2020年の破片
ぱんのみみ
2020年の破片
2020年。
その年、世界は崩壊した。
例えばそれが宇宙からの侵攻だったり、世界戦争での核爆弾での自滅だったり、天候不順だとか天変地異だとかそういった、ある種『どうしようもないこと』であったならよっぽど良かったかもしれない。
そう言えば昔どこかで読んだかもしれない。
人が滅ぶのは、人のせいだろう。
なんて。
そんな独善的な予言に収まってくれれば、いっそのこと。
良かったのかもしれない。
そう、だから。
人は人の手で滅んだ。
***
熱が、腹部を支配した。目の前に立つ女の腕が自分の腹を貫通していた。
「……ゴプ」
口から溢れ落ちたのは赤黒い血反吐だ。その白樺の腕を汚す赤は何度も見たものだ。
十文字 ハルトと言う青年は、極めてなにかに優れていたわけではなかった。例えば人を殺すことに躊躇いがなかったり、天性の才能があったりとか、そう言うのはなくて今ここに立っているのだって成り行きだった。
本当ならこんな風に黒幕みたいな人間と一対一で立てるほど強くはないんだ。今だって本当は怖くて家に帰りたいくらいだ。
でも、縁があった。
この世界が人の手で崩壊して、全く知らない汚染物質に食料が汚染されて、ハルトは国のためにこの食料戦争にでなければいけなくなって。
この戦争に参加して、初めて人を撃って、足手まといなのにチームの人々に助けてもらって、その人たちが汚染された食品を口にして全員死んで。一人耐性があって生き残って。
見知らぬゼロと言う傭兵に助けられ、多くの仲間と出逢い、別れて、そしてようやくここに来れた。ここに来る縁があった。
「貴方、全く英雄には向かないわね」
吐き捨てるように言われた言葉にハルトは手を握った。
そんなのは分かってるんだよ。
だってどっちかって言えばハルトは好きに誰かに祈るような人間だ。祈ってすがって願って、そうやって無益にただ佇んでいる方がお似合いだ。
願いが叶っても、叶わなくても、祈るだけの人間で、間違っても叶える側じゃなくて。
「……」
でも、託されてしまった。
僕じゃなきゃいけない理由はないけど、僕しかここにはいない。
子供の頃は部屋の中にいる方が好きだった。
幼稚園の窓の外で遊ぶ友達を遠くから眺めていることの方がずっと多かった。それは決して中遊びの方が好きとかそう言う話ではなくて。
その扉の外に、一歩踏み出すのが怖かっただけだ。
もし拒絶されたらどうしよう。もしそこに居場所を与えられなかったら。もし、もし、もし――。
「それは違う」
風に靡くのは銀色の髪だ。その黄昏の瞳が優しく細くなる。
「ゼロ」
彼はハルトが一人生き残ったときに自分を救ってくれた。何故今彼が目の前に見えるのだろうか。だってゼロはさっき。
「君は拒絶されないことを知ってる。ありもしないもしもを見てるだけだ」
「でもゼロ、僕は臆病なんだ! 臆病で、逃げてばかりで、本当は今だって怖い!」
「だが、怖いのは変化することだろう?」
思わず、息を飲んだ。
ゼロの黄昏の瞳はハルトを見透かしている。
「君が怖いのは変わることだ。変化すれば周りも変化する。それが怖い。変化するくらいならば慣れ親しんだ鳥かごの中で死ぬ方がましだと、そう考えてるから怖いんだ」
「……それは、事実だ、けど」
些か乱暴な言い方だったけども、正しい。
外に出て餌もとれずに死ぬのならば、自由はなくともなにもなくても鳥籠の中でただ一人、死んだ方がずっと。
「臆病だから君はなにも見ていないだけだ。君はただ、踏み出す勇気がないだけだ」
「でも、踏み出してもその先にはなにもないかもしれないじゃないか。ましてや、踏み出した先が壁だったらって思うと、僕は」
きっかけがない。踏み出す機会がない。変わるためのトリガーがない。
「それも違う。扉は既に開かれてる。君はただ踏み出せないだけだ。臆病だから。勇気がないから。そうだろう。でも扉は既に開かれていて、後は本当は君次第なんだ」
扉は開かれてる。
後は、自分次第。
変わりたいと願っていた。けれども変わるのが怖かった。その矛盾をずっと抱えて生きてきた。
人は誰かしらどこかに矛盾を抱えてるけども、自分の場合それだった。変わりたいけど変われなくて。殻の中にずっと籠っていて。
ならその雛は、いつか変わる日を求めていたんじゃないか。殻を割れる日を、その矛盾を捨てられる日を、ずっと、待ち望んでいたんじゃないか?
