5-14 閑話『切ない使い魔と失恋魔王+大魔王の次男』


 再会を喜び合う二人を遠目に眺め、ルークは深々と溜息を吐いた。

「……ふう」

 それを耳聡くも聞きつけたクインが呑気に笑う。

「どうしたのールークちゃん、元気ないねー」

「ちゃん付けはやめてもらえる」

 クインはめげない。

「んー、じゃーなんだろー、千里ちゃん?」

 ルークは再度溜息をつきながら脱力した。

「普通に呼んでくれる……」

「えーつまんないー」

 ぶーたれるクインは放置して、ルークは視線の先にいるレイラを見つめた。

「幸せそうだねー、姫様」

「……」

「あんな幸せそうな顔見たことないな~。ありゃよっぽど」

 みなまで言わず、クインはルークの横顔を横目で窺う。

「……好きだった?」

 今までの軽薄そうな口調から一変、静かな笑みを向けられ、しばしの沈黙の後ルークは肩をすくめた。

「役目だったっていうのは嘘じゃない。でも僕はずっと彼女を見つめてきたから」

 曖昧な答えにクインは真剣に話しても意味がないことを悟ったのだろうか、

「えーストーカー?」

 と茶々を入れた。


 もはや突っ込む気力さえ起きないルークが黙り込んだ所に、

「うおっなんじゃこりゃ!? 広間が、ええええ!?」

 騒がしい足音を立てながらやってきたのはミリオンだった。

「よーうミリオーン。お早いお付きでー」

 睨んでくるルークを気にしていないというなら相当凄い。あの美貌が持つ冷たい視線の威力は計り知れない。

 能天気な挨拶を気にも留めずに広間を見渡していたミリオンはルークを見て跳び上がらんばかりに驚いた。

「うげっ藤原千里!! なんでここに!?」

 ルークはミリオンを一瞥して不敵に笑った。

「本名は長くて面倒だから省略させてもらうけど、僕の名前、というか通称はルーク・レイデン。いくら君でも聞いたことぐらいはあるだろ、ミリオン」

 ミリオンは目を剥く。

「レイデン……って、今の魔王族のか!? で、ルーク……?もしかしてお前、大魔王の次男か!!」げ、と嫌な事実に気がついたミリオンは頬を引き攣らせる。「俺より、年上……」

 ルークはふふん、と得意げに笑った。

「年上は敬いましょうね、“先生”? ついでに目上、でもありますから」

 悔しそうに呻くミリオンに、これまた能天気にクインが水を差す。

「オレは知ってたけどー」

 しばらくクインを睨んでいたミリオンだったが、ルークの物言いたげな視線に気づいてごほんと咳ばらいをひとつ、居住まいを正した。

 わざとらしい明るさで広間を示してみせる。

「で、何があったんだ?」

「姫様がやったんだよー。すごかったねー、まだ制御しきれてない感じがしたけど、やるねー姫様」

 すかさず答えたクインはなぜか自慢げに鼻を鳴らす。

「? 何だよ、気持ち悪いな」

 ルークは無言でミリオンに広間の中央を見るように促した。

 つられて見たミリオンは、

「……!?」

 呆然と立ち尽くし、自失している。

 あーあーとクインが腕を組んだ。その口調の割には表情はどこか楽しげだ。方向音痴で迷ってるうちに一番大事なところを見逃しちゃってショックも大きいよねうぷぷ、とかなんとかこそこそ話している。

