第6話 投降?抗戦?それとも?

「困りましたね。われわれは今、ほかでもない戦場にいるのですよ」

 突っ立ったままのメグに苛立ち、市之進はわざとらしくため息をついた。

「いつまでも、甘やかされたお嬢様ではダメなんです。置かれた状況をもっと理解しないと。どうしてすぐ、協力する気になってもらえないのかな」

 さすがにメグは驚き、婚約者候補筆頭の整った顔をまじまじ見た。互いに打ち解けてはいなくとも、まさかこんないやみな物言いをする人物とは考えなかったからだ。


「ですが、本当に軍勢を追い払うなんて、無理です」メグはとにかく説得した。「わたくしにできるのは、せいぜい帰ってくれと祈ることだけです」

「ああっ、違いますって。ほんと頭が固いってか、血の巡りが悪いなあ」市之進が首を振ると、さらさらの長髪が揺れた。毎日、家臣に高価な香油で手入れさせているというのは、本当らしい。

「わっかんないかなあ。国はもはやひっくり返ったんです。姫に拒否権はない。かっこだけでも……いやとにかく、とにかく望楼に立って鐘に命じてくださいってば。そうしたら、鐘だって無碍にはしませんって」


「市之進様、いったいどうされたのです」お福が懇願するような声音で言った。

「それではまるで、姫に人柱になれとおっしゃるのと同じ。よもやその隙に逃げるおつもりではあるまいな」彼女にはまだ、市之進を信じたい気持ちがあったようだ。だが、「ああ、お福さん。あなたもさっさと、いつもみたいに姫を叱りなさいよ。はやく状況の厳しさをわからせないと、完全に手遅れになりますよ」

 すっかり口の軽くなった市之進は続けた。

「ほんの少し萌の国軍の動きを止めろと頼んでいるだけです。聞いていますよ、鐘のこと。ケチケチせずに魔力を使えばいいじゃないですか。ホントにあるかのは知らないけど」と肩を揺すって、ぐるっと広間を見渡した。

「言わせて貰えば、内藤家老だって豪胆斎だって、鐘を神聖視し過ぎなんだよ。収拾がつかなくなったらまずいとか。ばかじゃね?まさに今、いくさが起こっているんですよ。今使わなくて、いつ使うんです」

 そして完全にメグを脅すように「さっさとやれよ。減るわけじゃなし」


 うろたえるばかりだったお福の目が、次第に底光りしてきた

「戦も、人の死をも知らぬ若造が。ようもようも我が主人に、聞いたふうな口をききおって……」

 十代のうちから少女兵として、幾多の海戦をくぐり抜けてきたお福である。世間知らずのお坊ちゃまの言い草に、ようやく切れたらしい。

 しかし戦場を疾駆した当時は頭痛も膝痛も腰痛もなかったはずだ。彼女に怪我をさせたくなくて、メグは視線を周囲の若い男たちに走らせた。

 だが、周囲にいる若い男たちはすべて市之進についていて、中にはもう腰の刀に手をかけているのもいた。いったい、それをだれに向けるというのか。


 今度は、軽蔑の表情を浮かべていた蘭が黙って胸元に手を入れた。元気者のお蘭は腕に覚えがあり、常に隠し武器を所持している。これはもっとやばい。お福とお蘭はともに背戸という地域の出身なのだが、名物は命知らずの海賊なのだ。

 その時、静かに近づいた美歌がお蘭の肩越しになにごとかささやいた。するとふたりは、そのまま後ろ足で集団を離れ、孔雪と黒狐のそばに移った。そして、そろってメグにうなずきかけた。

 –––– みんなが落ち着いているなら、きっと大丈夫。


 そう確信したメグは呼吸を整え、出来る限り平静を装うと、

「お福、お待ちなさい。沢木様、その前にいくつか聞きたいことがあります。まず、叔父である学恩卿はこの一件にからんでいますか」と、聞いた。

「ああ、学恩卿さま」市之進が答えた。「いえ、あのお方については、心配するなとだけ。しかし、こんな時にも冷静なのはさすがに未姫というべきか。その調子で鐘を使ってくださいな。さすれば、われらはどこまでも、姫の忠実なしもべ」と言って、市之進は見たことのない馴れ馴れしい笑い顔を浮かべた。「さもないと、せっかく生き延びても、毎日私たちに鞭打たれないと食事も与えられない羽目になりますよ」 

