三度目の転生は子爵家の長男でした。

第14話 赤ちゃん転生

 転生の直前まで、ぼくは色々と思い悩んでいたような気がする。


 赤ん坊として転生するからには、しばらくの間、ロイド子爵婦人のお胸から直に栄養をいただかざるを得ないわけで、その際は、やはりロイド子爵に『申し訳ないが生きるために仕方なきことゆえ、奥様のお胸をお借りさせていただきたく……』と断りを入れるべきだろうかとか。


 おむつ交換については、ロイド子爵婦人かメイドに限定させていただきたいとの希望をどのようにしてロイド子爵に伝えればよいかとか、リアル赤ちゃんプレイで新しい性癖に目覚めてしまったらどうしようかとか、とにかく色々と考えなければならないことが沢山あった。


 転生シーケンスを見守る女神の顔が真っ赤に染まっていたような気がするが問題ない。


 結果的にはそんなことは全く問題にならなかった。どうしてかと言えば、転生した直後のぼくは……


「おぎゃぁぁぁぁ!」

「うひゃひゃひゃひゃ!」

「ぐわぁぁぁ!」


 何が何やら全くわけがわからないままの状態で、ただひたすら大嵐の中に身をさらしているかのように、心も体もひたすらもみくちゃにされ続けたからだ。


 何かを考えるなんて余裕は一瞬もなく、ただただ感情を爆発させ続けた記憶しかない。


 永遠とも思える時間が過ぎて、ようやく落ち着いた頃には、ぼくは3歳になっていた。そこから、自分が転生者であることをなんとなく思い出したのが5歳。


 すべてを思い出し、現在の状況把握ができるようになったのは7歳を迎えた、ここ最近のことだった。


 今でもロイド伯爵夫人の胸に懸命にしゃぶりついていた時の記憶が何となく残ってはいる。小恥ずかしい感じはするが、7年間も親子として過ごしてきた今となっては、なんのときめきも感じなくなっていた。


 だって母上だしな。


 というわけで、ロイド家の長子であるぼく、キーストン・ロイド7歳は3つの前世の記憶を取り戻した。


 最初の転生から12年は過ぎたけど、未だこの世界に魔王は現れていない。


 まぁそれはそれ! 魔王のことは勇者にまかせて、ぼくは幸せなマイライフを満喫させてもらうことにしよう。


「ねっ! シーア!」


 色とりどりに咲き誇る庭の花壇の間を、ぼくはメイドの手を掴んで歩き始める。


 シーアと呼ばれた紺碧の瞳を持つ少女がぼくの手を握り返して歩きながら、片方の手で風になびく銀色の髪をかき上げた。彼女の頭上にある獣の耳と尻尾の動きから、ぼくにはシーアの機嫌がいいことが手に取るようにわかった。


 シーアは、ぼくが奴隷少年だった前世において、ヴィドゴニアによって【見る】を奪われた亜人の娘だ。


 ヴィドゴニアからシーアを助けてくれたロイド夫妻は、その後もシーアを保護してちゃんと育ててくれていた。今では、そんな素敵な両親の下に転生できたことを、ぼくは誇りに思ってる。


 ちなみに、ぼくは彼女のことを『シーア』と呼んでいるけど、本当の名前は『ヴィルフェリーシア』だ。妹と弟もぼくのマネをして『シーア』と呼んでいるけれど、それ以外の近しいものは彼女のことを『ヴィル』と呼んでいる。


 どうもぼくが彼女を『シーア』と呼び始めたのは、生まれて初めて言葉を口にしたときのことみたいだ。彼女にあやされていたときのことだったらしい。ぼくは彼女の銀髪を掴みながら『シーア、シーア』と何度も喚いていたそうだ。


 ぼく自身はまったく覚えていないが、彼女はぼくにそう呼ばれるのを大変好ましく思っているようで、ちゃんとした名前で呼んだりしても返事をしてくれない。


「シーア、早く! 一緒に先生をお出迎えしよう!」

「坊ちゃま、慌てないで。シーアはそれほど早く走ることはできません」


 彼女は目が見えない。とは言うものの、屋敷の中で彼女は目が見えている人と変わらない速度で歩くことができる。


 不思議なことに、彼女は人の位置はかなり正確に把握することができる。本人曰く、モノ自体は見えないけれど、人やモノに宿っている魂のようなものがうっすらと見える、というか感じるらしい。


 それに鋭い聴覚と嗅覚も加わるので、事情を知らない人がシーアに視力がないことに気付かないままだったということもあったりする。ずっと一緒にいるぼくでさえ、つい忘れてしまうことがあるくらいだ。


「あっ! ごめん!」


 ぼくは反省して素直に謝った。ギュッとシーアの手を握ると、シーアが優しく握り返してくれる。


「大丈夫ですよ。シーアは坊ちゃまが転んだりしないか心配になっただけです」

「うん。ありがとう。急に走ってごめんね」


 ロイド家では、目が見えないことで彼女が不自由を感じたり怪我をしないよう、色々と配慮されている。


 たとえば屋敷では普段から整理整頓が行き届いており、あらゆるものが定位置に置かれているが、それはシーアの安全のためという両親や屋敷の人々の心遣いによるものだ。


 執事のランドルフによれば、以前の父上には適当なところがあって、平気であちこちに物を置きっぱなしにしていたらしい。片付けをするメイドたちも手を焼いていたのだが、まったく反省しなかったそうだ。


 だが一度、読みかけの書物を床に投げ出して放置していたところ、それに躓いたシーアが転んで怪我をしたことがあったらしい。そのことを知った父上は真っ青になって反省し、それ以降はキチンと片付けられる父上になったということだった。


 その話を聞いてから、ぼくもしっかりと片付けができる坊ちゃまとなった。たまに忘れて母上から叱られるけれど……。


「先生、今度はどれくらい家にいてくれるのかな?」

「確か1週間の予定だとお伺いしております」

「また新しいスキルを教えて欲しいな。シーアもカッコイイ技を教えてもらえるといいね!」

「はい。わたしも楽しみです」


 これから屋敷にやってくる先生というのは、かつてヴィドゴニアから彼女を助けてくれた冒険者キングスレイ先生のことだ。前世のぼくは、キングスレイ先生が近づいてきただけでヴィドゴニアどもが逃げ出すのを見ている。


 まぁ、見ているときのぼくはすでに死んでいたけど……。とにかく、それほどまでに先生は強いのだ。


「シーアが長い棒をビュンビュンって振り回すの、凄くカッコイイから好きだよ」

「ありがとうございます」


 そう言って頬を赤く染めるシーアは、その美しさから不埒な男どもに何度も狙われたことがある。


 この国においては亜人はやや見下されていることもあって、下衆野郎には格好の獲物に見えるのだろう。そんなことから護身のためにと先生はシーアに棒術を教えていた。


 元々身体能力が高いシーアは、先生の厳しい訓練も難なくこなして、今では凄まじい棒術使いになっている。


 先生曰く、棒術に関しては冒険者ギルドのマスタークラスに達しているはずで、もし目が見えていたらおそらく自分より強いだろうとのことだった。


 ぼくはシーアの手をニギニギしながら、この柔らかくて優しい手のどこに先生をも超える強さが秘められているのかと考えていた。


「先生早くこないかな」

 

 さっきからシーアの尻尾が激しく上下に揺れている。ぼくと同じで、シーアも先生が来るのがそれほど楽しみなのだろう。


 シーアの耳がピクッと動いた。そのまましばらく待っていると馬に乗った先生が見えた。僕たちに気が付くと先生は大きく手を振ってくれた。


「おーっ! 出迎えごくろーさん!」

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