たまごサンドと静かな午後

「美鈴さーん。卵が無いですよぅ」 


冷蔵庫に頭を突っ込むようにしていた少女が、2つに結んだ髪をぴょんこぴょんこと跳ねさせながら、テーブルを拭いていた私の元へと駆けてきました。


「あら大変!もう八百屋さんは開いてるわね。みーこちゃん、おつかい頼んでもいいかしら」


「はい!お任せであります!」


腰に巻いた子供サイズの淡いピンクのエプロンを外し、玄関に置いてあるかごバッグを持っているみーこちゃんに、がま口のお財布を手渡すと「行ってきます!」と元気よく出ていきました。


「慌てなくて大丈夫よー!・・・ふふっ、相変わらず元気いっぱいね」


静かに扉を閉めて店内に目を向けると、今日も柔らかな風がふわりと窓辺のカーテンを揺らし、その下に置いてある1メートル程に育ったパキラの葉は、春の日差しに青々と輝いています。


「そういえば、みーこちゃんがたまごサンドを食べたがっていたわね」


彼女の大好きな厚焼き玉子のふんわりサンドイッチ。


想像しただけで頬が緩みますよね。




♪〜♪〜


午前9時30分。


ボサノバの軽快で爽やかな音楽を小さな音量でかけて、カフェ・れんげ草は静かにOPENします。


アコースティックギターと、優しい、春の川のせせらぎのような囁く歌声。


昔、1度だけお会いした、まだ駆け出しの歌手だというチコさんがくださったものでした。


このお店を始める時、音楽をかけるなら必ずこれにしようと決めていたのです。



丸いテーブル席が3つと、シンプルな作りのキッチンがあるだけのこぢんまりとした店ですけれど、ポプラの木のぬくもりに包まれた内装は、我ながらとても気に入っています。


透明なガラスのシュガーポットに、まっ白の角砂糖を補充していた頃、みーこちゃんがおつかいから帰ってきました。


「ただいまです〜っ。はい、卵買ってきました!」


「おかえりなさい。ありがとうね」


するとみーこちゃんは、卵を受け取ってキッチンに戻ろうとした私のスカートの裾を掴みました。


「これ、八百屋のおじさんがくれましたっ。チョコチップのクッキーです!2つ頂いたので美鈴さんにも1つあげます」


「まぁ、ありがとう。じゃあお客さんがいらっしゃらなかったら、おやつの時間に食べましょうか」


「はぁい!」


片手をぴしっと上げて元気に返事をしたみーこちゃんは、奥の部屋にある洗面所へ手を洗いに駆けていきました。




リン・・・


日が高くなり、店内もぽかぽかとあたたかく、長閑な時間を過ごしていた午後1時。


扉に取り付けてある金色の鈴が揺れて、可憐な音を響かせながら一人の女性がやって来ました。


シンプルな作りの黒のワンピースに、美しい金糸がきらめく和柄の鞄を腕にかけ、顎のラインで切り揃えた艶のある黒髪が印象的な、少し影のある妙齢の女性でした。


「あ、あの・・・こんにちは」


「いらっしゃいませぇ!お好きな席にどーぞ!窓辺の席は、立派なポプラの木が見えますからオススメですよ」


「えっと、じゃ、じゃあそこにします」 


戸惑うような表情の女性は、みーこちゃんが引いて待つ椅子に腰掛け、店内をきょろきょろと見回していました。


「こちらがメニューです。ご注文が決まりましたらお呼びください!お鞄はこちらにどーぞ」


「ありがとう」


みーこちゃんはお客様の足元に籐のカゴを置き、深々と一礼してからキッチンへと戻ってきました。




「美味しい。この珈琲、とっても美味しいです」


キリマンジャロ珈琲を一口飲んだ女性は、初めて少し表情が緩んだように見えます。


「わぁ、美鈴さん良かったですねぇ!美鈴さんが作るものは何でも美味しいですよっ」


みーこちゃん用の踏み台に立ちながら、キッチンカウンターから身を乗り出してはしゃいでいました。


「もうずっと食欲も出ない毎日を過ごしていたんですけど、何か食べようかな・・・何でもいいので、簡単にできるオススメをお願いします」


「かしこまりました」


私は冷蔵庫から卵を取り出し、みーこちゃんにもその他の細かい準備をお願いすることにしました。




油を熱した所に、お出汁や塩コショウで味付けした卵を流し入れて、厚焼きの玉子焼きを作っていきます。


みーこちゃんには、辛子マヨネーズをパンに塗ってもらっています。


いつも楽しそうに、そして慣れた手つきでテキパキと働く彼女は、小さいながらもとても頼もしいのです。


辛子マヨネーズが塗られたパンに、焼き立てのふわふわ玉子焼きを乗せて、もう一枚の食パンで挟みます。


耳を切り落とし、長方形のサンドイッチの形に切り分けたら、和風たまごサンドの完成です。


