第14話 広い世界①─宋銭というもの─



   1



 季節の主役が牡丹や藤の花からアジサイへと変わるころ。忠盛と清盛、家盛の3人は六波羅の屋敷を出た。


 陸路で摂津へ向かい、船で西国を目指す。


「おーい、お前たち、俺のこと覚えてるか?」


 後ろで誰かが名前を呼んだので、清盛は振り向く。


 目の前にいたのは、この前捕まったはずの山王丸と海王丸の兄弟だった。


「な、何だよお前たち。俺のこと殺そうってのかよ?」


 清盛は腰の太刀に手をかけた。


「兄上、見ず知らずの人に刀を構えるのはよくないよ」


「いや、こいつはお前を弓矢で撃ったやつらの仲間だぞ。放っておくわけにはいかないだろう」


 清盛は太刀を抜いた。


 緊迫した空気が狭いジャンク船の中を流れる。


「まあまあ落ち着けよ、若」


「そうだよ。弟ちゃんの通りよ」


 海王丸と山王丸はなだめる。


「お前らの言葉なんて、信用できるか!」


 家盛は斬りかかろうとする清盛を抑えて、


「どうぞ、話を続けてください」


 話の続きを聞こうとする。


 海王丸は語る。


「まあ俺たちは本来であれば島流しにされるか、殺されるかの二択だったんだが、お前の親父さんに命を救われたんだ。命を救ってもらう代わりに、平家の郎党の一員として、海の安全を守ってるってわけだ」


「そうだな。だから、前みたいにお前らを殺したりはしないよ。むしろ危険だらけの海からお前たちを守ってあげるよ! 安全な瀬戸内の旅をお楽しみください」


 山王丸は広い肩幅の背中に羽のように生えている背筋を、頼もしそうに二人に見せつける。


「なんか嫌だな」


「ひどい!」


「よくも弟を泣かせたな!」


 海王丸は腰に帯びていた剣を抜き、清盛に斬りかかろうとする。


「うわ、殺される!」


 清盛は慌てて逃げ出した。


「待てコラ!」


「わかったわかった。俺が悪かった」


 この日は船上で一日中追いかけっこが続いた。



   2



 船を降りた。


 目の前にある港町には市が並んでいる。


 市の様子は活気があって、見世棚には、扇や日本刀といった工芸品をはじめ、硫黄や金といった鉱物。はてまた、経典や金色に輝く仏像、メノウでできた数珠といった仏具が売られている。


 客層もさまざまで、烏帽子を被り、狩衣を着た日本人男性。唐服を着た中国人や、黒くてつばが広い帽子を被った朝鮮の人まで、国際色に富んでいる。


「にぎやかだなぁ」


 清盛は楽しそうに辺りを見回す。


「気に入ってくれて良かった」


 忠盛は満足そうな笑みを浮かべてそう言ったとき、


「待ってくだされ!」


 後ろから大きな声がした。一同は声がする方を向く。


 視線の先には、汚れているうえにボロボロになった狩衣を着、乱れ髪をした浮浪者風の男が走ってこちらへ向かってくる。


「お主、もしや、通憲殿か?」


 忠盛は聞いた。


「左様にございます。忠盛殿が、前に博多へ連れて行ってくれたことがございましたな。そのときは楽しくて楽しくてたまらなかった。だから、もし行ける機会があったら行ってみたいって思っていたのですよ。でも、自分には宋銭を建造できるほどの財産が無い。このまま諦めよう。そう考えていました。ですが、先月、忠盛さまが西国へ向かわれると聞いて、こっそり跡をつけてきたのですよ。途中渦に飲み込まれそうになるわ、海賊に捕まるわで大変でした」


 通憲は真っ赤に日焼けした子供のような若々しい顔に、笑みを浮かべた。


「ほう。でも、どのようにして?」


「忠盛様の船出を見計らって、小舟を漕いできたのです。ですが、西国で海賊に捕まるわ、渦潮に巻き込まれそうになるわで大変だったのですよ。たまたま瀬戸内海にある離島に漂着したとき、平家の船に救助され、無事こちらへたどり着けたのです」


「ご苦労だった。よし、市でも見に行こうか」


「そうしましょう」


 平家の一行に通憲が加わった。



   3



 一行は市へと向かった。


 清盛は出店で、白くて太い、桃色のくちばしを持った黄緑色の鳥が売られているのを見つけた。顔を近づけてみると、


「ヤスイヨ! ヤスイヨ! サァ、オダイジンサン、カッテラッシャイ!」


 人の言葉で鳴いた。鳥の声は甲高く、大きい。


 清盛は鳥がしゃべったことの驚きのあまり、数メートルほど飛び上がった。


「何だろう、この鳥」


「兄サン、オウムハ初メテカイ?」


 唐服を着た出店の店主は、カタコトの日本語で清盛に話しかけてきた。甲高い声で話すところや冠をしているところからして、宋人であろう。


「はい」


「ソウカ。コノ鳥ハ、海ノ向コウニアル私タチの故郷、宋という国からしか手に入らないんだヨ」


「へぇ~、そうなんだ」


「買うカイ?」


「ええ。じゃあこれと交換してください」


 清盛は腰に帯びていた巾着袋から砂金を取り出した。


 宋の商人は砂金を見て、一瞬欲しそうな表情をしたが、首を横に振って言う。


「砂金じゃダメ、銭でないト」


「銭?」


 清盛は初めて聞く言葉に首をかしげる。


「知らないのカイ?」


「てっきり〈モノ〉で交換するのかな、と思って」


 清盛がそう言うと、商人は、この世間知らずめ、と言わんばかりの顔で見てくる。


「これでどうだ」


 後ろにいた通憲は懐から銭を取り出し、清盛に渡した。


 黒い銭の真ん中には正方形の穴が開いていて、脇には「皇宋通寶」とある。


「何だこれは?」


 清盛は聞いた。


 通憲は小さな声で答える。


「それは〈銭〉といってな、唐土の者たちはこれを使って商いをしているのだ」


「これをどうすれば?」


「差し出してごらん」


 通憲に言われた通り、清盛は店の人に銭を差し出した。


「まいど」


 商人はそれを快く受け取る。


「いいね、銭って。これがあれば、大きなものを持たずにモノを買える。便利だな。でも、どうして、この国では使われてないんだろう?」


 清盛は疑問に思っていたことをこぼした。


 通憲は清盛の疑問に答える。


「うーん。南都(今の奈良県。平城京のこと)に都があったときは〈和同開珎〉などが使われていた。だが、都とその周辺でしか使われていなかったから、時が経つにつれ、次第に忘れ去られていったのだろう」


「ならば、またそれを広めようよ!」


「それはいい! 忠盛殿は清盛の考えについて、どう思いますかな?」


 通憲は忠盛に話を振った。


「よいだろう。その方が、宋国との交易もしやすい」


 忠盛はうなずく。


「さ、次の場所へ行きましょうか」


「そうしよう」


 一行は西国の中にあるアジア市場巡りを再開する。

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