君が東京のパークの何処にいても、壁の端にある特等席の観測者から
キュルルは上を指す。
青空をやめた黒いドーム状の天井、否。
天井自体は無色透明でその黒はドームを覆い尽くす流動体。
……星の光も届かぬ青なき深海の
「ここは小笠原海溝深海9780mに【テクスチャ】の輝きを張り付けて作られた、アトラクションさながら東京とパークを一つに収めた偽物の世界。」
キュルルは壁を指す。
先程見据えていた向こう側の東京がある方角を。
「そして箱庭はこの壁の穴を抜けた向こう側にもそっくりそのまま用意されている、――時代設定を二年ずらしたうえでね。なんてことはないんだハンナは
まぁ流石に直感じゃ掴めない話だよね。
だから図に描き起こすと、こう。
左目 右目
2006 姦淫┃簒奪
2007 銃殺┃拒絶
2008
2009 拒絶┃銃殺
2010 姦淫┃
2011 銃殺┃拒絶
2012
2013 拒絶┃銃殺
2014 姦淫┃
2015 銃殺┃拒絶
あたしがこの目で
この世界は四年周期のイベントをずっと繰り返している。
それも壁を中心に左右対称の舞台で同時上演する形。
勿論唯一の出演者である君とハンナは知りようがない。
あぁ
設定された動きをするだけで意志の持たない……。
話が逸れちゃったね要するに君視点からはどう見えたか。
舞台間を行き来しない以上縦軸だけ見ればいい訳だから。
左目 右目
2012 簒奪
2013
2014
2015
これが2012の左目簒奪で生まれた君の四年間。
正確には動物の孔雀時代含めて五年間に成るんだけどね。
2010の右目簒奪で孔雀に成り代わったハンナが今の君。
それに対して舞台間を行き来するハンナはと言うと。
左目 右目
2007 銃殺
2008
2009 拒絶
2010
ね、見事に逆転したでしょ。
あとは君の四年間とハンナの四年間を繋げれば。
左目 右目 西暦
~2006 姦淫 五三 9/11
2006
~2007 銃殺 五四 9/11
2007
~2008 姦淫 五三 9/11
2008
~2009 拒絶 五二 9/11
2009
~2010 簒奪 五一 9/11
2010
~2011 銃殺 五四 9/11
2011
~2012 簒奪 五一 9/11
2012
~2013 拒絶 五二 9/11
2013
~2014 姦淫 五三 9/10
2014
~2015 銃殺 五四 9/10
2015
これで四年後の屋敷と四年前の孔雀茶屋。
パターンから外れた孔雀の時間移動にも説明付いた。
君達は一度も過去に戻ってなんかない。
見せ掛けのタイムパラドックスを見せられただけなんだ。
「――さてこれで一通りは説明出来たと思うけど、何か訊きたいことはあるかな?」
キュルルがそう締めくくった頃。
クジャクの口の中は乾き切っていた。
一言の相槌も打っていない筈だったのに。
口を開いても空気が漏れるだけで。
そんな自分をせかすことなく待ってくれる。
それがイヤで唾液を呑み込み無理矢理声帯を震わす。
「何、年だ。何年、俺達はこんなことを繰り返しているんだ……。」
「【2015 左目 9/11 朝】これはある物を数えて導き出した年数だけど、君とハンナがサイクルするこの世界で唯一積み重なる物ってなんだと思う?」
「……俺の死体か、でもあの地下室には何も。」
「その一部を移植して君の手を治したから嘘じゃないよ。フレンズは死ぬ時動物に戻る、つまりフレンズの亡骸を観測者であるヒトは見たことがない以上、【テクスチャ】のない生きていない動物を見てもフレンズとして補われない。だけど
「2000年……。」
三年のクジャクの生。
動物の孔雀時代含めて五年。
ハンナ・H時代含めて九年。
途方もない数字に自分が持ち得るのはそれだけだった。
それすら半分以上憶えていない出来事。
ただ全然足りないことだけ分かった。
「は、」
笑い声に成る前の音が漏れる。
実感がない以前の問題。
「あはは?」
九年だって? ついさっき知ったばかりの知識振り翳して。
今更取り繕うとかお里が知れてる。
「あはははははははははははははははははははははははは!」
笑わずにはやってられないこんなの。
だって自分にはなぁんにもなかった。
