第14話 名簿横流し。これこそが、大事件! 

 確かにその後、永野さんの仕掛けたといわれる「謀略」の一端を垣間見ることができた。あのときの港の光景は、今も覚えている。2015年の一斉地方選挙の岡山県議選、宇野市選挙区。選挙戦が始まってまだ2日目。そのときはまだ、素人目にも、永野さんが選挙参謀に入っていた谷橋候補は、近藤候補よりも勢いがあったように思われた。

 これから島に移動して選挙活動をする予定の近藤候補の声、離れて聞いていたきらいはあったにせよ、こちら谷橋候補の演説を聞きに集まった群衆の勢いに押されているようにも思えた。

 それはひょっとすると、私の「ひいき目」ゆえにそう見えていただけなのかもしれない。しかし、近藤候補の演説内容は、彼の陣営が準備した「支える力」というスローガンに対して、「何様のつもりだ」と反感をもっていた人たちからの批判にたじろいで釈明をしているかのような内容が少なからずあったことも確か。

 それがまた、「現職に挑戦する谷橋候補」に「相対的な勢い」があったことを示していたといえよう。少なくともその時点では。

 というのも、当時の選挙関係者の多くが今なお、

「後半戦に(谷橋陣営は)近藤陣営に逆転された」

という表現で語っていることからもうかがえよう。これは谷橋陣営にいた人たちだけでなく、近藤さんの陣営にいた人も、勤労党筋の住友陣営の人たちも同じことを言っていて、そうなのだろうとしか、正直、言いようがない。そこから逆算すれば、まだ2日目だったあの日は、谷橋陣営は近藤陣営よりも勢いにおいて勝っていた、ということになる。

 もちろん、永野さんご自身が「謀略」とおっしゃるぐらいだから、これだけではなく、様々なところで、その「仕掛け」がなされていたであろうことは、想像に難くない。その意味においては確かに、永野さんの選挙参謀としての仕事は十分なされていた、と言えよう。選挙の勝敗は、あくまでも、「時の運」。

 その視点で見るならば、永野さんの選挙参謀としての腕は、まだまだ、衰えていなかった、と言えるかもしれない。ただし、その選挙の後半で、創明党の「裏切り」に遭うまでは、の話だが。そうは言っても、そこから逆算すれば、永野さんの選挙参謀としての腕が、まだ衰えていないどころか、きちんと機能している姿を、私は、見たことになるのではないか。私が「選挙観戦」をしたのは、選挙公示の翌日の土曜日。選挙戦としては、まだ前半の始まったばかりの時だったのだから。


 そのときはちょうど政令市議選の最中で、いつものように常木三蔵陣営で仕事をしていたのだが、この日はH県のA市で投票したり用事を済ませたりする必要もあって、夕方まで岡山市を離れていた。その間、常木候補にはH県からの帰りに宇野市に入るという動きをすることは内緒にしていた。まだ時効とは言えないと先ほど申しあげたが、思うところあるので、方針を変更しますね。すでに4年以上も経過しており、永野さんも亡くなられたこともあるので、何があったかを少しばかり申し上げましょう。


 永野さんは晩年金銭面で困窮されていたことはすでにお話ししたとおりだが、その点から見ても、本来ならこの選挙の前後も、一時的ではあれ「選挙景気」で潤っているはずなのに、この時はそういう雰囲気が感じられなかった。最初にお会いした丹生県議の選挙の時のような、金がそれなりに入って来てしかも自由に使える状態にある人の持つ、どこかゆとりのある雰囲気が、素人目にも、この時にはほとんど感じられなかった。

 宇野市議から岡山県議に鞍替え出馬となる谷橋候補の選挙参謀として入り込んだにもかかわらず、谷橋さんからそれほど多くの金を「引き出せなかった」というのも確かにある。だが、それだけでもなかったのかもしれない。


 その選挙が始まる1月ほど前のある時(すでに谷橋事務所で仕事をしていた時期)、常木の事務所を訪ね、借りているカギを自ら開けて事務所に入り込み、事務机の引き出しに入っている小銭、まあ、500円玉と100円玉がいくつか専用のコインボックスに入れられているものなのだが、そこから5000円分のコインを持ち出し、メモに「5000円借ります 永野」などと書いて帰った。それを見た常木氏は携帯で連絡を取り、そういうことは今後するな、とにかく、借りるなら借りると言ってくればいいが、電話をかけて了承を得てからにしろ、と、やんわりと注意したとのこと。

