もしあと5分、早ければ
森木林
たった5分、されど5分。
「うちの高校受かったの⁉イチカはやっぱりすごいよ!」
三月半ば。卒業式の前日。
頭頂部を優しく撫でられる。ゴツイ訳じゃないけど、私の手よりは大きくて、分厚くて、そして温かい手。
それが嬉しくない訳じゃない。でもなんか、いつまでも子ども扱いされているみたいでちょっとフキゲンになる。
そんな私を見てもなお、笑顔を崩さず「すごい!すごいよ!」と言っているこの男は幼馴染の
葵は二つ年上で、いつも笑顔で、優しくて、少しバカだけど、どこまでもまっすぐな私の自慢の幼馴染みだ。
ただ一つ、私にはどうしても我慢ならないことがある。
私は現在中学三年生。彼は高校三年生。学年は三つ離れていることになる。来年は二人とも『進学』する。
四月二日の零時四分に生まれた私。
もし……もしあと五分、早く生まれていれば……。
毎年誕生日が来る度に、そう思わずにいられない。そして今年もまた、誕生日が来てしまう。
そんな私、
× × ×
「それじゃ、進路希望を提出した奴から帰って良いぞ~」
その一言でわっ、と教室が
とっとと提出して部活に繰り出す者、仲の良い友達同士で雑談しながら用紙の空欄を埋めていく者、隣のクラスから来た恋人とイチャつきながら……あ、あれイチャついてるだけだ。
それぞれがそれぞれの青春を謳歌している放課後の教室。嫌いじゃないけど好きじゃない。
別にイチャついてるカップルに『爆発しろ』とは思わないし、談笑する友達くらいは私にもいる。今は部活に行っちゃってるけど。
じゃあ何で、ってそりゃ……葵がいないからに決まってる。いや、例え同じ学校に通えていたとしても、恋人になれているかは分からないし、学年が離れている以上わざわざ教室に来てくれる訳でもないと思う……けど。
入学から早半年。友達は出来たし、授業も楽しい。概ね学校生活は順調なスタートを切れたと言ってもいい。
でもやっぱり『何か物足りない』と思ってしまう私は、我が儘なのかな。
× × ×
部活をしていない私の夏休みは
バイトの日以外は毎日がパラダイスで、海にプールに祭りに花火。いつでも葵と出掛けられるようにバイトも頑張った。
そのお金で初めて自分で水着を新調したし、ちょっと大人っぽいワンピースも買った。準備は万端!
だけど現実は甘くなかった。大学生は夏休みが長いって聞いていたけど、葵は全然休んでない。サークルの合宿から帰ってきたと思ったらまたどこかへ出掛けて行く。
誘いたいけど忙しそうで、でも充実してるように見える葵の時間を私が奪ってしまっていいものなのか。葵は今、大事な時期なのでは?
大学の事はイマイチよく分からないけど、研究とかをする所っていうイメージだし、葵の卒業後の進路とかに響くような真似はしたくない。だって私のはただの我が儘だし。
その分、また褒めてもらえるように頑張ろう。私は私のやり方で、葵に追いつくんだ。
× × ×
夏休みに遊ばなかった時間を勉強に全振りした。
恋の魔力とは恐ろしいもので、そのためならいくらでも頑張れた。夏休みがあっという間にだった、と思えるくらいに勉強した。
その甲斐あってか夏休み明けのテストの順位は私史上初の一桁だった。
今までも別に悪くはなかったけど、胸を張って褒めてもらえるような誇れるものではなかった。
でも、今回は正々堂々と褒めて貰える。
それをちょっと嬉しく思ってしまう自分が悔しいけど、それのために頑張ったんだもん。それくらいなら邪魔にはならないよね。
成績表を持って、少し駆け足で葵の家へ向かう。角を曲がればもう目の前だ。
曲がって、ピンポン押して、なんて言おう。そんなことを考えながら曲がり角を右折して——そして立ち尽くした。
玄関のドアから出てくる、夕陽に照らされた二つの人影。前を歩く細身の影が門のところで振り返り何かを喋っている。それを受ける背の高い影が返事をしたのだろう、向かい合うこと数十秒、細い影がその場を後にする。
一部始終を見ている間に、段々と視界がぼやけていった。最後は
どんどん呼吸が苦しくなる。深く息を吸い込みたくても、体の中から込み上げてくる何かのせいでうまく吸えない。それでも収まらない『何か』は肺を通り過ぎて瞳から頬へと溢れ出す。
気が付いたら駆け出していた。後ろから呼ぶ声が聞こえた気がしたが止まらない。止まってしまったら、もうきっと二度と走り出せなくなる。そんな予感に突き動かされて、力の限り地面を蹴る。
ここじゃない何処かへ、どこか違う世界線へ行きたいと願って足の向くままに全力で駆ける。
でも結局、子供の私が行ける場所なんてたかが知れていて、最後には自分の部屋で布団に包まるしかなかった。
次の日、初めて仮病で学校を休んだ。
× × ×
平日のお昼に家にいる、ってなんか不思議な感じだ。仮病だから熱は無いはずなのになんだかフワフワする。顔でも洗おうか。
洗面台の鏡に映る自分の顔を見て噴き出す。仮病使って正解だったかも。こんな顔で学校なんて行けないや。
泣き腫らした目元を重点的に洗う。それで治る訳じゃないけど、なんかそんな気分だった。
今まで頑張ったものは全部無駄だった。私がどれだけ頑張ってもその『五分』は縮まらない。永遠に追いつけない。
だったら全部諦めよう。
私はまだまだ子供で、葵は私よりも先に大人になる。当然、素晴らしい大人な女性たちと沢山出会うだろう。そんなの敵う訳無いよ。
あ、やばい。また泣きそう。雫だらけの顔をタオルで覆って感情を押し殺す。
なんか考えすぎて頭は重いし身体も熱い。
よし、顔洗ったけど二度寝しよう。布団はそんな私の全てを受けとめて優しく私を包み込み、夢の世界へと
夢の中で私は、葵と同じ制服を着ていた。
数歩前を葵が歩く。その背中が不意に振り返る。右手を挙げて手を振っている。手を振り返して歩み寄る。でもたった数歩のはずなのに追い付かない。むしろどんどん離れていく。振っている手が「ばいばい」と言っているみたいで嫌だ。待って、行かないで!
「置いていかないで!!」
その叫びと共に目を覚ます。まるで全力疾走をしたみたいに呼吸が荒い。
部屋には茜色の夕陽が差し込んでいる。もう夕方だ。ずいぶん長く寝てしまったらしい。でも私の胸の中は朝のように清々しかった。
だって分かったんだ。私は追い付きたかったんじゃない。置いて行かれたくなかったんだ、って。
たった三年しか違わない。でも、学生のうちの三年は大きな差だ。彼は私の知らない世界へとどんどん進んでいく。
私が居るのは彼が知っている世界の中だ。だから私の知らない世界で進化していく葵が遠くへ行ってしまっているみたいで怖かった。
けど、もう大丈夫。だって理由が分かったから。無理に背伸びするんじゃなくて、いま出来ることを精一杯やろう。葵の時間が一年進めば、私の時間も一年進む。離されていくわけじゃない。それに世間的に見れば三歳差は全然アリだ。
だから、学生が終わって葵の世界に追いついたらちゃんと伝えよう。この想いを。もしその時に、隣に私以外の誰かがいたとしても。
× × ×
「え⁉本当に?うちの大学受かったの⁉やっぱりコハルはすごいなぁ」
四月一日の夜。葵の家の前で報告する。時間と場所は敢えて指定した。
葵は案の定、褒めながらその大きな右手を私の頭へ伸ばす。それをとっ捕まえて両手で握る。
「彼女がいるのにそういう事しないの」
「いやイチカが凄いことに変わりはないんだからそこは褒めないと」
「ほらまた子ども扱いする!」
「……大人扱い、していいの?」
「え?だって彼女が……」
「いないよ、彼女なんて」
「だって、前に家から出てきたじゃん」
「もしかして俺が一年生の時のやつ?」
やっぱり見てたのか、と笑いながら髪を掻く。
「あれはサークルの先輩。合宿の経理を二人で担当してたからその後始末してんだよ」
「……それだけ?」
「それだけ」
そんな……私のあのやきもきした時間は何だったのか。なんか無性に腹が立ったのでグーでお腹を軽く殴る。
しかしそれは届く前に掴まれ、彼の左手に阻まれてしまう。
「で?返事を貰っても?」
私の手を掴む彼の左手首に巻かれた腕時計を覗き見る。針は二十三時五十五分。
それは長い、長い五分だった。ものすごく遠回りで、振り回されて、泣いて怒って吹っ切って……そんな色んな想いを、思い出を全部込めて伝える。
「私、追いつけた?」
「うん。もう余裕なんてないよ」
四月二日は私の誕生日。
でも今日からは、私たちの特別な日。
「
葵の腕の中で、私は一つ大人になった。
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