「なんだ、なんなんだそれは。2000年? 冗談にも程があるだろ、なぁ! だってさそれはつまりさ、2000年間なんにも変わらなかったってことじゃねぇか! 変えられないなりにここを死に場所に選んだぁ? 500回いや向こう側含めたら1000回もおんなじこと繰り返している癖に何言ってんだか、それこそ設定された動きをするだけの
叫んだ。
ありったけに、けれど腹の底からなんて上等な物じゃない。
感情のまま浅ましいプライドを捨てられない。
ただ自分の底だけが見えた。
「なぁ、俺はどうすればいいんだよ……。」
空っぽだった。
自由意志を生まれ持たない死んでも得られない。
ならその残骸が生きたって意味はない。
こいつだって分かっている筈なのに。
「それは、君が決めることだよ。」
キュルルは当たり前のようにそう告げた。
突き放されたも同然だった。
そんなのが被害者意識だって分かっている。
それでも怒りで
「巫山戯てんのかお前っ、助けたのはお前だろうが。何他人事のように語ってやがる、善意で真実を教えてやっただけだとでも言うつもりか。俺がまだフレンズに成る前の五年前から舞台裏から見てたんだろ、他人事ならそのまま
「違う!」
「何が違うんだよ!」
「あたしは君のこと、君達のことをまだ何も知らないからだよ!」
その迫力に圧された。
知らない、そう言ったんだこいつは。
この世界のことをあんなにも語り尽くしてなお。
まだ知らないことがあるのだと言える。
「この世界の存在を知った時は衝撃だった、地上の世界と隔絶した海底都市そこで繰り返される惨劇。とても見過ごせる物じゃなかった、だけど同時に思ったんだ。完成されたこの永遠を舞台上の君達は望んでるんじゃないかって、それを留めることは本当に正しいのか。……ご主人のただいまを聞きたくて、待ち続けることを決めた
「……だからこのタイミングでバラしたのか、四年間の凡てを知ったうえでどうするか。」
「一応舞台裏を見せようと石のアーチ橋には何度か誘ったけどね、でも君達と来たら揃って引き籠もりなんだから。」
「そりゃぁ自発的にパターンから外れた行動を取るようなら、2000年も続いてないだろ……。」
「そうだね、でもだったら今の君を動かしているのは何?」
操り人形でしかないと自称するなら。
糸の切れた人形が動く筈がない、尤もな指摘だが。
「そんなの、あったって意味があるのか?」
「君を形作る物に意味がない物なんてないよ、それをあたしは知りたい知らなくちゃいけない。」
「どうして俺に、そんなに拘るんだ……。」
「きっとあたし達は似た者同士だから、あたしね元々は男の子だったんだ。」
「……は?」
散々衝撃的な真実を聞かされておいて唖然とする。
確かに中性的声だがその一人称は?
「あたしのオリジナルが少年だってことニュースで言ってたでしょ、聞いてなかった? どうも女王が再現する際、サンドスターには存在しない男という要素を省いちゃったみたいで。でもあたしを形作る輝きは少年心、性自認は君と同じ男だよ。」
「俺と同じ……、ならなんでバーで理解者に成れないなんて言う必要が。」
「あの時は命宿役として最低限用意された台詞に従う必要があったってのもある、でもそれが真実だとも思う。確かに心と身体のズレにあたしも苦しんだ、今でも悩む。だけどどれだけ似てたって分からないよ、結局別人である以上誰だって誰かのことは。それでもどうしたって分かろうとするんだよ、喩え分からないまま終わったとしても、でなきゃ友達に成る切っ掛けだって作れないんだから。あたしにはカラカルがいた、あたしの苦しみを分からなくても理解しようしてくれた。あたしがあたしって言うのはそんなカラカルのように成りたいと思ったから、一人じゃないんだと思い出せる……。君はどう、本当に君には何もないのかい?」
「俺、は――。」
俺。
オレ
おのれ。
問い、俺とは何か。
俺には何がある?
俺が答えるまでキュルルは言葉を発しない。
静寂に耳鳴りがし出して。
外界との感覚が薄れて行って。
答えを求めやがて
そこに広がるのは虚無。
過去は設定された物で未来の可能性は閉じている。
変わらないのなら何もないのと同じ。
……本当にそうか?
俺には何もないのか。
あぁそうだ海馬を幾ら探そうと何も出て来ないだろう。
俺とは今まさに答えを求め思考している意識以外にない。
役割を失った俺はどうして思考をまだ辞めない?
