二十三話 翠の国の二人

 風にそよいで揺れる木の葉が、太陽に照らされてキラキラと光り輝いている。

 葉の海みたい……と少女––––––マルカブは思った。見るたびに、いつもそう思っている。そして今自分が立つのは、木の葉の海を渡るための橋なのだ。あちこち入り組んでいて、端から端がどこからどこまでか分からなくて、どこに繋がっているのか半分も知らなくて、橋というには複雑すぎるかもしれない。迷路という方が的確だ。

 この翠の国は、土地のほとんどが森で覆われている。この地に住むのは、ヒトを含めたあらゆる種族と獣たち。それぞれが自分たちのテリトリーを守り、生活している。地上、樹上、空。ヒトや亜人系のいくつかの種族は、主に樹上橋ツリーロードと呼ばれる道を繋いで生活圏を確保している。今マルカブがいるこの場所もその橋の一部だ。

 ……そうだ、のんびりしている場合じゃなかった。マルカブは周囲を見渡して、人探しを再開する。

 ここは樹上橋の中でも露店街と呼ばれる場所だ。その名のとおり、様々な露店が立ち並び、商人と買い物客で賑わう通りだ。食べ物系の露店が並ぶ道からは美味しそうな匂いが漂っている。

 その匂いにつられて目を向けると、探していた人影を見つけた。スカートの裾を翻らせ、通りを小走りで進む。


「ま、待ってくださーい!」


 マルカブがそう呼びかける相手は、ちょうど露店で何かを買おうとしているようだった。


「ん、さっきの奴か。なあ、これって美味い?」


 追いついたマルカブが少し息を切らして、男の指差すものを見る。翠の国の特産である、新鮮な果物の盛り合わせだ。


「え、えっと……はい、美味しいですよ」

「ふーん、じゃあこれ一つ」

「あいよ、毎度あり!」


 男は金を払って、果物の入った器を受け取った。その場で食べ始め、「お、うめえなこれ」と感想を漏らしている。

 マルカブはおろおろとしながら話しかける。


「あ、あの……」

「うん?オレになんか用か?」

「えっと、あのですね……さっきもお尋ねしたんですけど……」

「ああ、何だったっけ」


 マルカブは息を整えてから、改めて尋ねた。


「あなたが陽の国から来た、巡礼祭の参加者の方なんですよね?」

「おう、お前もそうなんだろ?よろしくな」


 男は楽しげな笑顔で、そう答えた。



「ふー、食った食った!」


 空になった器を座っているベンチの上に置く。翠の国の民族衣装を模した被り物と上着を身につけたその黒髪の男は、マルカブと同様、巡礼祭という旅に参加する資格を持った者だ。

 マルカブは先日、アルフェから直接巡礼祭について説明されていた。翠の国を始めの目的地とする旨を聞かされており、そこでアルフェたちより先にやって来る一人と合流しておいてほしい、と頼まれていた。

 聞かされていた容姿と一致するし、きっとこの人だ……と思って声をかけて正解だった。


「果物は翠の国産が一番ってのは知ってたけど、現地で食うと格別だな!」


 満足げに食後の感想を述べる男の傍らにあるのはたくさんの土産物だ。こんなに買って大丈夫なのかな?と思って見つめていると、「欲しいのあったのか?」と聞かれてしまった。


「あ、いえ、こんなにたくさん買って大丈夫なのかなって……」

「ほとんど頼まれて買ったモンだし、金はあるから心配しなくていいぞ」

「そ、そうなんですね」


 あれ?そういえばこの人から名前を聞いていない気がする……とマルカブは気付いた。もちろん、アルフェから事前にそれは聞いている。けれども確認は大事だ。


「あの、お名前を聞いてもいいですか?」

「ん?アル先生……アルフェから聞いてないのか?」

「一応、ご本人からも聞いておいた方がいいかなって、思いまして」

「ふーん、まあいいけど。オレの名前はシェ……あっ」


 言葉が途切れたことを不思議に思い、男の顔を見ると目を逸らされた。眉を寄せて「しまった」という表情をしている。よく見ると、青い瞳の中にある瞳孔が縦長だとマルカブは気付く。もしかして、このあたりに住むいずれかの種族の血を引いていたりするのかな……とぼんやり思っていると、男はゴホンと咳をした。


「オレの名前は、セレンだ」


 聞いていた名前と同じだ。ホッとしていると、セレンが睨むような目でマルカブを見ている。


「今のは……ちょっと噛んだだけだからな」

「え?」

「オレの名前はセレンだ!分かったか!?」


 セレンは念を入れるようにマルカブに言い重ねる。その形相に驚いてマルカブはびくりと肩を跳ねさせた。


「えぇ!?は、はい、分かりました!セレンさん、ですね!」

「分かったならいい……あれ?オレもお前から名乗られてない気がするぞ」

「えっ?初めにお会いした時に、言ったような……」

「そう……だったっけ?」


 セレンは腕を組んで首を傾げている。言ったはずなんだけどな……とマルカブも小さく首を傾げるが、相手が覚えていないのならもう一度言っておいた方がいいだろう。


「じゃあ、改めて……わたしはマルカブといいます。これからよろしくお願いしますね」


 にっこりと笑いながらあいさつをする。セレンは「……さっき聞いた気がするな、それ」と呟いた。


「で、合流するようには言われてたし、もうそれはできたわけだけど。これからどうするんだ?お前が案内してくれるんだろ?」

「あ、はい。西の岬に玄の国の建物があるんです。そこでアルフェさんたちと落ち合う予定なので、まずはそこへ向かいましょう!」

「西か……これ持ち歩くのは面倒だな」


 セレンは山のように積まれた土産物を見て眉に皺を寄せる。しかしすぐに思い出したように、懐から白い布を取り出して土産物の上に被せた。何をするのだろう、と思ってマルカブはその土産物を覆う白い布を見ている。

 セレンが白い布に触れると、何かの模様が青白く浮かび上がった。そしてその布を取ると、そこにあったはずの土産物は消えていた。


「全部入ったな。行こうぜ」

「え?え?何やったんですか?」


 マルカブは目をパチパチと瞬かせてセレンを見る。


「ただの収納魔術だって。お前、やったことないのか?」

「あります、けど、そんなにたくさん入れられないです……」


 マルカブにも魔術の心得はある。しかし、収納魔術においてマルカブが持つ容量は、せいぜい護身のために持ち歩いているロッドと数冊の本が入る程度のものだ。もしやあの布が収納魔術の容量を増やすための魔術具なのかと、セレンが畳んでいる白い布をまじまじと見つめてしまう。


「ふーん?あれ、お前歳いくつ?」

「えっと……15歳です」

「へえ、オレより6つ下か。まあ……そのうちもっとできるようになるだろ、魔術なんてそんなもんだ」


 セレンは一瞬、何かつまらなさそうな顔をした。だがすぐにニッと歯を見せた強気そうな笑顔に変わる。


「それより、さっさと行こうぜ!アルフェたちもう来てるかもしれないし!」

「え?たしか、アルフェさんたちは早くても明日になるって……あっ、ま、待ってください!セレンさーん!」


 意気揚々と駆け出したセレンの後を追って、マルカブも走り出した。

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