第6話 依頼
ジャンボサイズのパフェを半分くらい食べ終えたところだった。
「早速お仕事の話なんだけど、ちょっとこれを見て。」
葉月が手をかざして自分のメニューを操作し、アイテムウィンドウを開きその中の一つを選んで実体化のボタンを押すと、雪の家にあるようなものとは明らかに違う、シンプルだが繊細なデザインの美しいカップがひとつ、二人の前に現れた。
「これなんだけど、コピー品が出回っちゃってるんだよね。元は数量限定で作られたものだけど、コピーガードが外された状態でショップにも並んじゃって。」
「テラ」では著作権は最も重要な部類の権利である。創作されたものには作者の権利があるので、勝手にコピー品をつくることは重大な権利侵害であり、犯罪なのだ。すべてがデジタルデータで動いている以上、ガードをかけていなければなんでも好きなだけコピーを作れてしまう環境であるので、コピーを制限する機能は常に最先端の技術を駆使して搭載されている。なので、似せて作るということはある程度出来てしまうが、全く同じものをコピーして作るというのはかえって難しくなっている。そもそも「テラ」ではコピーが認められていないものを無理にコピーしようという文化はない。参加している人たちは、オリジナリティを至上主義にして、少しでも人との違いを際立たせることに情熱を燃やしている事が多い。基本的な活動費は支給される仕組みだしどこへ行くにも何をするにも現実世界と比べると格安と言っていい価格設定が多いので、コピーを作って不正に儲けるという、あえて難しいことをする動機が生まれにくい。
「限定品を買った人があちこちで同じものを見かけるって、売った人に問い合わせたけど心当たりがない、むしろこちらは被害者だって言われたらしくてね。それで今度はシステムの不具合じゃないかって運営の方へ問い合わせをしたらしいの。運営が調査したら不正なコピーは痕跡が無くて、出回っているのは正当なコピー品だって結論が出たの。買った人には別の限定品と交換するってことで決着がついたけど、その人、コピー品が出回っていること自体気に入らなくて、いつまたコピー品が出回るか不安だって、ワッフルの本社に何度も対策を立てて欲しいって言っているらしくて、日本担当のママのところへも連絡が行っちゃったんだ。」
「このカップがそんな騒動のもとになっているのか。大変だね。」
「人ごとじゃないよ。これを調査して欲しいっていうお話だよ。」
雪は時が頼んできたのはこういうことだったのかと理解した。規模の大きなことや緊急の案件はワッフルの社員が担当して解決するのだろうが、抱える案件が多すぎてすべての案件にきめ細かく対応するのが難しいのだろう。「テラ」の運営には機器の調達、運用からシステムの開発、更新、そのほか社会制度や金融システムの構築や調整なども加わり、通常のオンラインシステムを上回るリソースが必要とされていると思われる。最新鋭のAIもまだ、すべての人の仕事を代替できるほどの出来栄えではないはずだ。
「僕にそんなの調査できるのかな。限定品のつもりが限定されずにばらまかれちゃったってことか。システムは堅牢だって聞いているから、人為ミスかな。」
「どこかでガードが外れちゃったんだよ。ミスなのか誰かの仕業なのか分らないんだけど。」
「うーん、売った人が心当たり無しっていうのは確かなのかな。システムはワッフルが調べているよね。デザインした人には聞いたの?」
「デザイナーにはまだ聞いていないと思う。一番の被害者だもの。」
葉月が答えながらカップを逆さにすると、デザイナーの名前が浮き上がってきて誰がデザインしたかがわかった。データが改ざんされていなければ、池場鮎里という名の人がデザインしたものだ。早速検索してみたら、ちょうど今「テラ」にログインしているのがわかった。
「ちょっと、メール送ってみるね。直接会ってお話したいって。」
葉月は手をかざしてメール作成画面を開くと、手慣れた様子でメールを作成して送信した。パソコンやスマホを使わなくても、目の前に画面が開いていろいろなことができるというのは「テラ」では普通のことだが、とても便利なことだ。ちなみに鍵や財布の機能もシステムに埋め込まれているので携帯不要だ。この感覚に慣れると現実世界に戻った時、不便に感じてしまう。
「ところで雪は将来何になりたいの?ずっとコンピュータの研究をするの?」
「何かを研究する人になりたいな。うちの大学の先生で、量子コンピュータの第一人者の弟子だっていう人が居るから、その人の研究室に入りたい。入れなかったらAIの研究でもするかな。ほかには人工光合成にも興味あるけど学部が違うな。」
「やりたいことがあるっていいね。私は特に何も無し。秋から大学へ留学するけど、何かを専門に研究するって所じゃないんだ。これからそれを探すって感じ。私は母のような凄い人にはなれない気がする。母は私と同じ頃はもう、大学を卒業していて大学院に進学していたの。」
「その年で大学に行くっていうだけでも十分凄いと思うよ。」
「母は特別な才能を持っているからね。娘の私も期待されている気がするの。親が凄すぎると子は大変だよ。」
「そうか。うちは普通だから気が楽だな。」
「普通ってどんな感じなの?父親も居るの?」
「父さんとは子供の頃は良く遊んだと思うけど、中学くらいからはあんまり話してないかな。最近は、AIのせいで仕事が無くなりそうでどうしようってよく言ってるね。」
「仕事なんて「テラ」に来れば解決だよ。適当に好きな事していればいいだけだもの。」
「母さんがあんまり、そういうのを信用してないからうちでは話にならないんだ。家族みんなで「テラ」に登録したら、生活出来るかもって言ってはいるんだけどね。」
「テラ」に本人確認書類を添付の上で住民登録すると、ベーシックインカムが支給される。基本的な活動費を賄ってもらえる仕組みで、平たく言うとお金がもらえるのだ。そのお金は仮想通貨、ドレンで支給されるが、円やドルにも交換可能なので支給されるドレンを仮想世界での活動費だけでなく、現実世界での生活費に充てることも可能である。ベーシックインカム以外にも「テラ」ではお金を稼ぐ方法があるので生活費すべてを「テラ」に依存している人も出てきている。ドレンの信用不安が起きれば現実世界への影響も避けられないだろうが、ドレンは現状ではドルと円の中間くらいのレートで安定していて、むしろ安全資産とみなされ、資金の流入が継続している状況だ。
話をしていると池場鮎里からメールの返信が来たようだ。
「母の名前出しちゃった。真白博士のお嬢さんと会えるなら光栄です、だって。母は偉大だね。」
葉月は目の前の画面に向かって操作して池場鮎里と文字でのコミュニケーションをして約束を取り付けた。約束の時間まで残りのデザートで舌を楽しませた後、二人は鮎里のもとへと向かった。
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