感情があるからだ。
その感情が存在するのは何故。
……あいつに
本当の自分を理解されたいと欲した。
……あいつに告白を
衝動を曝け出した挙げ句自己嫌悪した。
……あいつに
あとには自由意志を疑い死んだ日々。
……あいつに拳銃を押し付けた。
未来に生きるあいつを見たかったから。
「――あぁ、そうだ。」
やっと気付いた。
思い出しただけ。
知っていたんだから。
そんなことは2000年前から。
「俺にはハンナがいた。」
簒奪、拒絶、姦淫、銃殺。
あいつと過ごした
「俺の全部はあいつで出来てるんだ。」
だからクジャクはハンナ・Hに恋焦がれる。
それこそがどうしようもない自分で。
どうしようもなく自分なんだから。
現実に浮上する決意した、もう否定したり等しないと。
「……そっか、それが君の本能なら君はどうしたい?」
「俺はあいつと生きたい、俺はあいつの親だから。」
祝福も出来ないのに産んでしまった。
それはきっと罪ではない仕方のなかったこと。
だとしても責任を果たしたい。
自分に出来るのはそれだけだから。
「俺には、全員を救うことなんて出来ないから、選ぶしかない。」
「うん……。」
「あいつは、俺が産んだハンナ・Hは向こう側にいるんだよな。」
「そうだね、今頃向こう側の東京に迷い込んだハンナが君を探してるだろうね。だけど向こう側に行くには、この
左目でこちら側を、右目で向こう側を。
それぞれ同時に観劇する為に舞台を仕切る絶壁は。
裏面からは透け通るテクスチャと違い物理的に存在し。
故に壁の中は箱庭の観測者から常に死角で。
観測者の助けがいるイマジナリーフレンズの自分は通れず。
9780mの深海、ヒトの絶滅した2000年後。
他の観測者も望めない。
……ただ一人除いて。
「大丈夫、あたしがここから君を
ヒトの完全なるコピーであるキュルルが肩に手を置く。
向こう側まで一直線続くただのトンネルを見据えて。
「だから、行ってらっしゃい。」
ずっとクジャクが欲しかった言葉と共に。
そのままトンと背中を押してくれる。
「……あぁ、行って来る。」
これ以上頼もしい声援はなかった。
覚悟は決まった。
振り返ってこれからやろうとすることを伝える。
ただ一人のあの子の未来を見たいが為の推し付けを。
「いいよ、ここまで来たんだ。この世界の終わりまでとことん付き合ってあげる。」
観客をやめたもう一人の観測者は快く引き受けた。
ただし一言付け加えて。
「最後に、君は間違いなく雄だよ。……バーカウンターであたしのおっぱいに視線が行ってたの、気付いてたんだから。」
「それは、悪かったよ。」
死角だったトンネルに足を踏み入れながら反省する。
ハンナに嫉妬させないよう気を付けないとな。
――2015 左目 9/11 昼
トンネルから向こう側へ行くクジャクを
キュルルは長い梯子を登っていた。
……向こう側に行った彼なら。
箱庭の観測者の右目がその存在を保証してくれている。
だから今はあたしが
そうして壁の端、海溝の断崖に打ち付けてあった梯子へ。
「ラッキー、現在地点の深度は?」
『現在深度9700m。』
「ということは80m登った位かぁ、反対側の断崖まで11kmの箱庭を見渡すだけなら10mもあれば充分なんだけどね。」
勿論
あたしには彼らと観測者の距離感に思える遠景だった。
……箱庭に来た日を憶えている。
【2010 右目 9/11 夜】ハンナが孔雀に成り代わった。
それから三年舞台裏から一連の流れを把握したのち。
不思議と姿が似ているのもあったが。
彼らと深く関わる、
……おそらくこれは投影だ。
理想の自分の、なら本物の命宿と呼ぶべき存在がいる。
『現在深度9680m。』
およそ100mで梯子の終わりが見えた。
壁を中心に断崖をくり抜いたその空間その中央に。
左目で登って来たこちら側を。
右目で壁を挟んだ向こう側を。
望めるようにサンドスターを敷き詰めたポッドがあって。
その特等席に身体を預ける子供の名前を知っていた。
「初めまして、君が
この箱庭の観測者にして本物の命宿。
だけあってその姿は子供の頃のあたしそっくりで。
……他人の空似でしかないと分かっていてもこれは。
だけど一般家庭のオリジナルのあたしと。
マフィア一家と思われる茗粥の接点があるとすれば。
――貴女の仕業ですか、女王?