「?」

 誰かの気配を感じた気がして、ルークはあたりを見回す。

「ああ、君か」

 視線の先に現れた黒衣を纏った影は軽く会釈した。

「どうも」

 黒髪が微かに揺れる。

 クインは軽く眼を見開いた。

「おやー君は姫様のー。有名だよね、いやあバルバトスの中でも群を抜いて優秀だと評判の君に会えちゃうなんてー、光栄だなぁ」

 コウ――正確にはコウと呼ばれていた悪魔はそっと頭を下げる。

 その少し離れたところでは、

「…? …!! ……!?」

 ミリオンがひたすら絶句している。もう俺このまま消えてしまいたい、全身がそう物語っている。


 ルークはミリオンは放置してコウに尋ねる。

「どうしたの、珍しいね。何か用でもあったのかな」あ、と声を上げる。「そうか、直接会うのは初めてだったかな。僕はルーク。よろしくね、使い魔くん」

 コウは深く頭を下げた。

 ルークはそんなのいいよ、と手を振ってもう一度質問した。

「で、何かあった?」

「主たちを迎えに」

 なるほど、と頷き、

「そっか。でももう少し後の方がいいかもしれないね。今はほら、ちょっと、ね」

 視線を広間に移す。

 それを辿ったコウは一瞬自分を見失いかけたがすぐに立て直し、

「そのようですね」

 と機械的に頷いた。

「……! ……!?」

 未だ自分を取り戻していないミリオンにルークは深く息をつきつかつかと歩み寄ると、思い切り足を蹴り飛ばした。

「な、」どうやら痛みで我に返ったらしい。「何しやがる!!」

 ルークは冷たく言い放つ。

「敬語」

 ミリオンはぐ、と詰まる。とてつもなく悔しそうにぎりぎりと歯ぎしりをしながら、振り絞るように呻いた。

「何を、する、……されるん、だ、すか、」息が止まりそうだった。俺は何をしているのだろう。「ルークさ、さ、さ、……ルーク様」

 ルークはこれ見よがしに肩をすくめてせせら笑った。

「敬語もまともに使えないの? 仮にも魔王とあろうものが情けないね。まあいいけど、で、何だったかな? 君の話し方があまりに上手過ぎて聞き取れなかったよ」

 クインは感心したようにおーと声を上げた。

「いやー言うねえルーク様ー。気に入っちゃったよー」

 ルークは微笑む。

「ふふ、ありがとう。あ、僕のことは呼び捨てでいいから。僕も君とはいい関係を築けそうだよ」

 二人息の揃った笑い声が響き、横ではミリオンがああそうですかいと投げやりに呟いている。

 コウは複雑な面持ちで黙ってレイラたちを見守っている。

 ひとしきり笑った後、そうだった、とルークが手を打ち鳴らした。

「ああ、君をどうして蹴ったのかって話だっけ。ごめんね聞き取れなくて。今度からはちゃんと理解できるように耳を澄ませておくよ」

 コウは今感じた思いは胸の内にとどめておこうと誓った。下手をすれば命に関わりそうだ。

「で、何なんだ……、ですか」

 ルークは笑顔のまま低く呟く。

「些細なことも流せないのか。器の大きさが知れるね」

 ミリオンは反射的にリアクションを取りそうになるのをぐっと堪える。何かを言えばさらに数倍の威力で返されることを学んだのだろう。涙ぐましい努力だった。

 ルークは反応がないのをつまらないとでも思ったのか、軽く息をついた。

「ふう。僕が君を蹴ったのは、君が気に食わないからでもなければ前々から積もり積もった恨みを晴らそうと思ったからでもない。ただ単に」

 クインはわくわくしている。

「ただ単にー?」

「ウザかったから」

 ミリオンの口元が引き攣った。

 コウは差し出がましいと思いながらも同情の視線を向けずにはいられなかった。

「落ち込んでるのは君だけじゃないんだよ。僕だってそうだし、クインはどうか知らないけどそこの使い魔くんだってそうでしょ? 誰だって大切な人は自分の手で幸せにしたいって思うものだよ。なのに一人だけ落ち込んでるみたいにしてたから、うざいなーと思ったの。あれじゃ足りないくらいだ」


