鯨骨奇譚

紺野理香

第1話 雨のまぼろし

 にわか雨が降ってきたのだと思った。

 細かく地面を叩く軽やかな雨音が室内に満ちる。

 私は、低く垂れた曇り空を無自覚に思い描きながら、左側の大きな窓に首を向けた。しかし、講義室の窓の向こうにひらけていたのは、清い気流の流れる七月の高い青空だった。

 明るい屋外と対照的に薄暗い講義室に意識を戻して、私は気づく。雨に聞こえた音の正体は、大講義室の座席を隙間なく埋める学生たちが、試験の解答用紙に素早く走らせる無数のペンの音だったのだ。

 私も慌てて答案用紙に、文学部四回生須賀晶博、と走り書きした。教室が暑いせいで、ボールペンのインクはすぐに乾いて艶を失う。

 今年の梅雨は長引いていた。二、三日前、文学部の校舎を出たところで、天気雨が降ってきたときのことを思い出す。立体感のある大きな雲から降り注ぐきらきらした雨に、急ぎ足になる人や空を見上げる人が活気づいて見えた。まるで、雨の降り始めが、映画監督の撮影開始の合図だったかのようだ。

 私が時計台の下の生協へ小走りに向かうと、初老の男性が二人、それぞれ別方向から向かってきた。二人とも背は低く、白いYシャツに鼠色のズボン姿で、一人は四角い眼鏡をかけている。大学にいる典型的なおっしゃんである。おっしゃんとは、この辺りの方言で、おじさんのような、おじいさんのような、幅のある年代の男性を指す。取り立てて書くほどのことでもないが、アクセントを置く位置を「しゃ」から「お」に移すと、和尚を指すことになる。

 二人は知り合いらしく、白髪まじりの頭の上に手をかざし、早足に歩み寄りながら、空に視線を送る仕草をした。

「もう、じきですな」

「あと二、三度ですなあ」

 時計台の地下の生協へと続く外の階段を駆け足に降りながら、何かの予言めいた二人の会話が、やけに頭に残った。

 そして気象庁は今朝、梅雨明けを宣言したのだった。

 法哲学の試験の行われている講義室は、口の字型に組み合わされた校舎の三階にある。四階建ての校舎に囲まれた四角い中庭には、校舎よりも高い木々が緑陰をつくっている。一階や二階の教室の窓からだと、生い茂る葉に光が遮られて中庭は薄暗く見えるが、ここ三階からだと、視界がひらけ、中庭の底を見下ろすことになる。

 中庭はまるで、淡く緑に色づいた水をためる、巨大な水槽のようだ。泳ぐのを楽しむように、大きなクジラが悠々と中庭を回遊するさままで想像できる。

 中庭の底に降りていくにつれて、夏の陽光は弱まっていく。圧倒的な質量感を持つ水の中で、梢が葉擦れの音を立てて揺れる。

 試験開始から三十分がたったことを教授が告げると、はやばやと答案を書き終えた学生たちが、がたがたと席を立ちはじめた。金曜四限の授業なので、この試験が終われば、長い二ヶ月間の夏休みに突入するという人も多いのだろう。

