第2幕 『人魚姫』の王子の隣国に住む姫の場合 1



 それは突然の出来事だった。

お気に入りのドレッサーの前で自慢の長いウェーブがかかったブリュネットの髪を櫛ですいている時―

目の前の鏡がグニャリと歪み、そこに映し出されたのは自分の姿では無かった。

それは長いダークブロンドの髪にアクアマリンの瞳の、とても美しい少女の姿だった。彼女は泣いていた。悲し気にぽろぽろと涙を流し続け・・・ついには身体が泡のようになり・・消えていく・・・。


「キャアアアッ!!」


思わず櫛を放り投げ、ヴァネッサは目を閉じて悲鳴を上げた。

そうだ、私はあの少女の事を良く知っている。あの少女の名前は「メルジーナ」。そして彼女の正体は人魚姫だと言う事を・・・。


(そして・・・この私は・・・。)


恐る恐る鏡に向かい、手を当てる。ブリュネットの波うつ長い髪、エメラルドの瞳・・彼女の名前はヴァネッサ・ドゥ・ウォールデン。

強大な海軍の力を持つマレーヌ王国の国王リチャード3世の1人娘である。

これから彼女は隣国の王子、ルーカス・フォン・ポートランド王子と半月後、運命的な出会いを果たして結婚する事になっている。しかし、この結婚は全て王子の勘違いによるもので、本来幸せになれるはずだった人魚姫「メルジーナ」はルーカスとの恋が成就せず、海の泡となって消えて行き・・・。


ヴァネッサは自分の両肩を抱き締めるとガタガタと震え出した。


「私・・私は・・・メルジーナの姉たちに『復讐』と称していずれ殺される・・・。」


その殺され方は様々だった。岩場の海を歩いている時に、突然足を掴まれて海に引きずり込まれて溺れ死んだ事もあった。又時には、メルジーナが持っていた短剣でめった刺しにされて殺害された事もあった。

暴漢に攫われて、大勢の男達の慰み者にされてボロ雑巾の様に路上に捨てられて死んだ事もあった。

乗っていた船が転覆し、サメに食べられてしまった事もあるし、クジラに飲まれてしまった事もある。

その死の原因は共通点と言うものは無かった。ただ敢えて言えばいずれも穏やかな死を迎える事はヴァネッサには無かった。いつでも『死』が彼女から付いて離れず、まるで恐ろしい呪いの連鎖にでも巻き取られるかのように、ヴァネッサは痛みと苦しみの中で絶えず死を繰り返す・・・。


「い・・・嫌よ・・・。また・・また・・今回も私は悲惨な死を迎える事になるの?どうすれば・・穏やかな死を迎える事が出来るの・・・?」


何時しかヴァネッサの目には涙が浮かび、絶え間なくハラハラと泣き続けた。


『そうだ、ヴァネッサ。お前はこの<人魚姫>の世界では悪女として登場し、ヒロインである人魚姫の愛しい王子を奪い去り、彼女を死に導いた罰として、人魚姫の姉達に呪いによって、壮絶な死を与えられる・・・そんな生涯を何度も何度も気の遠くなるくらいに繰り返してきたのだ。』


すると金の髪の美しい青年が光と共にヴァネッサの前に現れた。その神々しさはまるでこの世の物とは思えぬ美しさであった。


「あ・・貴方はどなたですか?」


ヴァネッサは声を震わせながら尋ねた。


『そうだな・・・大抵の者は私の姿を見て神と呼んだ。お前はお前の好きなように私の事を呼ぶがよい。』


「それでは私も貴方の事を神様と呼ばせて頂きます。」


『そうか。好きにしろ。』


「はい、ところで神様。先程何故私の事を悪女と呼んだのですか?自分で言うのも何ですが・・私は悪女と呼ばれるほど蛮行を犯したことは一度もありませんが?」


確かに本人の言う通り、ヴァネッサは姫でありながら気立ても良く、友人達も多くいたし、メイドや使用人達からも受けが良かった。一度たりとも人に意地悪をした覚えなど無い。


『ああ、確かにお前は少しも悪女では無い。しかし、ここは『人魚姫』の物語の世界で、主人公はメルジーナだ。メルジーナから見ればお前は愛しい王子をまるで横から奪うようにして現れた悪女に見られても無理は無いだろう?お互いの立場が違えば、それぞれの役割もおのずと変わって来るだろうからな。』