 要するに八つ当たりじゃないのか。


 コウはそうは思っても口が裂けてもそんなことは言えないし言わない。その先が恐ろしすぎる。

 ミリオンは黙って目を逸らした。

 そんなことはお構いなしにクインは顎に手を添えてうーんと唸る。

「でも姫様、なんであんなのを選んだんだろうねー。あんな本心隠してるのばればれのちょい根暗っぽいにおいのする奴」意外と鋭い。

 ルークは微かに俯いた。

「さあ。でも、女の子って案外そういう陰のある人に弱いんじゃないのかな。よくは分からないけど」

 クインはなるほどその手があったか今度から使おうとしきりに頷いている。一体何に使うつもりなのか。

「君はどう思う?」

 いきなり水を向けられたコウはしばらく沈黙し、

「俺もそうだと思います。ただ」

 視線が集中した。

 コウは押し黙る。別に口にするのを拒んでいるわけではない。何というか、感情で理解はできても言葉にするのは難しかった。ただでさえ会話能力に秀でているとは言い難い。

「……放っておけなかったというか、結局理屈ではないんでしょう。好きだからそばにいたいしいてほしい。主にとっての理由はそれで十分なのかもしれないと、俺は思います」

 場の空気が少しだけ沈んだ。

「そっか」ルークは睫毛を伏せる。「よく見てるんだね」

 コウは一礼した。

 さーて、とクインの明るい声が暗い雰囲気を打ち消した。

「いつまでもここにいたって仕方ないし、そろそろお開きにしようよー」

 ミリオンも微かながらああ、と首肯する。

「じゃあ何か御馳走するよ。ここ一応僕の家でもあるしね」

 おっいいねーとクインが賛同し、物言いたげにしているミリオンも続き、


「お待ちください」

 コウはクインを呼び止めた。

「お伺いしたいことがあります」

 クインは他の二人に先に行くようにと告げ、薄笑いを浮かべてコウを見据えた。

「何かなー?」

 コウは何かを確かめるようにクインを真っ直ぐに見返した。

「べリアス殿下の使い魔、あれはあなたの使い魔でしたね」

「何でそう思うのかな?」

「以前遭遇した折の気配です。それにイルザードの者が好む魔法ではなく体術を使ってきましたし、結界を得意とするのもルクレティス家ですから」

 クインは表情を崩さない。

 それは肯定であり、無言の促しであることにコウは気付いていた。

「さらに、あの使い魔は――」

「待ってよ」

 クインが斜めにコウを見上げる。

「回りくどいのはもういい。何が言いたいのか、はっきりしてくれる?」


「べリアス・イルザードが禁術を使うように仕向けたのはあなたですね?」


 疑問ではない。確認だった。

 クインは冷酷ともとれる笑みを浮かべ、くすくすと抑えきれない笑い声を漏らす。

「よく分かったね。そうだよ、オレが仕組んだ。禁術の使用――封印された原初の魔術、『自己の召喚』。遥か昔はいろいろと使われてたみたいだけど、リスクも高いし精神への影響も大きい。発狂する者、死に至る者が続出して禁忌と見なされた魔術だよ」

 ふ、と口の端に浮かぶのは嘲笑か。

「オレが魔王族だったとき、文献で偶然見つけてね。ついでに言うと大魔王にのみ閲覧が許される魔術書なんてものも存在しないし。いちいちそんなの残してたらどこから洩れるか分かんないしね」

 コウは再度問いかける。

「何のために?」

 クインは視線を落とした。

 壁に背を預け、どこか遠い目をして前髪を掻き上げる。

「個人的にべリアスが気に食わないってのもあったけど。君は知ってるかな、オレは小さい頃よくリゼラさんに面倒見てもらってた。だから彼女の誓約の話を聞いて、すごく納得いかなかった。理不尽だって思ったよ。誓約なんて魔界の勝手な掟のせいで大きな代償を払うことになってね。

 納得できなかったんだよ。大切な人といることが罪なのか、自由になりたいと願うことがそんなに悪いことなのか、ってね。だからレイラを見たとき――ああ、この娘も同じだって思った。なんて言うのかな、似てるんだよ。顔とかもそうだけど、空気って言うか、纏ってるものが。でも、あの子にはリゼラさんにない何かがあった。だから希望を持ったっていうのかな、絶対に幸せになってほしいってそう思ったよ。彼女がオレを望むならオレの手で、他の誰かを望んでも絶対にって、ね」一息。「だからかな、あの子が託宣に選ばれたって知ったとき、オレの頭の中で必死に組み立てられた策、それがこの結果。べリアスは大魔王の座に固執する。あいつは居場所を欲しがってて、それに認められたがってたし。何よりイルザード家は魔王族になったことがない。だからあることないこと吹き込んだってばれやしない。俺の口から言えばさすがに不審に思っただろうけど、使い魔っていう存在もいたし。オレが“罪”を司る魔王だったのも幸いしたかな。それにミリオンだって少し煽ってやれば躍起になってレイラを守るのは読めてた。手間はかかったけど……、こうしておけばレイラには罪はない。ま・誓約に関しては話は別で、オレも予想外だったけどね」

 クインは試すようにコウの瞳を覗き込んだ。

「さて、となるとオレは三王家の、しかも魔王をなんと二人も謀った罪で間違いなく裁きの間に連行だね。で、どうする? 魔王族にでも差し出してみる?」

 コウは首を振る。

「いえ。それは主のためにしてくださったことですから」

 クインは毒気を抜かれたかのような顔でしばらくきょとんとし、次いで吹き出した。

「それでいいの? オレれっきとした罪人なのに」

 コウはその無表情にほんの少しだけ笑みを浮かべた。

「俺は魔王族に忠誠を誓ったのではありません。俺は主のためだけに存在する使い魔ですから」

 クインはもう一度笑う。

「君面白いね。七臣家の使い魔にしておくには勿体ないくらいかな」

 背中を離し、廊下に向かって歩き始める。

 数歩歩いて振り返った。

「またいつか、機会があったら話そう」

 肩越しに笑うクインに礼をし、姿が見えなくなってようやく顔を上げ、息をつく。

 目的を果たさなければ。

 大広間に踏み入ろうとした瞬間、何か山のようなものが視界に入った。

 何かと思い注視し、コウは無表情を崩さないまでもかなり驚いた。

 七臣家やら三王家やらの重鎮、ついでに使い魔たちまでが気を失って山積みにさせられている。

 少し集中すると、べリアスの魔力とクインの魔力の残滓が感じられた。気を失わせたのはべリアスのようだが、積み上げたのはクインの仕業らしい。

 無視して通り過ぎようとして、

 溜息を吐いた。

 仕方無い、ひとりひとり起こして事情を説明して丁重にお帰りいただくしかあるまい。

 気の遠くなるような作業だろうが、まあ仕方がない。じっとしていると意識が他の方向に向いてしまいそうだし。

 コウは良くも悪くも真面目なのだ。目に入ったものを無視することなどできはしない。


 これは二人を連れて帰るのはまだまだ先の話だと、コウは深々と息を吐くのだった。



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