「ならハルト。教えてくれ。君はどうなりたい」
「僕は、変わりたい」
「どんな風だ?」
「一歩踏み出したいんだ。弱くても、勇気がなくても、蛮勇だと罵られようと構うものか!」
体の力を振り絞って叫ぶ。
変わりたい、僕は、変わりたいんだ。
「ならば何故ここに立つ!」
その声は鼓舞するための角笛だ。
何故ここに立ち、何故ここにいるのか。
「僕は、僕であるためにここに立つんだ」
縁があったからここにいる。
ならここにいるのは自分しかないと胸を張りたい。ここに来れたのは自分だからだと思いたい。
例えそれが欺瞞で、蛮勇で、傲慢で、替えの効く代替品でも。
剣を掴む。折れたそれを掴む。それに一気に力の全てを吹き込む。黒髪の美女が驚いて振り向いた。
「貴方ッ……!! それは!!」
喪ったものは取り返すことはできない。
人は人の手で傷をつけられる。人は人に傷つけられて壊される。喪って崩れてしまったものは元には戻せない。
覆水は、盆には帰らない。
だけど。
地面に投げ出された水を思うことはできるし、かき集めることはできる。盆には返らなくても、その破片を思うことはできる。
ならばこれは、壊れた『今』の破片だ。
今を繋ぎ止めて、今を思って、ただこの瞬間のためだけに息をしたい。だから。
「ッ!!」
光を帯びた斬撃が女の肩から袈裟斬りにする。鮮血の雨が降り注ぐ中、女は驚いたように目を見開いた。
「なんで! なんでよ!! なんで!! あんたが!」
その目は自分の背後を見ている。
「僕は英雄なんかじゃない。そんな器じゃない。多分、ただの凡人だ。なにもできないただの人間だ。貴女が思う虫けらだ。だけど」
剣を突き付けて、初めて女はこちらを見た。その目は憤怒と憎悪に濡れてもうなにも見えていない気がする。
「ただの凡人だから、僕はこの一撃を貴女に喰らわせられた。僕は僕であるために、ここに立つ。ただの、人間としてだ」
女は、その言葉に嗤った。初めて嗤った。
「はっ、ははは、あはははは、このラジアータにそんな風に虚勢を張ったのは貴方が初めてよ! そしてこの私を殺したのもね!」
熱に燃える薄紅の瞳がハルトを見る。思えば彼女は一度も自分をこれまでみなかったような気もする。そして自分も、彼女を見てなかった。
だからこの一瞬、初めて交差した。
「十文字 ハルト! 覚えた! 冥土で逢うならば貴様から私が殺しましょう! あはははは!!」
高笑いをしながら、想像を絶するほどに悪らしく、彼女は散った。残ったのはその死骸だけだ。膝を折る。残ったものは何もない。破片だけがその胸に残った。あとは曼珠沙華のような女の死骸だけ。
寂しさはない。ただ胸に空いた穴が痛いだけ。
指先に残った感覚を想い、ハルトは目を閉じた。
そこにいたのは、疲れたように眠る、ただの青年だった。
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