 自分のセリフが気に入ったのか、市之進はくすくす笑い出した。

「ここで鐘をつかうか、あとで私に鞭打たれるのがいいか。なんなら両方やってもらおうかなあ」


「ひとこと私からも言わせてもらう」黙っていた桐丸が口を開いた。「市之進殿は紳士にすぎて歯痒い」

「どこが」と片隅の孔雪がぼそっとつぶやいた。

「兵には拙速も必要。ならば姫様には、急ぎ奥で特別にいろいろお教えしましょう」桐丸は喉を鳴らして笑い、「さすれば私の言うことを聞きたくてたまらなくなる」

 そう言って無遠慮にメグを上から下まで見下ろした。顔つきは、いつものワイルドを通り越して下卑た感じになっている。

「国を発つ前、我が友は聞いた」桐丸は市之進を振り返った。「あんな痩せっぽち、どこがいいのかと。その者には黙っていたが、実は痩せて胸の薄い女にこそ興奮するのだ」

 メグは咳き込んだが、男たちは追従笑いを浮かべた。


「胸なしが好き!悪い趣味ではありませんね」孔雪が黒狐にささやいた。

「姫にとても失礼な言い草の気もするが」

「夫にするならどっちがいい?」横からお蘭が聞いた。「見下し暴力野郎と変態どスケベ。どっちもあとでアレを切り落としてやる」

「その不潔な仕事は任せる」と黒狐は言った。「もうすぐだろうから、外の見張りを慰労してくる」


 広間の中央では、まだ若者たちがメグを取り囲んでいた。

「ははは磯野君、待ちたまえ。さあ姫、そろそろ限界だ。いいかげんにその鐘をつかって…」斜め横に顎を向け、メグをどなりつけるタメを作ろうとした市之進だったが、

「あれ?」突然、首を傾げた。

「どうした、沢木どの」

「へんだな。ぐるぐるぐると、目が回る。昨晩眠らなかったせいかな」

「どうしたどうした。度胸のないことよ」桐丸がまた前に出てきた。

「ならばさいぜんの取り決めはご破算にして、拙者がお先にお宝をいただくとするか。悪いな、未」そう言い放ってわざとのようにはだけた胸元を、さらに強調しつつ一歩メグに近づいた桐丸だったが、急に目をトロンとさせ、

「ふごっ」と一声放って天を仰いだ。そのとたん腰から崩れるように床に倒れた。口元からよだれがだらだらと流れている。


「え、ええ?目が回る、目が」ぶつぶつ言っていた市之進も、床に棒のように倒れると、ひくひくと痙攣し出した。

 同時にあちこちバタバタ人の倒れる音がした。何人かげえげえとえづいていたが、すぐ静かになった。

 あっという間に、広間で立っているのは、メグ主従だけになった。


 広間には、およそ三十人の男たちが倒れているが、例外なく青い顔になり、みじろぎひとつしない。嫌な匂いがするのは吐瀉物のせいだ。

「どうしましょう」うろたえるメグに、お福が駆け寄ってその手を取った。

「しばしお待ちを」冷静に言った孔雪は、床に倒れた男たちの中に歩いて行って、その姿をひとりひとり見下ろし、効き目を確かめて歩いた。「もういいですね、薬がよく効いています」

「効いてるなあ」お蘭が転がっている市之進の頭を蹴飛ばした。「こいつ、ホントに、男の風上にもおけない奴。しかし守兵中だれもメグ様を守り抜こうとしなかったのも、ゆゆしき問題ですね」

 美歌は黙って彼の懐を探った。「あっ、秘密の手紙、みっけ」

「どれどれ」お蘭とそれを読む。「ああ、親族からの密書ね」


「こ、これは私の薬のせいですか」メグはまだうろたえている。孔雪に頼まれ、いわゆる痺れ薬の材料を渡し調合を指示したのだが、こんなに派手に倒れるのはおかしい。

「早く効くように」と孔雪が答えた。「お借りしたメグ様の研究帳を参考にいたしまして、『オニひしぎ』と『ヨアケシラズ』の量をそれぞれ3倍に増やしました。若くて無駄に元気な男どもですからね。あ、お蘭さん美歌さん、掃除は結構ですよ。ほかにすることはたくさんあります」

「その量だと二人に一人は意識が……」

「ま、よろしいではありませんか」

「それに、この場に放置したままだと、喉に吐瀉物がつまって死ぬかも」

「それも運命」孔雪はいっこうに動じない。

「あるじを売り渡し、地位を得ようなどした連中です。首を晒されないだけでも幸運。付近住民の不安を招くのでしませんが、油を撒いて火を放ちたいぐらいです」


「わたし、首をはねて回ってもいいわよう」そう言ってからお蘭が、「メグ様、もう一度お着替えを」と衣服を示した。「こちらが動きやすいかと思います。わたくしたちもすぐ着替えます」