ふわりとお出汁が香る玉子焼きと、辛子がアクセントのマヨネーズがとても美味しい、みーこちゃんもお気に入りの一品です。




「お待たせしました。たまごサンドです。ごゆっくりお召し上がり下さい」  


キッチンに戻ると、くりくりの目をキラキラと輝かせたみーこちゃんが丸椅子に座って待ち構えていました。


「ふふっ。はい、みーこちゃんの分も作っておいたから食べていいわよ」


「わぁい!いただきます」


騒がないよう、小さな声で手を揃えたみーこちゃんは、サンドイッチを頬張りながら幸せそうに目を細めました。




「ごちそうさまでした。本当に美味しかったです。私のおばあちゃんの玉子焼きも出汁巻きだったので、何だかとても懐かしくなりました」


みーこちゃんが空いたお皿を下げてから、おかわりした珈琲を飲んで、そっと息を吐いた彼女は窓の向こうに立つポプラに目を向けました。


「その鞄、素敵ですね。お着物のリメイクかしら」


ぼんやりと外の景色を眺める彼女に、私は食器を洗いながら尋ねました。


「えっ、あぁ。これ・・・はい。今年の初めに亡くなったおばあちゃんの遺品なんです。ハサミを入れるのも躊躇ったんですけど、やっぱりいつもそばに置いておきたくて。不器用なのに手縫いで作ったので、少し不格好ですけど」


恥ずかしそうに笑いながら、鞄をそっと膝の上に乗せました。


「とっても素敵ですよ。おばあさまも喜んでいらっしゃいます、大丈夫ですよ」


「えっ・・・そ、そうだと良いんですけど・・・あの、もしかして見える、とかですか?」


「美鈴さんは何でも見えるのですよ!だってーー」


「みーこちゃん」と私がそっと彼女の口元に手を当てるとハッとしたように「ご、ごめんなさいです」と、私が洗って拭いた食器を慌てて片付け始めました。


「ごめんなさい、変なこと聞いちゃって・・・」


「いいえ。ほら、霊感?でしたっけ。そういうのを持つ人がいると聞きます。私も似たようなもので。あなたがこのお店に来てくださった時も、おばあさまは後ろでご丁寧に私にお辞儀をしてから入って来られましたよ」


私がそう言うと、彼女の目にはみるみる涙が溜まり、溢れたそれは彼女の痩せた頬を伝います。


「成人した姿、見せたかった・・・けど、そばで見てくれているなら・・・」


ひと粒落ちると、次々と止めどなく溢れる涙を慌ててハンカチで抑えた女性は「ごめんなさい、ごめんなさい」と私達に何度も頭を下げながら嗚咽を漏らしました。


「これ、あげます」


突然そばに駆け寄ったみーこちゃんが女性に差し出したのは、八百屋さんに頂いたクッキーでした。


「え・・・あ、ありがとう。ありがとうね」


春の若葉の甘い香りが窓から流れ込む静かな店内で、ただただ女性の咽び泣く声が響いていました。





「ありがとうございました。誰かにおばあちゃんの話をしたのは初めてです。ずっと泣いてばかりですみませんでした・・・」


帰り際、ドアの前で女性は苦笑いで申し訳なさそうに背中を丸めて言いました。


ここへ来て初めての笑顔はとても可愛らしく、18歳だという彼女は、年相応の女の子の顔をしているように見えました。


「ここはそうやって、来てくださったお客様の心が軽くなって頂く為の場所みたいのものなんですよ」


「ありがとうございます。お店、入ってみて本当に良かったです。私、畑中 小春といいます。ここにこんな素敵なお店があるなんて知らなかったので、久しぶりにお散歩して良かったです」


「ふふっ。私も、小春さんに出会えて良かったです。来てくださってありがとうございました」


ドアを開けた小春さんの背中に「お元気で」と声をかけると、彼女は一瞬「えっ?」と目を丸くしてこちらを振り返ったあと「あぁ、えっと、はい。また来ます」と笑顔で会釈をして帰って行かれました。


みーこちゃんと私は、扉が閉まる瞬間まで二人で感謝の気持ちを込めて頭を下げていたのでした。




とある小さな町の、路地裏商店街の一角にカフェがあります。


大きなポプラの木が目印の、とてもシンプルなお店です。



いつの頃からそこにあるのか


いつの間にそこにあったのか。


誰も知らないお店。



カフェ・れんげ草は、ここを求める人だけが訪れる事のできる不思議な場所なのです。




店主の美鈴と看板娘のみーこちゃんが、あなたとの出会いを。


ほんのささやかなひと時を過ごす、その時を。



お待ちしております。




おやつのクッキー。


みーこちゃんと半分こしましょうかね。

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