「そ、そんな・・・。私はただ、あの時は海岸に人が倒れているのを発見して・・・たまたま様子を見に行っただけなのに・・・。」


『ああ。問題の原点は全てそこから始まるのだ。さて、ヴァネッサよ。お前は自分の運命を回避したいとは思わぬか?』


神の言葉にヴァネッサは声を上げた。


「そ、そんな事・・・聞くまでもありませんっ!回避したいに決まっているではありませんかっ!」


『そうか・・・なら答えは簡単だ。ヴァネッサよ。今回、お前は今迄自分がどのような悲惨な末路を辿って来たのか理解出来ている。全てはあの海岸で王子と出会ったのが始まりだ。あの時、メルジーナが海の中から岩陰でお前と王子を見つめているのは

知っているな?』


何故かは分からないが、ヴァネッサはその現場を目にしてはいないが、岩陰に身を隠しているメルジーナが悲し気に自分と王子を見つめていたことを今なら理解出来る。


「はい・・・分かります。」


『なら答えは簡単な事だ。ヴァネッサよ。今回お前は何としてもメルジーナと王子の恋を成就させ、メルジーナにハッピーエンドを迎えさせるのだ。』


「私が・・・2人の恋を成就させれば・・・自分の運命がすくわれるのですね・・?」


『ああ。そうだ。どうだ・・・ヴァネッサ。やれそうか?』


神は尋ねて来た。


「はい・・・やります。メルジーナと王子の恋を成就させ・・・私は自分自身の運命を救って見せます!」


『そうか・・・その言葉を待っていた。運命はお前と王子を結ばせようと働くだろう。その運命を自分で変えるのだ。そして・・・自分の生きる道を掴み取れ。』


そして神は光と共に消え失せた—。



「え?!」


その時、ヴァネッサはハッとなった。気付けばドレッサーの前で櫛を握りしめている自分が鏡に映っている。


「あ・・あれはほんの一瞬の夢だったのかしら・・。いいえ、違うわ。神様と会話した事を私はきちんと覚えている。半月後・・・・ここは嵐に襲われる。そして船に乗っていた隣国の王子様がこの浜辺に打ち上げられる。そこを私が発見して王子様は私が自分を助けたのだと勘違いして、私の事を好きになってしまう。その様子を岩陰に隠れてメルジーナが見ているのよ。」


ヴァネッサはブツブツと呟くように今後自分がどのような対応をすれば良いのか考えた。王子と恋に落ちてはいけないと言う事はヴァネッサにとっては悲しい事だが、それよりももっと辛いのは自分が王子と結ばれてメルジーナが泡となって死んでしまう事。そしてその事に恨みをもったメルジーナの姉たちによって呪いにかけられ、自分が恐ろしい死に方をする方が、ヴァネッサは怖かった。


「そうよ・・・。私が王子と出会う前に誰かと婚約をしてしまえばいいのだわ。もうこの際だから誰でもいいわ。相手がどんなに年が離れていても、どんなに醜くても・・・ただ・・私に優しくしてくれれば・・・。」


ヴァネッサは鏡の中の自分を見つめる。


「大丈夫、私は決して醜くは無い。だから・・・きっと誰かが私をお嫁に貰ってくれるはず。でも、誰も相手が見つからなかったら・・?そして王子と出会ってしまったら・・?」


そうなればもう答えは一つしかない。


「いざとなったら、この城を逃げるわ。」


そしてヴァネッサは一番信頼のおけるメイドのローラを呼び出した。



程なくしてローラがヴァネッサの元へとやって来た。彼女はヴァネッサと同じ18歳の女性である。


「お呼びでございますか?ヴァネッサ様。」


「ええ。ローラ。またお願い。私をお忍びで城下町へ連れて行ってくれるかしら?」


するとローラは目をキラキラさせながら言った。


「はい、ヴァネッサ様。ところで・・今回はどのような目的で城下町へ行かれるのですか?」


するとヴァネッサはローラに言った。


「私・・・ひょっとすると庶民になるかもしれないの!」


そしてヴァネッサは嬉しそうにウィンクした—。





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