 お福は、無様に倒れたままの市之進に唾を吐いてから、桐丸に歩み寄って見下ろした。

「この者の粗末な物をちょんぎってはダメかな。二度とメグ様に不埒な考えを抱かぬよう」

「構いませんが、少しお急ぎを」孔雪は言った。「あ、なんなら首を落としてもいいですよ」

「え、ちょっと、やりすぎじゃない?」メグは言ったが、

「あ、刀ならあっちにありまーす」と美歌が言った。



 窓の外に、蛾ほどの気配すらなく貼り付いていた二人の男がじりじりと移動をはじめた。彼らは、古く固まった血を思わせる赤黒い暗色の衣装に五体を隠している。館の中の出来事は彼らにとっても予想外だったが、動揺は顔にない。ただ、急ぎ仲間のもとへ戻ることだけに集中しているようだった。


 だが、ふいに一人がもう一人の肩に触れた。今回の作戦における最大の目標である、未姫が持つという「鐘」は、ほんのすぐそこにある。男たちが倒れたいま、姫の周囲には数名の女しかいない。一人は奪取を主張し、もう一人はほんのわずかな間、逡巡した。

 おだやかな風が二人の後ろを通り過ぎた。すると、鐘の奪取を発案した男が音もなくその場に崩れ落ちた。もう一人は、仲間の異変にもたじろがず、口から細く息をはきだしつつ短い鋼鉄の刃を数枚、闇に投じた。だが、熟練の技はただ暗闇に消えただけだった。

 その直後、口元と胸に同時にひんやりした触感をおぼえて、男はため息のような悲鳴をこぼした。彼は「赤い影」でも屈指の戦闘術を誇ったが、相手の動きは人を超えて、幽鬼のようにすばやくとらえどころなく、男を制した。


 黒狐がそっと離れると、生命を失った暗色の男は地面にくずれた。「この手の技は、もう使わないつもりだったが。うまくいかん」そうつぶやくと、彼はかるがると死体を曲がった背中に担ぎ上げ、館の中へ消えた。


 曲がった背中に荷をかかえた黒狐がやってきて、女たちは一斉に質問を含んだ視線を向けた。

 荷物はフードのついた外套だった。神職と、風の強いこのあたりの庶民のどちらもがよく羽織るもので、姿を目立たなくするにはうってつけだ。

 それと胴巻にくるんだ金があった。「重いでしょうが、ここはひとつ我慢なさってください」それぞれに持てというのだ。

 彼にまずメグが聞いた。「着替えて、どうする?戦いますか?」

「もちろん、孔雪どのが申されるように逃げます」黒狐が言った。「とりあえず舟も確保してありますが、豪胆斎も赤い影も一筋縄ではいかぬ相手。その度ごとに道と手口は変えねばならぬでしょう」


「こんなに少い供づれで大丈夫か」お福が言った。

「仕方ありません。それに、人数が少ないと目立たない。落ち延びる貴人を探すとすれば、十人以上の武装集団を考えるでしょうから」と黒狐が言い、すでに猟師みたいな動きやすそうな格好になった美歌がうなずいている。自身も着替えながら孔雪が口を開いた。

「これまた事後承諾であり、姫には失礼をいたしますが」

 下着が見えますよ、とメグが指摘する間も無く孔雪はさっさと着替えをすませてしまった。まだ子供のつもりなのか、思案がはじまると他が目に入らなくなるのか、いまひとつわからない。

「館で働いていた地元の者たちからは、姫様をお匿いしたいとの申し出がありましたが、断りました。内通を恐れるよりも、のちのちあの者たちに難儀がふりかからないためです」

「それは、そうですね」メグがうなずくと、

「理解いただけると思っておりました。短い付き合いでしたが、里の者たちも姫のお人柄を理解し、慕っている様子。拷問でもされぬ限り余計なことは口にしないでしょう」

「ならばこそ、事情のわかった者たちにしばらく匿ってもらったほうが良くはありませんか」お福が不満そうな顔をすると、

「あ、お福さまには、これから一働きも二働きもしていただきますよ」と孔雪は一人うなずいた。「おそらく舟を使い逃げることになると思いますから、名にしおう背戸水軍の操船の腕、存分にふるってくださいませ」

「あら、そう」

「それでとりあえずは、どこを目指しますか」メグが聞いた。

「距離、風の具合、そして内藤家老との関係の濃淡から考えましてとりあえずは江津の国、美良野に」孔雪はそう言って暗い窓の外を見た。「もちろんご承知のように、メグさまの御姉君、兎姫こと小江さまが美良野の方として夫君と治めておられる土地ですね。ただ、向こうにも内通者はいるでしょうから、当面は身分を隠すべきかとも」

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