第21話 寄付の依頼

 じゃあ、ユニオンズの人たちとの話に戻そうかな。


 飲み会の乾杯からしばらくしたら、ベテラン陣は、一緒に来ていた仲のいい新聞記者なんかと一緒に、別の店に行かれる。でも、金がなくてこういうところで滅多には飲めないはずの若い選手やぼくらの飲食代は、すでに払ってくれていた、ってわけだ。もちろん、こんなことがあったからと言って、A高校からやれ謹慎だとか何とか、そんなことはなかった。修身も高校時代には宇野市で散々同級生らと飲んでいたようだが、まあ、人のことは言えんな。ただ、当時の酒は今ほど安くなかったからね、米河君のように飲みすぎて急性アルコール中毒で救急車に呼ばれて病院送り、なんてことはなかった。

 わしも高校生から大学生だった時期で、よく食べていた方だけど、プロ野球選手の食べる量は、見ていて、とてもじゃないけどかなわなかった。次の日球場に行ったら、修身や卓司らの前で、この兄ちゃんに勉強で勝てんでもいいから、食べるのだけは負けんように、しっかり食べて大きくなれよ、なんて言われたのには、ほとほと参ったよ。

 それにしても、ユニオンズの皆さんは、気さくで、いい人たちばっかりだった。そんな調子だから勝てないんだ、なんて、当時西鉄や南海の強豪チームにいた選手の人たちは言っていたようだが、あれだけ弱く、先も見えない状態では、厳しくしてみたところで、チームが良くなるなんてこともなかっただろう。それほど、絶望感にあふれたところがあった。せめて、選手同士は和気あいあいと、野球を楽しむ気で臨まないとやっていけないところがあったように思う。ユニオンズの3年目、昭和31年に、わしはO大に現役で合格したが、その翌年の2月だな、米河君もご存知のあのよつ葉園の銭湯が完成して、そのことで、滝沢旅館のおじさんから頼まれてだな、よつ葉園の人を知っているのなら、園長さんに風呂を練習後に使わせてもらえるよう頼んでくれないかって言われて、お願いに行った。なんせ嘱託医の息子で、よつ葉園にはよく行っていたし、そのときはもう亡くなられていたけど、前の園長で元岡山市長だった古京友三郎先生も、そのときの園長の森川一郎先生も、幼少のころからよく知っていたからね。


 あれは確か、昭和32年の1月末頃だったな。その日は学生服を洗濯して、身ぎれいな格好で、改まって行ったのを覚えているよ。大学の帰りだったけどね。

 

 よつ葉園に行ったら、森川先生がおられて、ちょうどその「銭湯」の建物が完成した日だった。とりあえず、2月に入ったら試運転的に利用を開始するってね。門をくぐって園内に入ったら、寒い中、小学生になるかならないかの子どもたちが遊んでいた。米河君もご存知の山上先生が、子どもらの世話をしていたよ。あの人は、ちょうど結婚して間もないころだった。その後よつ葉園に行ったら、森川先生が、山上保母は、来年度は出産のために休職だ、なんておっしゃっていたなぁ。

 あとで森川先生に聞くと、山上先生、その時すでに妊娠されていたみたいだね。

 「こんにちは、森川園長はおられますか」

 今なら事務というけど、書記の女性に声をかけたら、森川先生が出て来られた。まだ寒い時期だったから、背広の下に、かなり厚手のカーディガンを着こまれていたね。ネクタイも、かなり太い結びのものをされていた。早速、園長室に招かれて、話を始めた。