 小銭でしかも5000円分なら、いつもの「寸借なんとやら」みたいなもので、まあ、それはいいとしよう(よくないだろう、というツッコミは、とりあえずやめてね)。ただ、選挙1か月前である程度まとまった金が自分の懐に入って来ているはずの時期なのに、どうもそういう余裕が、永野さんから感じられていなかったのも確かだ。現にそれより少し前の時期、いわゆる寸借何とやらよろしく、常木事務所に出入している岡本さんや高沢さんなどに、家に帰れないから5000円貸してくれ、1万円貸してくれと頼みつつ、その金でビールを買って飲んで帰る、なんてことが頻発していたようだ。しかも、クルマに乗ってこられていた高沢さんに至っては、買い物にも付き合ってやったはいいが、そこでしっかり自分の「酒」やたばこを買っておられたのには、恐れ入った、との話も聞いた。

 とはいえ岡本さんや高沢さんのケースは、なんだかんだ言っても、相手に同意を得てのことだからいいけれど、常木事務所の小銭入れから小銭を許可なく持出すのは、いかがなものかと思われるけどね、第三者の私が聞いても。


 そして一番の「事件」は、この小銭事件の数日後に起こった。

 その日も永野さんは、宇野市からバスを乗り継いで常木事務所に現れた。

 常木から預かっていた合いかぎで事務所に入るや否や、常木の事務机に置かれていた支持者名簿を見て、宇野市に関わる箇所を取出し、それをファックスでどこかに流した。

 幸か不幸か、岡山市議会の会派事務所での用事を済ませて戻ってきた常木が事務所に入ってきたちょうどそのとき、そのファックスを流し終えたところだった。

 いささか不自然な動きを読み取った常木は、それとなく、永野さんに尋ねた。


「永野君、何やっている?」

「いやあ、ちょっと、ファックスを送らせてもらっておりまして・・・」

「それくらいはいいが、君・・・何考えている?」 


 普段は少々の事をとがめ立てたりしない常木だが、この時だけは違った。

 単にファックスを送っているにしては、机の上の状態が不自然だ。第一、まとめて置かれていたはずの名簿を、誰かが「閲覧」もしくは作業のために使っているような状態になっているではないか。おかしいと思った常木がコピー機兼用のファックスに近づいた。


 送信されたものを、有無を言わさず、というよりは淡々と常木が手に取ってみると、あろうことか、常木事務所の支持者名簿の一部だった。岡山市南西区の選挙区内に関わるページでこそなかったが、宇野市に関わる名簿が何枚かあるではないか。確かにこれは宇野市内だけだから選挙にはさほどの影響はないかもしれないが、そういう問題ではない。


「これ、うちの名簿じゃないか。ファックスで送ったのか? これを。何考えているんだ、君は。いったいどれだけ、どこに送ったのかね?」

「宇野市関係だけ、谷橋陣営に送りました」

「今日、これだけ送っただけか?」

「ええ、まあ・・・」

・・・・・・


 或る筋からの話では、実際は、その前日にも来て、宇野市内の名簿の何枚かをすでにファックスで送っていたらしい。もっとも、それで金が動いたとか何とか、そういう話は少なくとも私のところには入って来てはいない。

 実を言うと常木は、この時いちいち送付先までを調べたりはしていないし、特に問合わせもしていないし、私にさせたりもしていない。

 だが、今思うと、本当に谷橋陣営に送ったのかという疑念を、私は持っている。その話を常木にしたところ、まあ、そんなのは今更どうでもいいし、それであいつがいくら金をもらったか知らんが、さほどの役には立っていないだろうから、まあいい、とのことだった。実は後に常木が宇野市の関係者にそれとなくこの件を話したところ、確かに谷橋さんの事務所に届いてはいたそうだ。ただ、届いたはずのそのファックス、永野さんの仕事の机に置かれていたものの、3日後の昼過ぎにその部屋に掃除のために入った女性がこっそり確認したところ、置かれていたはずの送られてきた名簿がすでになかったという。

 永野さんの話では、特に使えるものではなかったから、シュレッダーにかけたとのこと。永野さんはその日、ちょっと票固めのために知人に会ってくると言って、特急バスに乗って、昼前に岡山市に向けて出発した。どこで誰に会っていたのかは、谷橋事務所の関係者には誰もわからなかったという話だ。

 常木と親交のある勤労党の住友陣営とはいささか重なる部分もあるかもしれないが、基本的に保守系で民自党の近藤陣営や同じく保守系の谷橋陣営に、勤労党にかなり近い立ち位置にいる民社連系の常木事務所の支持者名簿を送ってみたところで、さして効果が期待できるはずもないだろうとは思う。ただ、常木名簿というのは、単に支持者だけでなく、明らかな「不支持者」のリストも名簿内できちんとできている。それを裏読みすれば保守系の陣営もそれなりに役に立つかもしれないが、岡山市南西区中心の名簿に、そもそも宇野市の「不支持者」リストなんて、そうそう役に立つはずもなかろう。

 結局常木は、その件をきっかけに、永野さんを「出入禁止」にし、預けていた合鍵も、その場で回収された。この話は常木陣営に兼ねて出入されている人たちの間に直ちに伝わり、結局、ああ、あの人はやっぱり・・・、という話になった。

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