あたしを生み出すのと引き換えに消滅した母に語り掛けた。
閑話休題。
唯一違うのは切らずに伸びっぱなしの前髪に隠れる。
白濁した両目は見開いたままこちらに反応しない。
「隣、座ってもいいかな。」
答えは返らないけどいいよと受け取る。
茗粥視点から見て左隣にもう一つのポッドがあったから。
他人のことが知りたいならば同じ物を見て話そう。
それは常人なら耐えられない光景だった。
「っ……。」
座った瞬間両目それぞれに情報が流れ込んだ。
壁で仕切られた左右異なる箱庭の営み隅々まで一度に。
あまりの情報量に目蓋を裏側から剥かれるようで。
見開くのも無理はない視野矯正拡張機能。
そんなポッドにサンドスターで肉体を保存して2000年間も。
箱庭を維持する歯車、だけど茗粥は拘束されて等いない。
「か、考えてたんだずっと君のこと。どうして君が
素直に正しいと仕方なかったと頷ける物じゃない。
それでも凄いとは思うから口にする。
「待ってたんでしょずっと、2000年前から誰かを。偶然だったかもしれない、それでもあたしが来た。今地上はね8月27日、それはただ15日ズレてるだけじゃない文字通り過去なんだ。一見四年周期の
ヒトが絶滅し世界を観測する存在が茗粥だけに成った結果。
1D/100Yという小さな誤認が時空を捻じ曲げた。
未来の箱庭に侵入すればもう過去の地上には戻れない。
――だからなんだと言うのか。
「時間の矢は過去から未来へ一方通行、巻き戻ることはなく。だから君に追い付けた、――友達に成ろう。」
茗粥の目が初めて動く。
右目は箱庭の彼に向けたまま左目だけこちらに目配せて。
何も言わず両目ともゆっくりと閉じていく。
それを見届けていては彼を観測する存在がいなく成るから。
もうあたしは箱庭から目を離す訳にはいかない。
そう専念したいのに特等席まで彼女が触手で登って来る。
「やぁ一年振りだね、来るとは思ってたけど遅かったねハンナ。」
右目で彼を収めながら左目で捉えたハンナ・Hは。
「所でずっと訊きたかったんだけど君は、あたしの胸を貫いた君は兄? それとも弟?」
「……ワタクシは兄ですわキュルルさん、今右目側にいるお父様が産んだわたくしが弟。こちらこそどうして貴女が生きてるのか訊いてもよろしくて?」
「前世代の君の攻撃なら舞台裏から
「……。」
殺意から信じられない物を見る目に変わる。
確かに可能だからといって出来る物じゃない。
その時だけ代演をやめて
だけどこれが舞台に関わると決めたあたしなりのケジメ。
「それにしてもやっぱり君達は双子のフレンズ型セルリアンだったんだね、まぁ同時に二人一役。そうじゃなきゃこの舞台は成立しないし、思い付かないでしょ?」
「ワタクシ達が、
「茗粥の目から【テクスチャ】の輝きを取り出せるのはセルリアンだけ。何よりクジャクと君だったら誰でも君だと思うよ、君自身だって。」
「えぇだから弟は、今生きている方ではない弟はすぐに気付いたのですわ。本来交わる筈のない兄であるワタクシと
凡ては永遠の愛の為に。
ポッドに身を預けたあたしを取り囲む無数の触手。
彼女達を会わせ真意を計る為にズラしたが。
どうやらこれが答えのようだった。
「言っておきますがワタクシが今まで貴女を殺さず潜んでいたのは、観測者の椅子に座れば抵抗出来ないと踏んでのこと。」
「観測者に成ったあたしを殺せばクジャクが消えるけど、それでも構わないのかい?」
「命乞いなら無駄ですわ、零から作れたのですからまた
「そうだね、でも今の君にそれが出来る? あたしを殺した所でいつかまた誰かがこの箱庭を脅かすかもしれない、君は永遠じゃないと知ってしまった。言っとくけどこれはお節介でもなんでもない、君の言うただの命乞いだから気にしなくていいよ。」
「減らず口をよく叩けますわ。」
「彼と約束したから、あと三年この箱庭を観測することを。その為なら幾らでも命乞いするさ。」
それがこの世界の
何も変わらないかもしれない、だから見届けたい。
「かつてこのパークにいたフレンズ型セルリアンは、1thから5thフォームと進化していったらしいんだ。あたしの知ってるヒトのフレンズもそう、そして君達も
「……そんな奇跡、持っている貴女だから言えるんですわ。完全なるヒトのコピーで、母たる女王から星の光で出来た本物の
左目を貫く、触手の感触は。
知りたかった彼女の本能だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます