断章3「穴来命の挑戦」


「穴来さん、あとよろしくねー」

「じゃあまた明日―」

 

 放課後。

 非常階段で、私はもう一度冷静に自分の身に起きた事を整理する。

 確かに私は自分自身で命を絶ったはずだ。

 でも何故かこうしてまだ生きている。

 何度も確認したが、どうやらこれは夢ではないようだ。

 しかもさらに驚くことに、過去に戻っている。

 カレンダーも何度も確認したし、何より今日ここまでの流れが、会話も含めて私の記憶と全く同じだ。

 間違いない。

 私は死んで、何故か過去に戻って来てしまったのだ。

 そして何よりも重要なのは、戻って来たのが今日この日だという事だ。


「四宮、薫……」

 

 今日の夜、私は暴漢に襲われて殺されそうになる。

 そしてそこに彼、四宮薫が助けに来てくれて、私の代わりに死ぬ。


「まだ、夕方…」

 

 使い古した腕時計はまだ事が起きるまで数時間かの猶予があることを教えてくれる。

 何故、こんな事になったのか。

 私には全く理解出来ない。

 私は神様なんて信じない。

 むしろこんな地獄みたいな人生を過ごして来て、信じられる神なんているはずが無い。

 でも、今ならほんの少しだけ信じても良いと思った。


「……絶対に、殺させたりしない」

 

 私にしか出来ない。

 時を遡りした私にしか、彼を救うことは出来ないんだ。

 誰も頼れない。

 でも大丈夫、絶対に上手くやってみせる。

 命の恩人である彼を、今度は私が助ける番なんだ。


「急がなくっちゃ…」

 

 いつもよりも大雑把に掃除を終わらせて、私は急いで学校を出る。

 ひ弱な女子高生一人に何が出来るのか、必死に頭を働かせて考える。

 沈んでいく夕陽が、思ったよりも時間がない事を私に教えているようだった。












































 月明かりに照らされた裏通りで、私はかれこれ2時間程息を潜めて待っている。

 当たり前だが、入っていたバイトは適当に誤魔化して休ませて貰った。

 バイトを休むなんて初めてのことで、まるで自分じゃないような不思議な気分になる。

 お金を稼がないと、またあの人たちに殴られる。

 痛ぶられて、辱められてーー


「…駄目、今はそんなこと考えちゃ、駄目」

 

 ちらつく考えを、頭を思いっきり振って消し飛ばす。

 脇に置いてあるリュックの中身を触ると、冷たい感触に身が引き締まった。

 なけなしの所持金で買った、防犯用の特殊警棒が月に照らされて鈍く黒光りする。

 これくらいしか、今の私には備えが出来ない。

 これが私の精一杯なのだ。

 たとえ刺し違えてでも、絶対に彼だけは、四宮薫だけは救ってみせる。

 元々は私が死ぬはずだったんだ。

 ここで死んだって、別に何もーー


「…なんで、震えてるのよ」

 

 ――私の意思に反して、膝は、両手の震えは止まらない。

 何を今更生娘ぶることがあるのだろう。

 私はもう人を殺してる。

 たとえ正当防衛だったとしても、死に戻りしたとしても、その事実とあの時の感触は消えない。

 全ては彼を助けるため。

 心を鬼にして、邪魔するならば殺すつもりでいかなければならない。


「……もう、すぐだ」

 

 腕時計は、本来なら私が既にバイトを終えている時間を示していた。

 過去通りなら、あと数分で私はここを通って、そして通り魔と遭遇する。

 覚悟を、決めるんだーー


「…………」

 

 しかしそんな私の覚悟とは裏腹に、しばらく待っても通り魔は現れなかった。

 おかしい。

 記憶が確かなら、もう来てもおかしくないはずだ。

 もしかして道を間違えたのだろうか。

 変な汗が噴き出るのを感じる。

 まずい。

 もしそうだとしたら、通り魔と四宮薫が鉢合わせしているかもしれない。

 そう思って私は、慌てて茂みから裏道に飛び出す。

 そして来た道を戻ろうとしてーー


「――あ…」

「…ん?どうか、しましたか」

 

 ――出会った。

 私が何度も何度も謝って、そして死に戻りした目的である四宮薫に、生きている彼にもう一度出会った。



















































「すいません、全然関係ない人を巻き込んでしまって…」

「ううん、気にしないで。こんな俺でも役に立てるなら何よりだし、女の子1人で夜道をうろつくのは、危ないしね」

 

