第4話

 引きずられるように吽形へ近づいて、その足を突き刺す。

 ……刀が勝手に。

「ぐぉおおおおおおお」

 刀を引き抜けばその傷口からあの黒ずんだ赤色の霧が噴き出した。

 吽形の唸り声が闇に轟き、続いて膝をなで斬りにすれば更に霧は濃くなり、吽形は膝を押さえて崩れ落ちていく。

 すると、瘴気に沈む吽形の体の表面にぽつ、ぽつ、と何かが現れた。暗闇に目を凝らせばそれは人の顔や手足で、その一つ一つが気味悪く動いてうめき声を上げていた。

 “人を食らう末路よ。とどめを”

 勝手に動いて吽形の足を斬り倒した刀は何もかもを知ったように話した。

 黙って聞いていた童女はその光景に眉をしかめていたが、意を決したのか力強く頷くと刀を持ち直して吽形に向かい、静かに目を閉じた。

 すると、吽形の背にごく小さなもやもやがあるのを見つけた。それは紫色で、吽形の背に刺さっている棘の様にも見えた。

「怪我してるの?」

 友達に話しかけるかのように声を掛け、柄を口に咥えて吽形の背によじ登り始めた。

 棘の刺さっていると思しき場所に手をかざそうと試みるのだが、吽形の体から生えてきた手に掴まれ、それから引っ張られ。足には踵を落とされた上に蹴られて仕舞う。終いには焦点の合わない目をぎろぎろと動かす気色の悪い顔に噛み付かれる始末だ。

 しかしこの童女は困っている人のためであれば怯むと言う事を知らないのか、登っては蹴落とされを繰り返しても諦めない。

「ちょっと! 引っ張らないでよっ、いたっ、かかと落としやめてくれる! あんた!噛むんじゃないよっ、手が届くんだからこの棘抜いてあげなよっ!」

 さすがに苛々してきたのか、咥えた刀を手に持ち直すと人の心をなくした亡者へ食って掛かり、大人しくしていろとその額をひっぱたいて黙らせて仕舞う。


 文句たらたら、両手に棘を握って足で踏ん張って。

 ずぽんっ、

 と抜けると蹈鞴を踏んでバランスを崩し、それに加えて吽形は奇怪な叫び声をあげて体を起こしたものだから童女はその背を転げて地面へ落ちてしまう。

「抜けた……でかい棘」

 痛みを堪えてむくっと顔を上げた童女が目にしたのは、吽形の背中から赤黒い霧がとめどなく噴き出し辺り一体が染まっていく様だった。

 吽形は悶えて苦しそうだが攻撃を仕掛けてくる様子はないらしい。ひとまず難が去った童女はその棘を地面へ突き刺し自重で埋めてしまう。

 するとその背に、吽形の落ち着いた声が聞こえてきた。

「人を食らわば、痛みが癒えると教えられた」

 戦いの最中に落としたサイリウムを拾い、空に向かって掲げた童女の目に見えたのは、棘を抜く前よりも細身になり威勢のいい眉を落とす吽形だ。

「だがどうだ、痛みが治まるのは人が腹に入っているときだけ。 食らい続けているうち、人の怨念に体は膨らみ、腹の虫は絶え間なく騒ぎ続けるようになった。 阿形は心配してくれていたが同じ病にかかり、食らった者の怨念に飲み込まれ我らは心を失った……阿形の元へ逝かれなかったのは残念だが、これからは阿形を弔って暮らそう、礼の代わりに名を聞こう、小さきものよ」

 この問いかけに、童女は弾むような声音で元気よく答えた。

「あたしたくみ。よろしくね」

「たくみか、いい名だ」

 吽形が話し終わると突風が吹きつけて童女は反射的に目を瞑る。一瞬の嵐は髪を乱して過ぎ去り、恐る恐る目を開けばそこにいたはずの吽形は消え去っていた。



「見た見た? 初めてにしてはあたし頑張ったよね」

 興奮冷めやらぬ様子の童女が少年の元へ戻ってくる。吽形から噴出していた赤黒い霧、 “瘴気” にまみれても屈託なく笑いながら。

 初めてにしては頑張った、というより天性の物を持っていると出会った瞬間に分かっていた少年は拍子抜けして問う。

「お前、気が付いてないのか」

「何に気が付くの? 口が臭いとかだったら心が折れる」

 カラリと話す様子に少年の心が屈しそうになるが、

「そういうことじゃなくて、」

 ちゃんと説明しようと思うのに童女はその口を閉じることをせず話し続けた。

「頑張ったんだからお面とって見せてよ、絶対グッドルッキングに決まってる、あたしのいい男センサーがバシバシ感じちゃってるもん」

 鼻息荒く話す童女に、約束してしまったものは仕方がないと腹をくくった少年はお面を留める紐に手をかけた、その刹那。

 童女はあらぬほうを見て「あ、」と一言、体が傾いていく。

「おいっ、」

 足を動かせない少年の背には燃えるような色の光を放つ大きな翼が突如広がった。勢いよく羽ばたいて片足で立ち上がり片腕で童女を抱きとめたまではいいのだが、怪我の痛みに耐え切れず羽ばたきも虚しく背中から倒れてしまう。

「大丈夫かっ」

 翼が緩衝材になったお陰で難を逃れた少年の胸の上で、童女は弱く唸るだけ。

 もしやと思う少年は体を起こし、童女の瘴気に汚れた珍妙な衣服の袖をたくし上げれば引っ掻き傷や噛まれた歯型がくっきり残っていた。

「これで瘴気の中に立ってたのか」

 瘴気に当たれば通常の人間ならすぐに気を失う、怪我をしていればそこから瘴気が巡って命に関わる。

「お前やっぱり変だ、絶対変だ」

 口では罵るような事を言う少年だが、童女が握っていた刀を手にすると、急ぎ自らの手のひらを傷つけ童女の口元に寄せた。

「飲めっ」

 口元に塗りつけ、童女が舐めるのを確認する。

 するとどうだろう、魔法にかかったかように童女の黒髪が白銀に変り、薄っすら開かれた黒い瞳も黄水晶の様に透き通った瞳へ変化した。

 少年の髪と同じ色になった童女を腕に抱いて安堵のため息をついていると、草木も眠るこんな時間に茅場に向かって歩いてくる人の足音を聞き取った。

「さよならだ、たくみ」

 童女を茅場に寝かせ、見事な翼をぎこちなく羽ばたかせた少年はよろよろと宵の空に消えていった。

 残された童女は朦朧とする意識の中、舞い落ちてきた羽に手を伸ばして力なく握り、静かに瞼を閉じた。



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