 普段はこんなに改まった言葉で話すわけじゃないが、この日は、さすがにきちんとして行こうと思って、丁寧な言葉遣いで森川先生にお願いした、ってわけだ。


 「おお、哲郎、今日はまた珍しく、学生服をかなり身ぎれいにしているじゃないか、何か改まらなければいけないようなことでも、あったのか?」

 「別に何かあったわけじゃないです。実は森川先生に、お願いがあって参りました」

 「君にしてはえらく改まった話し方をするなぁ。ひょっとして、誰かに頼まれての用で来たのか?」

 「ええ。プロ野球のパリーグの、ほら、川崎ユニオンズってあるでしょ?」

 「おお、毎年岡山市内で2月にキャンプをやっとるのう。今年も来るらしいな」

 「はい。そのユニオンズが来ている、滝沢旅館さんに頼まれていることがありまして」

 「あの川崎ユニオンズさんが、うちに何か用事でも?」

 「おじさんもご存知の通り、今年も2月から目の前の県営球場でキャンプをやるわけだけど、滝沢旅館さんに、よつ葉園で銭湯付きの風呂ができることをお話したら、その話が球団に伝わってね、もしよければ、選手たちのキャンプの後、風呂を使わせてもらえないかと、球団の人から声がかかったんです。それで、滝沢さんが、よつ葉園のことを知っているなら、ひとつ、話をしに行ってくれって頼まれました。球団自体は、おじさんもご存知の通り貧乏球団だけど、銭湯代はきちんと払うし、何なら、完成祝も込めて、いくらか余分にお支払いしてもいいと、言っておられます。滝沢さんとしては、よつ葉園さんは頑張っておられるようだし、人助けの意味も込めて、ひとつ、こちらから協力していただければありがたい、って。もしご協力いただけたら、うちはうちで大浴場を準備しなくて済むから、こちらも大いに助かる、ってね」

「そうか、それはありがたいな」


 森川先生、いつになくにっこりとされて、その後すぐ、事務室の電話から滝沢旅館に電話をかけて、これからそちらに出向くから、ということになったのよ。


 「時間があるようなら、哲郎も来い。悪いようにはせんからな」


 というわけで、タクシーを電話で呼び出して、街中の滝沢旅館に一緒に出向いて、旅館の人たちと森川先生の話にお付合いした。

 「いやあ、滝沢さん、同行させた大宮君から事情は十分伺いました。この申し出、本当にありがたい。よつ葉園に限った話ではないが、養護施設の運営は、御存じの通り、どこも苦しいですからね。うちとしても、風呂を作って、それで地域の人にも開放させてもらってね、いくらかでも運営費が出ればと思っておった矢先です。銭湯にもできる風呂を作ったばかりでなんとか費用を回収できるかどうか不安な折に、本当に、渡りに船とはこのことです。ぜひ利用してくださるよう、川崎球団さんにお伝え願えませんでしょうか」


 森川先生と滝沢さんのお話には、ユニオンズの長崎弘マネージャーも同席されていてね、森川のおじさんに、是非よろしくお願いします、って、頭を下げておられた。それから、これは寸志です、というわけで、当時のお金で3000円ほど包んだ封筒を、長崎さんが森川先生にお渡ししていた。今ならそれこそ、5万かそこらの値打ちは十分にあろう。これとは別に、風呂代については後日改めてお支払いします、って、長崎さんがおっしゃった。ちなみによつ葉園の「銭湯」は、近隣の銭湯より少し安めに設定していたけど、球団としては、相場通りの金額、当時は、通常髪を洗うといくらか余分に銭湯代を取られていたが、髪を洗う代金の人数分で清算させていただきます、ってな。

 それ以上は、細かいことは覚えていないけどね。


 これで当面の風呂の運営費をある程度賄えるなと、森川先生が喜んでおられた。長崎さんはその後私に向かって、大宮君、君も知っている西沢が今年も来るから、仲良くしてやってくれって言われた。その西沢さんって人のことは、あとで話すからね。

この日はその後、岡山駅前の寿司屋で一杯飲ませてもらったよ。とりあえず、その寿司屋で封筒を開けてみたら、なんと、川崎龍次郎オーナーからの直筆の手紙が入っていてね、あれにはちょっと、わしもびっくりしたよ。

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