 四宮薫は、少しやつれた笑顔で私に優しく話しかける。

 私が彼を引き止めて、あの場所から少しでも遠ざける為、咄嗟についた嘘を真に受けていた。


「あれ、落とした学生証って、何色だったっけ?」

「えっと、緑色です。それで、手帳みたいな形のやつで…」

「了解。スマホのライト機能は、っと」

「本当に、すいません」

「本当に気にしないで。たまたま暇だったから」

 

 そうやってありもしない学生証を、彼は一緒に探してくれていた。

 もうあれから10分程経つが、未だに通り魔の姿は見られない。

 そして何より彼、四宮薫が無事生きている。

 まだ油断するべきではないのだが、とりあえず最悪の事態は免れたようで、私はほっと胸を撫で下ろした。


「…あの、もうなければ諦めますので、また後日探します」

「うーん、おかしいなぁ。目立つ物だし見つかりそうなもんなんだけどな…」

「あ、あの…。お礼、します。手伝ってくれたお礼。なので、そこのベンチ、行きませんか」

 

 私は公園脇にあるベンチを指差して、彼を促す。

 まだ油断は出来ない。

 今解散してしまったら、もしかしたら帰りに通り魔に遭ってしまうかもしれない。

 出来ればもう少し時間を置いておきたいのだ。

 あの位置からはもうだいぶ距離は空けた。

 後は、時間さえ稼げればーー


「いや、別にいいよ。気にすることじゃないし」

「私が気にするんです。駄目、ですか」

「でもこんな遅い時間に寄り道したら、ご家族の方も心配――」

「家族は、心配なんてしません。私のことなんて、するわけがありません」

 

 思わず言葉を遮ってから、はっと我に帰る。

 少し強引過ぎたかもしれない。

 私たちはあくまでも初対面だ。

 不審に思われたりでもしたら、それこそ意味がない。


「……分かった。少し、座ろうか」

「あ、ありがとうございます…」

 

 でもそんな私の不安を他所に、四宮薫は自分からベンチに座ってくれた。

 私の言葉から事情を汲んでくれたのかもしれない。

 すぐそこにある自販機で2人分の缶コーヒーを買って、彼に渡す。


「別にお礼なんていいのに」

「すいません、これくらいしか出来なくて…」

「ううん、ありがたく頂くよ」

 

 そのまま黙って2人でコーヒーを飲む。

 ふと横を見ると、四宮薫はあからさまにしかめっ面をしていた。

 どうやら無糖のコーヒーは彼には合わなかったようだ。


「あ、すいません。コーヒー、苦手でしたか」

「あはは、面目ない…。どうもブラックコーヒーは苦手でね。よく同僚にも馬鹿にされるんだよ」

「別のやつ買って来ますよ」

「いいよ、これも勉強だからね。訓練すれば段々苦手じゃなくなるはず…」

 

 そう言って彼はまた一口飲んでは、渋い顔をしていた。

 それがなんだか可笑しくて、私は思わず吹き出してしまう。

 でも四宮薫はそんな私を怒ることはなく、また一口コーヒーを口に運ぶのだった。


「うーん…。苦いな、やっぱり」

「ふふ…」

 

 不思議な気分だった。

 誰かの前でこうやって自然に笑ったのは、何年振りだろう。

 小さい頃から親戚中をたらい回しにされて、誰からも必要とされなくて。

 厄介者として過ごして来た私が、初めて感じる気持ちだった。

 こんなこと、している場合じゃないのに。

 でもコーヒーと格闘する彼を、私はもっと見ていたいと、そう思った。


「…あの、聞いてもいいですか」

「ん?」

「なんで、見ず知らずの私を、助けてくれたんですか」

 

 それは今の彼に対しての質問なのか。

 それとも、私のために犠牲になったあの彼に対してなのか。

 それは分からない。

 少し考えた後、四宮薫は頭を掻きながら恥ずかしそうに答えた。


「……似てるんだ」

「似てる?」

「妹に、似てるんだ。髪の色とか目の色とか、顔とかじゃなくて、雰囲気がさ」

「妹さん、ですか…」

「ぱっと見た時の雰囲気が、なんか似ててね。上手く言い表せないんだけど…」

「そう、ですか…」

 

