第35話 ラヴェンナ信仰
「女神ラヴェンナは、現在は竈と燻製を司る神として広く知られていますが、元々はこのゴンドワルナ大陸を産み落とされた大地母神さまなのです!」
教壇に立ったアンリ先生が大きな声を上げて授業を行っている。
小柄な先生が貴族席にまできちんと声が届くようにと一生懸命に声を張り上げている姿がとても可愛い。青いパッツンの前髪から時折のぞき見える瞳が萌えポイント高し。
「ラヴェンナ様はこの大陸を豊かな大地とするべくその御力のほとんどを費やされました。その後、ご自身は神界へとお戻りになられ、天からわたしたちを見守ってくださっているのです」
この辺りの神話はボルヤーグ連合王国のものであれば誰もが知っていることだろう。いま改めて説明しているのは恐らく王国外から来た生徒のためだ。
王国出身の生徒の中にはあくびを始めるものもいるけど、ぼくは眠ったりしませんよ。アンリ先生を最後まで応援します!
「民族や地域によってラヴェンナ信仰の態様はさまざまです。その御名の呼び方や祈りを捧げる方法も違っていますが、この大陸を創生した女神という点において共通性を見出すことができますね」
この大陸で信仰されているのはあのルーキー女神だけではない。あくまでも最大勢力であるだけで、ラヴェンナ信仰を国教とする王国内でも多様な神が信仰されている。
「ラヴェンナ神以外にも信仰されている神々はたくさんいますよね。多くはラヴェンナ神が産み落とされた神であり、それらを信仰することとラヴェンナ神への祈りは相反するものではありません」
転生前、ウルス王時代に仕入れたラヴェンナ神話について当の駄女神に聞いたことがある。その時、あのルーキー女神は顔を真っ赤にして、
「まぁ、大陸を
とプルプル震えながら訴えていた。「清らかな乙女神」という部分を人々の間に広めて欲しいとお願いされていたような気がしなくでもないが、広めてやるつもりは一切ない。
あの駄目神がポコポコと神々を産み落としている姿を大陸中の人々がイメージしていると思うと胸がスカッとするからな。
「ただし例外も存在します。それはいったいどのような例外でしょうか? それでは……レイチェル様、お答えいただけますか?」
アンリ先生が貴族席のレイチェル・ロイド嬢を指名した。指名されたレイチェル嬢は座ったままで、眉一つ動かすことなく答える。
「例外は2つございます。そのひとつは、他の大陸の神々に対する信仰ですわ。それらは必ずしも女神ラヴェンナに敵対するというものではありませんが、あまり広がり過ぎるのは好ましくないですわ」
「その通りです。それでは例外のもうひとつは……キース様!」
アンリ先生がビシッとぼくに人差し指を突き出した。揺れた前髪から目がチラリとのぞいた。ちっちゃい先生超かわいい!
……なんて先生を愛でてる場合ではなかった。
「例外のもうひとつは魔神です。魔物はこの魔神がこの世界に送りこんできたものと考えられています。その最大の脅威が魔王で、歴史上において魔王はこれまで何度も現れており、この世界に大災厄をもたらしたと言われています」
「はい、正解です。それでは最後にクラウス様、わたしたちが魔王に対抗する方法は?」
「そうですね……」
指定されたクラウスくんは、一瞬考え込んでから答えた。
「魔王を倒すことができるのは勇者だけです。勇者はラヴェンナ神によって選ばれた人間であり、女神から特別な加護を授けられている存在です。これまでも魔王が現れる度に大陸の何れかに勇者が誕生し、魔王とその勢力を駆逐してきました」
クラウスくんの回答を聞きながら、ぼくは女神から聞いていた勇者についての話をつらつらと思い出していた。
あの駄女神、最初に魔王が現れたときにはこの世界の住人から【
その後、魔王が新たに誕生する度にその脅威度は増大していく。やがて、この世界の制限をモロに受けてしまう【
最終的には必ず勇者は魔王に勝利してきたが、問題はそれが達成されるまでに大陸に生じる被害の大きさだった。魔王による被害を最小限に抑えるため、より強力な勇者を求めた結果、駄女神は【勇者召喚】を行うようになった。
当初、女神は異世界から転移者を【勇者召喚】していた。彼らの力は非常に強力なものではあったが、転移してきた彼らはこちらの世界に対して特段の愛情を持っているわけではない。
そのため、魔王を倒した後は元の世界へ戻ることを希望するものが多く、また勇者としての力や栄誉に溺れ、人としての道を踏み外すようなものも少なからずいた。
【
一方、転移者はもともと女神に対する信仰心など欠片も持ってはいないため、女神が使者を送っても彼らが改心するようなことはまずない。
彼らから力を取り上げようにも、【勇者召喚】の場合、召喚時にその人間の本質が変異して顕現したスキルまでは女神であっても取り上げることはできない。
そして、そうしたスキルのほとんどが魔王を倒す決め手となるような非常に
その点、転生者であれば過去世の記憶を有しているとはいえ、その根っこをこの世界に生やしている。元の世界では死亡しているので還す必要もない。
また本人に女神に対する信仰がなくとも、自分の生きるこの世界が女神に対する信仰の歴史によって積み上げられていることは知っている。
……等々、転移者よりも色々とコストパフォーマンスが良さそうだということで、今回、駄女神は転生による【勇者召喚】に手を付けたらしい。そして失敗しやがった。
クラウスくんが着席する音でぼくは意識を教室へと戻す。
「その通りです。クラウス様、ありがとうございます。勇者が力を最大限に発揮するためにはラヴェンナ神に対する人々の強い信仰心が必要であるとされていますが……」
赤毛の生徒が元気いっぱいに手を振って、先生にアピールし始めた。
「はい。それではキャロルさん!」
「はいはーい! そしてその勇者に一刻も早く魔王を退治してもらうために、私たちが勇者のお手伝いするんだよね!」
彼女はキャロル・シンクレア。ぼくが実技試験を受けたときに一緒にチームを組むことになった女の子だ。
「はい。キャロルさん、よくできました。いつか現れる魔王を倒す勇者を支援するために炎王ウルスによって、このエ・ダジーマは作られました。ひとくちに支援と言ってもその内容は様々です。この基礎課程の間に、自分がどのような勇者支援に向いているのかよく見極めてくださいね。それでは本日の授業はここまでです」
奴隷少女が教室の扉を開くと、廊下から一人のメイドが入ってきてレイチェル嬢の席にツカツカと歩み寄ると彼女は立ち上がり、
「それではお先に失礼しますわ」
優雅なおじぎをして教室を後にした。その後ろ姿を他のクラス全員と見送りながら、ぼくはこのクラスのヒエラルキーの頂点に立つ彼女の存在感に気圧されていた。
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