あなたへ贈り物

あるところに、とても豊かで平和な国がありました。その国は、とても雄々しく賢い王様が治めていました。



 冬のある日のことです。王宮の中では、たくさんの人々が賑やかな声をあげ、美しい音楽、美味しそうな晩餐を楽しんでおりました。

 そして、その賑わいから少し離れた誰もいない暗い部屋の隅で、幼い姉妹が震えながら肩を寄せ合っていました。


「お姉さま、寒いわ」

 妹のかすれた声に、フランソワは微笑みながら優しく体を包み込むように寄り添い答えます。

「ミシェル、ほら、ご覧なさい、窓の外。とても月が美しいわ」

 姉妹が見上げる窓の外には、冷たく澄み切った夜空に、黄色く猫の目のような満月が輝いていました。

窓から差し込む月光は、しゃがみ込む姉妹の上に白く輝くように降り注いでいます。


「きれいだけど、なんだか怖いわ、お姉さま」

「そうね、ちょっと美しすぎて、この世のものでは無いみたい」

「それに、お姉さま……わたし、おなかが空いた」

 ミシェルの悲しげなに声に、フランソワも今度は微笑むことが出来ませんでした。自身も、とても空腹だったのです。

 ――お母さまがおられた頃は良かった。

 とても昔のことのように思えるけれど、それは、わずか数か月前のことでした。まだ、姉妹の母であるマリアが王から寵愛を受けていた頃、周りの人々もとても優しく、常に食事も豪華なものを頂いていました。姉妹の可愛らしさ、そのちょっとした仕草にも人々は笑いさざめき、王妃でさえ「可愛らしい」と口にすることがあったのです。毎日たくさんの優しい人々に囲まれて、姉妹は本当に幸せでした。この王宮で生まれたことを、とても誇らしく、幸福なことだと信じていたのです。

 けれど、そんな幸せな生活は、ある日突然終わりを告げました。長く子どもに恵まれなかった王と王妃の間に、王女が生まれたのです。可愛らしいと言われたフランソワとミシェルの姉妹よりも、もっともっと人々の耳目を集め愛される存在。

 王女が生まれてから、王はマリアを、そして同時に姉妹を自らの側から遠ざけました。

王妃に至っては「汚らわしいわ、どこかにやってしまえないかしら」などとあからさまに姉妹を邪魔者扱いしたのです。

 フランソワもミシェルも、なぜ人々が急に姉妹を冷たい目で見るようになったのか、全く理解できませんでした。人々の手のひらを返したような態度に傷つき、時に涙しました。けれど、姉妹の母であるマリアは「いつかこういう日が来ると思っていたわ」と諦めをにじませた言葉を口にしただけでした。


 ある朝目覚めると、マリアはいなくなっていました。フランソワとミシェルは母の姿を求めて王宮中を探し回りましたが、結局見つけることは出来ませんでした。泣きながら母を探す姉妹を見かけた下働きの人々が「やだ、まだ居たんだね、この子達ったら」と追い払うように冷たく口にするのを見て、フランソワは自分たちも此処を出ていかなければならない時が近づいている、と強く感じました。


 そして、今夜、王宮で王女の生誕100日を祝う晩餐会が開かれているこの時に、フランソワはミシェルを連れて王宮を出ることにしたのです。普段は幼い姉妹を目にした途端に邪険にする人々も、今夜は皆が浮かれているはず。フランソワの予想通り、部屋を抜け出した姉妹に気づく者はいませんでした。

 姉妹の住む王宮は、高い塀で囲われています。東西南北の門は、いかつい門番によって守られていました。


「お姉さま、門番は何も言わずに私たちのこと通してくれるかしら?」

 ミシェルが不安そうにたずねてきます。けれど、フランソワは落ち着いていました。初めから、門から出ていく気は無かったのです。フランソワは、毎日のように窓から外を眺め、城から抜け出す方法を考えていました。そして、少し前に、西側の塀の石垣に隙間があることに気づいたのです。体の小さな姉妹であれば、そこから潜り抜けられるだろう、ということも。


「ミシェル、よく聞いてちょうだい。私たち、もうお城にはいられないの」

 フランソワの思い詰めた声に、ミシェルは黙ってうなずきました。今、姉妹は抜け出すために、塀のすぐそばの茂みに身を隠していました。

「お城の外には危険な場所や人がたくさんいるわ」

「怖いわ、お姉さま。どうしてそんな場所に出ていかなければならないの?」

「それでも。……もう此処には居られないからよ」

「王女様が生まれちゃったから?」

「そうね…でも、それだけじゃないの。いずれ、こんな日が来たんだと思うわ、お母様の言っていた通り」

 フランソワの言葉に、母の事を思い出したのか、ミシェルが涙ぐみました。

「お母様……どこに行っちゃったの?」

「あのね、ミシェル、私ね、昔お母様から聞いたことがあるの。不思議な魔法の働く国のことを」

「魔法の国?」

「ええ。その国では、十数年に一度、私たちのように立場の弱い者を守ってくれる『ジャーン』という大魔法が働くのですって」

「大魔法……」

「私、お母様はその国を目指したのではないかと思うの」

「お姉さまと私を置き去りにして?」

 ミシェルのつぶらな瞳から大きな涙の粒がこぼれました。

「ミシェル、お母様のことを責めないであげて。きっと、王様からの寵愛が失われたことは、お母様にとって耐え難い哀しみだったと思うの」

「……」

 姉妹が生まれる前から、母のマリアはずっと王宮で暮らしていました。王の寵愛を受けて、それこそ掌中の珠のような扱いだったと聞いています。城の外に出ることは、本当に本当に母にとって大変な決心だったのだろうとフランソワは感じていたのです。