 どこか遠くを見るような目をして四宮薫はそう言った。

 私は知っている。

 彼の葬式で、ご家族から聞いた彼の妹のこと。

 死んでしまった妹に、私を重ねているのだろうか。

 どこか雰囲気の似ている私を助けることで、彼の何かが救われるのだろうか。


「君こそ、こんなところで何してたの?」

「…バイト帰りです」

「そっか。じゃあ家の近くまでは送って行くよ」

「え、いや、大丈夫ですから」

「こんな夜更けに女子高生を一人で帰したとあっちゃ、心配で夜も眠れないからね」

「でもーー」

「コーヒーのお礼、させてよ」

 

 それじゃあ私がお礼したことにならない、とは言わなかった。

 なるべく彼と一緒にいることであの通り魔に遭った時に対処出来る。

 なんなら送って貰った後に、そのまま気付かれないように彼を尾行すれば、何かあったときに助けられる。

 そんな打算的な気持ち以外に、よく分からない気持ちが私の中に生まれていた。


「……それじゃあ、お願いします」

「了解。近くまで行ったら帰るから、心配しなくても大丈夫だよ」

「別に心配なんて、してません」

 

 月明かりの夜道を、2人きりで歩く。

 道中、まだお互いに自己紹介すらしていないことに気付いて、私たちは今更名乗り合った。

 不思議な時間だった。

 四宮薫のことをもっと知りたい。

 そしてもっと色々な話をしたい、そう思った。

 誰かに興味を抱くことなんて初めてで、戸惑う私に彼は優しく話しかけてくれる。

 なんでそんなに優しくするのだろう。

 私が死んでしまった妹に、似ているからだろうか。


「あ、この交差点を抜けた先が、私の家です」

「そっか。じゃあもうそろそろーー」


 警戒していた通り魔も、気配さえ感じることはなく、家の近くの大きな交差点まで来ていた。

 ここまで来ればもう大丈夫。

 とりあえず、私の命の恩人は死ななくて済んだ。

 そう思って青信号を渡ろうとしてーー


「あ、危ないっ!!!」

「えっーー」

 

 信号無視して突っ込んできたトラックに気が付かなかった。

 全てがスローモーションになるのを感じる。

 噂で聞いたことがある、これが走馬灯というやつなのだろうか。

 目の前に迫って来ているトラックを見て、私は自分が助からないことを確信した。

 そして次の瞬間、思いっきり体を押されて私の身体は正面衝突から、逃れる。

 ――駄目。駄目。

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 見なくても分かった。

 一体誰が私を押してくれたのか。

 誰が‘身代わり’になってくれたのか。

 バランスを崩して倒れる私が、最後に見たのはーー


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!」

 

 ――トラックの目の前に飛び出た四宮薫だった。



































 病院で目覚めた私は幸い、軽い打撲て済んだことを医者から教えてもらった。

 そして、当然のように私を庇った四宮薫は、即死だった。

 トラック運転手はどうやら居眠り運転だったようで、すぐに警察に逮捕されたらしい。

 そんなことが私の元にも来た警察官から伝えられたが、もう私の耳に入ることはなかった。


「なんでよ……」

 

 一人残されたベッドの上で、私は呟く。

 上手く行ったはずだ。

 あの通り魔は完全に回避したはず。

 なのになんで、どうして。

 結果はまた同じだった。

 結局彼は、私を庇って死んでしまった。

 意味が分からない。

 なんで。


 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでーー


「……もう、いや」

 

 結局私は彼を救えなかった。

 やっぱりこの世に神様なんていなかったんだ。

 そのまま私は病室を飛び出して、病院の屋上まで行く。

 私が死ぬべきだったんだ。

 もう生きてる意味なんて、ない。

 一度は死んだ身だ。

 大丈夫、すごく痛いのは一瞬だから。

 私はフェンスを乗り越えて、真っ暗な夜空に身を投げたーー

























― dead end ―































「……なんなのよ、これ」

 目が覚めると、見慣れた天井が視界一杯に広がる。

 周囲を見回すと、やはりそこは私の部屋だった。

 カレンダーを見なくても、今日が何月何日か私には分かる気がした。


 ――ここから、私、穴来命の運命に対する挑戦が始まる。

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