花の怪

水野泡

第1話 季節外れの桜の花を咲かせる

「――先輩、手伝えることはありますか?」


 放課後の教室。普段あまり使われていないその教室に、一人だけ椅子に腰かけている先輩に、少年は声をかけた。

 外から西日が差し込んできて、先輩の顔は見えない。恐らく、微笑んでいるのであろう。

 先輩は少年に気が付くと、椅子から立ち上がった。そして、自身の足元へと目を向ける。

 そこには金属で出来たバケツがあった。遠目には分からないが何か砂のようなものが入っている。

「これをね、桜の木に撒こうと思うの。手伝ってくれる?」

「桜って、”首吊り桜”?」

「ええ」

「えぇ……」

 少年は先輩の言葉を聞いて困惑の声を上げた。

 何度か似たようなことを手伝ったことがあるとはいえ、あまり気分のいいものではない。

 それでも、彼は顔をしかめるだけで首を横に振る様子はない。

 仕方ないとでも言うように、一つだけ大きく息をついて教室の中に入り、先輩の足元にあったバケツに手をかけた。




*****


”首吊り桜”


 数日前、校庭の桜の木で、首を吊っている女生徒の死体が見つかった。

 そのためにこの名前が付いた。随分と新しいあだ名である。

 そもそもなぜ、女生徒はこの桜の木で首を吊ったのか。警察も現在調査中とのことで未だ謎のままである。

「遺書も何も見つかっていないそうですね」

 少年はバケツの中に入っていたものを、木の周りに巻きながらそう言った。

 バケツの中に入っていたのは灰だった。灰はざらざらと音を立てながら、少年が持つ園芸用のスコップから滑り落ちる。

 先輩はバケツを持って一緒に歩いていた。少年がスコップを使って先輩の持つバケツから灰をすくい、辺りに撒く。それの繰り返し。

「――本当に自殺なのかしらね?」

 ふと、先輩はそのようなことを言った。他殺とでも言いたいのだろうか。

 他殺としても少年には関わりのない事だった。それよりも気になるのは、今こうして手伝っていることの目的と、今撒いている灰についてだった。

「――この灰を撒いてて思ったんですけど……犬とか動物を燃やした灰とか言いませんよね?」

「あら、はなさかじいさん?確かにやりたいことはその通りだけど。安心して藁の灰よ」

 先輩はくすくすと笑ってそう答えた。そして、

「まぁ、ちょっと違うものも入っているのだけど……」

と、含みのあることを呟いた。

「……藁の灰だけじゃ一日で花を咲かせること出来ませんからね」

 少年はそれしか言えなかった。

「――秋だから桜の花はとっくに散ってしまっていて見ることもできないもの。最期くらい美しい桜を見てもらっても良いかなって思ったの」

「その人もう死んでるんですけど……」

「きっと魂になってどこかで見てくれているはずよ」

「そうですか」

 彼女なりの優しさなのだろう。弔いとして花を咲かせたかったようだ。見てくれるかは分からないが、少なくとも首を吊った位置からでも十分視界に入るだろう。少年は思う。


 灰を全て撒き終わる頃にはすっかり暗くなっていた。夏であればまだ明るかったはずの空には、煌々と光る細長い月が見える。

「明日になれば花が咲くことでしょう」

 すぐとすぐには咲かないようで、先輩は「明日が楽しみね」と呟いた。

少年は「はい」と返すしかなかった。




*****


 ――翌日。


 桜の花が咲いていた。

 薄い桃色の花が枝を覆い隠し、満開と呼ぶにふさわしい状態になっていた。

 季節外れに咲いた桜の花に、誰もが驚いていた。そして、誰もその美しく咲いた桜の木に近づこうとはしなかった。

 一日で花が咲いた奇妙さからというのもある。だが、一番の原因はそこではなかった。


――花から、声がするのだ。


 それは親しい者なら気付いたであろう。先日死んだ女生徒の声だった。

 声はひたすら呪詛を振りまいていた。自分が死んだのはある男に殺されたから。どうやって殺されたのか。どんな思いだったのか。辛かった。苦しかった。憎かったと、ひたすらに呪いの言葉を吐き続けるのだ。


 ――ぼそぼそ、ぼそぼそ。

 ――ぼそぼそ、ぼそぼそ、と。


 一つ一つは小さな声だが、満開に咲いた桜の花が一斉にしゃべるのだ。小さな声は大きな雑音となって、人々の耳へと入っていく。

 まるで悲鳴のような怨嗟の雑音は、人々を恐怖に凍り付かせるのに十分だった。


「ふふっ、きれいに咲いたわね」

 桜の木を遠巻きに見て、先輩は笑う。

「恨み言まで花を咲かせる必要はなかったと思うんですが……」

 少年は困惑しながらそう言うしかなかった。




*****


 桜の木はしばらく咲いていた。

 しばらくして、警察の捜査から女生徒を殺した犯人が見つかり、逮捕された。

 犯人が逮捕された時、桜は役目を終えたかのように、雪にように花弁を散らせて消えていった。



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