「先の見えない危険な暮らしに、私たちを連れては行けないと考えたのよ、きっと」

 フランソワは自分に言い聞かせるようにつぶやきました。

「お姉さま、お母様は無事かしら?」

 ミシェルが心配そうに聞いてきます。

「わからないわ。わからないけれど、私たちも行かなくちゃ」

「……行かなきゃダメなのね?」

「ミシェル、ジャーンの大魔法は、十数年に一度だけ。お母様が出ていったと言うことは、今がその時なのかもしれないの」

「でも、どうやってその国に行くの?」

 ミシェルの問いに、フランソワは塀の隙間を見つめ、静かに立ち上がりました。


「まずは港に行くわ。船に乗るのよ」


「お船?私たち、お船に乗れるの?」

 ミシェルが嬉しそうに声をあげました。以前、まだ姉妹が王宮中の人々から可愛がられていた頃、王の前で吟遊詩人が語るのを聞きました。海の大きさ、波の輝き、風をはらみ大きく膨らむ船の帆。海の中できらめく魚たち、色とりどりの深い海の中の美しさ。王宮から一歩も出たことの無い姉妹には、その語りはとても魅力的に響きました。

「素敵。船に乗る!船に乗るわ!」

 はしゃぐミシェルに笑顔が戻ったことで、フランソワも体に力が満ちてきました。

「さあ、行きましょう、ジャーンの大魔法のある国へ!」

 塀の隙間を、幼い姉妹が潜り抜けていくのを見ていたのは、冷たく冴えた月だけでした。


 *****



 そうして、姉妹は本当に運良く港にたどり着き、船に乗ることが出来ました。もちろん、お金など持っていませんから、船の積み荷の中に潜り込んでの船出でした。積み荷の中の果物や野菜を少しずつ口にしながら、幼い姉妹は身を寄せあい、大魔法ジャーンの国に着くのをひたすら待ち望みました。わずかな食べ物を頼りに、来る日も来る日も波に揺られ、外の様子もわかりません。

 初めははしゃいでいたミシェルも、だんだんと元気がなくなってきました。

「お姉さま、本当に大魔法ジャーンの国なんてあるのかしら?」

 積み荷のオレンジをかじりながら、何度もフランソワに聞いてきます。その度にフランソワは答えるのです。

「船に乗る前にも、ジャーンの国の噂を聞いたでしょ?とても豊かであちこちにご馳走が用意されているって。ジャーンの魔法が働く年にたどり着ければ、そこでの安全な暮らしが約束されるって」


「うん。でも、ジャーンの魔法が働く年にたどり着け無いと、排除されてしまうって……」

 ミシェルがしょんぼりと呟くのを、フランソワが、さえぎりました。

「大丈夫!私たちは必ずジャーンの魔法の元へたどり着けるわ!きっと、きっと、たどり着ける!」


 フランソワ自身、そう信じていなければ、とても耐えられなかったのです。

『偉大なる大魔法ジャーンにより、か弱い立場の者も守られる。ただし、ジャーンがその地に満ちるのは十数年に一度のみ。その年に運良く当たれば良いが、時期を逃せば、容赦なく弱者は排除される可能性が高い』

 船に乗る前に聞いた噂の中で、それはフランソワたちの心を重くしました。幼い姉妹は、縁もゆかりも無い地へと、ジャーンの魔法のみを頼りに旅立ったのです。時期が違ったから出て行けと言われたら、あまりにも悲しすぎます。

 お願いします、どうかお願いします!ミシェルを抱き締めながら、フランソワはひたすら祈りました。

 ――これからたどり着く地が、ジャーンの魔法に満ちていますように。母、マリアと巡り会えますように――


 やがて、姉妹の乗った船が外国の港へと着きました。姉妹も積み荷に紛れて一緒に船を降ります。

 その国の人々の言葉は、姉妹が育った国の言葉とは全く違っていました。何を言っているのか、さっぱりわかりません。

 船が着いたのが夜だった為、人目につかずに済みましたが、港をあちこち移動しているうちに、いつの間にか姉妹は緑の多い開けた場所に出ていました。所々にぼんやりと明かりが灯っていますが、果たしてこれで大魔法が満ちているのか……幼い姉妹は途方に暮れました。


「お姉さま、ここはジャーンの魔法の国ではないの?」

「わ、わからないわ。話している言葉もわからないし、どうしたら良いのか……」


 その時、突然まぶしい光が姉妹を包み込みました。

「きゃあ!」

 思わずフランソワとミシェルは抱き合います。まぶしい光は、何度も何度も姉妹を照らしました。突然の出来事に怯え、ミシェルと一緒に泣き叫びそうになったフランソワの耳に、待ち望んだ呪文が聞こえてきました。


「ラッキー、マジ可愛い♪今年の干支じゃーん!」


 そう、姉妹は大魔法ジャーンの国に、たどり着いていたのです!

 母、マリアとも、きっと、この国で再会できるに違いない―

 ミシェルと一緒に、光とジャーンの魔法を繰り返し浴びながら、フランソワの心は明るい希望に満ちていきました。


―完―

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