 試験から早々に解放されたい学生のラッシュが過ぎると、講義室は再び静かになった。あとには、ゆっくり答案を作り込むタイプの学生が残される。

 罫線つきのA3の用紙の表だけはなんとか埋めると、私は解答をじっくりと吟味するふりをしたり、教授がマイクのコードを引きずってうろうろするのを眺めたりした。

 ようやく教授が試験終了を宣言し、答案用紙が回収される。教授は、答案用紙の枚数を確認すると、足早に講義室の扉を目指した。

 私は席に着いたまま、次の授業の開始を待った。

 法哲学の期末試験を終えた学生たちと入れ違いに、次の授業に出席する者たちが講義室に入ってくる。奇妙なのは、彼らの風体が一様ではないことだ。

 小脇に哲学書を抱えた大学院生、ブレザー姿の女子高生、定年後らしき白髪の老人、モップを片手にした清掃員。

 広漠とした砂浜に波が残した貝殻のように、大きな講義室に彼らはまばらに席を占める。

 大学というのは不思議な機構だ。隣の講義室、上下のフロア、隣接する棟で何が行われているか誰も知らないし、興味を抱くこともない。

 ラテン語文法の講義の隣では、危険薬物の取り扱い講座が開かれているかもしれない。同じ時間に、まるで系統立たない授業がいくつも並行して開講される。

 大小の講義室、研究室、教授の部屋、学生自治会に占拠された教室。大学病院、薬学部の薬草園、鍵をかけられ遺棄された戦前の研究棟、農学部の農場、各専門分野の研究所。そして、地上の建造物群の下にぽっかりと存在する広大な地下書庫。

 我々の認識する世界は、空間と時間という二つの軸で構成されている。

 大学のそれぞれの授業計画、つまりシラバスは、曜日時限の順に配列されている。学生は、選び取った授業を時間割にはめ込み、時間ごとにその授業へと向かう。

 それでは、場所を基準に授業を並べてみたらどうなるのだろう。

 四回生に上がって、卒業論文を書くほかはほとんど必修の授業のない私は、一日同じ教室の同じ席に座り、そこで行われるまるでばらばらの授業を楽しむという、一風変わった暇つぶしをしていた。そしてついに、金曜五限、教育東棟三階A教室で行われる、不可思議な講義を見つけたのだった。

 講義室の前方の入り口から、つかつかとヒールの音を響かせて壇上に登ったタイトスカートの中年女性が、飾りのない無愛想な字で黒板に、「ルグローツク史Ⅰ」と記した。

「それでは今日は、ルグローツク人の精神世界についてお話しします。ルグローツクは、ロシアと東欧の正教会の影響の狭間で、独自のカトリシズムを生み出しました」

 ルグローツクは、十世紀前後にスラブ人が建国し、のちにロシアに併合された王国である。ロシアと国境を接していることから、かの国より大きな文化的影響を受けた。モンゴル人の支配から逃れてから、強大な王権のもとで繁栄を謳歌し、最盛期の国王ウラジーミルは、カトリックの守護者として聖人に列せられている。隣接諸国の失われた歴史を数多く載せたその歴史書は史料的価値がきわめて高いとされるが、一方で、隣接諸国の歴史書にルグローツクの名は一度として出てこない。

 インターネットで検索しても、大英図書館に問い合わせたとしても、ルグローツクという国の史料が出てくることは決してない。そんな国は、地図上にも歴史上にも実は存在しないからだ。

 この全学共通科目・前期金曜五限ルグローツク史Ⅰを名乗る講義は、そんな架空の王国の架空の歴史を大真面目に扱っているのである。

 そして、ルグローツク史Ⅰのシラバスも授業一覧のどこにも載っていない。それは、大学の教務係の誰一人として、この授業が大講義室で行われていることを把握していないということだ。

 大学は、クジラの亡骸に似ている。

 命を終えたクジラは、時間をかけてゆっくりと、海の奥ふかく暗闇に沈んでゆく。マリンスノーの降りしきる海底についた巨大なクジラの死骸は、食べ物の少ない深海世界で、深海魚たちの格好の餌となる。微生物によって分解されかけたクジラの肉からは、ゆらゆらと油のような液体が立ち上り、最後には白く光る骨だけが残る。骨の間にはたっぷりの養分を目当てにした深海魚や蟹が棲みつき、それを餌とする、より大きな魚も集まってくるだろう。複数のコロニーは複雑に連鎖して、独自の生態系が構成される。

 大学の建造物群はクジラの骨格で、講義や研究活動は、クジラの骸のもとに集まる深海魚や蟹のようだ。そして、白骨化していくクジラの上に作られた異形のコロニーの一つが、この授業というわけなのだった。

 架空の国の架空の歴史を、講義の出席者たちは異様な熱心さでノートに取っている。小太りの女性教授は、黒い真っ直ぐな髪を顔のすぐ下で切りそろえ、眼鏡の奥に鋭い目を持っている。私は、この女性が一体どういうつもりでこんな無意味な授業を開いているのか知らない。彼女からは全くと言っていいほど、異常な雰囲気が感じられないし、別の教室で、一般教養科目の西洋史の授業をしていたって違和感はない。案外、別分野を専門とする明晰で有能な本物の教授なのかもしれない。

 私は、女性教授の意思の強そうな目を見て、明後日、竜胆りんどうが帰ってくることを思い出した。

 竜胆は、黒目の大きな十六歳の少女である。年の離れた兄の娘であり、私にとっては姪にあたる。彼女を養育すべき父親がフィリピンへ海外布教のために旅立ってしまってからは、東京の私立中高一貫校の寮に暮らしている。

 この六歳年下の姪は明日から八月末まで、学校の夏季休業に合わせて帰ってくるのである。と言っても、彼女の父であり私の兄である木立は、真言宗の布教を兼ねた慈善活動から帰ってこないし、彼女の母であり私の義姉である椿姉ちゃんは、一人娘に風変わりな名前一つを残して、とっくに世を去ってしまっている。

せっかく家に帰ってきても、かわいそうな竜胆は、偏屈で変わり者の叔父と、やたらと広い日本家屋で一夏を過ごさなければならないのだ。ミヒャエル・エンデのファンタジーでも始まりそうな状況設定である。

 そういえば、もう一人家に訪ねてくる厄介な奴がいたのだった、と私は苦虫を噛み潰すような気持ちで思い出した。人を食った笑みを浮かべる整った顔が脳裏をかすめて、不愉快な気持ちが心に差し込む。

 教授は、チョークを持った片肘を片手で押さえて、話し続けている。硬い声で、一語一語を丁寧に発音するしゃべり方は、理知的な人のそれだ。

「中世までのルグローツクでは、世界樹の存在が信じられていました」

 世界樹、という言葉を聞いて、思考が周囲の状況から離れて跳んだ。幼いころに、地の底の国に根を伸ばし、太陽と月を枝にかける世界樹を絵本の中で目にしてから、その伝説上の大木は、ひたすら懐かしいような、特別な郷愁をかき立てる存在となっている。

 霧の中で世界樹と出会う人、という言葉が脈絡なく浮かぶ。きっと何かの小説で読んだのだろう。

 現実は、まぶしい霧のようだと思う。

 人々はそれぞれ、鮮明な霧の中を歩いている。本当にたまに、強い突風が吹いて、その霧が晴れることがある。霧がぽっかりと消えてしまったその場所で人は、自分を含めたあらゆる場所のあらゆる時代の人々が、同じ巨大な樹の上でさまよっていることを知る。

 世界樹。北欧神話ではユグドラシル、中国では建木。世界中でさまざまな名を与えられている、世界の中心に立って天と地をつないでいるというその巨大な木は、はたして同じ存在なのだろうか。

 世界樹を思うとき、その姿は、霧に包まれた神秘的なものから、野蛮なエネルギーに満ちた不気味なものまで、その時々によって幅がある。

 ジャワ島やバリ島で行われている影絵の舞台装置にも、世界樹が登場する。そこで生命の木と呼ばれる世界樹には、血走った目玉が一つついており、旺盛な生命力と血なまぐささを発散する。

 遅い午後の思考は、もやい綱の解かれた小舟のように当てもなく流される。

 人は、どうしたら世界樹に出会えるのだろう。幼い頃の熱に浮かされた夢の中で? それとも、人は夜毎に世界樹を訪れているのに、朝が来るたびにその幸福な事実を忘れているだけなのだろうか。

「それでは、前期の授業はここまでにします。後期のルグローツク史Ⅱでまたお会いしましょう」

 教授は、小太りの体型に似合わぬ軽い身のこなしで教壇を降りると、さっさと講義室を出ていった。席を立ち上がるほかの受講者に合わせて、とりとめもない空想にほうけていた私も帰り支度を始める。

 ふと、机に広げた大学ノートに見覚えのない文字が書き連ねてあるのが目に入って、ぎょっとした。

 misterium tremendum(戦慄する秘義)と、罫線をはみ出した筆記体で何度も繰り返し記されているのが、無意識の自分の手によるものだと気づくまで、私はその場に立ち尽くしていた。


第二話 片目の魚 につづく

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