第2話 転生したけど小説書きたい!


「か、完成した……!!」


 慣れない文房具と事あるごとに引っかかるペン先と格闘する事四時間。

 私はついに原稿を完成させた。

 原稿用紙がなかったので便箋で代用しているため、賞に応募するにはまた書き直さなくてはいけないが、忘れる前に書き留められてよかった。


「しかし、ここはどこなんだろう? 病院ではないのは確かだけど……近所にこんなところあったかなあ?」


 びりびりと痛む手首と指を摩りながらぐぐっと伸びをする。

 凝り固まった筋肉が解れる快感に恍惚としていると部屋の外から扉がコンコンと叩かれた。


「レティシア様、失礼します」


 返答を待たずに扉が開かれた。

 部屋に入ってきたのは、フリルカチューシャに白のエプロンを着たメイドだった。

 病院ではないことに気づいていたが、メイドが来るとは思っていなかっただけに硬直してしまった。


「お身体を清めさせて……」


 メイドは視線をベッドに向けると目をかっと見開き、おっとりとした外見にそぐわぬほど俊敏に視線を部屋の中を巡らせる。

 そして、私に視線を向けるとわなわなと唇を震わせた。


「レ、レティシア様……っ!?」


 メイドが抱えていた桶が手から滑り落ちて、ばしゃんと中身を床に溢す。

 床に敷かれたカーペットに吸い込まれていくことにも構わず、メイドは両手で口を押さえて呟く。


「レティシア様、よくぞ、よくぞお目覚めに……! 私リディは心の底よりお目覚めになることを信じておりました……!」


 感極まったメイド──リディの瞳はうるうると涙をたたえ、すぐにぽろぽろと頰の輪郭を伝い落ちていく。

 なるほど、美人の涙は絵になるとはこのことかと思いながら私はそっとインクを拭うために使っていた塵紙の中から未使用のものを一枚取り出して彼女に差し出す。

 恐縮しながら受け取り、涙を拭ったリディはハッとした表情を浮かべた。


「も、申し訳ありません! すぐに旦那様にご報告を……」

「いえ、少し待っていただけませんか?」


 踵を返そうとする彼女を咄嗟に引き留める。

 どうも、彼女と私の間にある認識にズレがあるようだ。


「はい、かしこまりました。レティシア様、私に何かご入り用でしょうか?」


 にこやかに応じてくれたリディに早速疑問をぶつけてみる。


「その、レティシア様っていうのは誰のことですか? 見たところ、私と貴女以外にこの部屋に人はいないはずですが……」


 もしや、見えない第三者でもいるのだろうか?

 訝しがる私の顔を見てキョトンとした彼女は、恐る恐る口を開く。


「目の前にいらっしゃる貴女様こそレティシア様ではありませんか。……なるほど、昏睡状態から目覚めて混乱していらっしゃるのですね」


 レティシアという異国の名前から察するに、黒髪黒目な私と見間違えるはずはないと思うが、リディというメイドは私の顔を見て『レティシア』だと断言した。

 予め用意していた台詞にしては口にするまでの間が長く、嘘をついている様子も見られない。

 となれば考えられるのは二つ。

 彼女の認識が間違っているか正しいかのどちらかだ。


「昏睡状態だったのは認めますが、私は────」


 そこまで考えて、ふと心の中の悪魔が囁いてきた。

 『このシチュエーションは小説のタネになる』と。


 昏睡から目覚めた主人公。

 見覚えのない部屋に知らない人物。

 そして、知らない自分。

 謎に満ちたオープニングの題材としてこれ以上ないほど適切で、好奇心を刺激される。

 よしんばミステリー系と違ってこのメイドが誤認していてもそれはそれで面白い。ホラー系にも活用できそうだ。


 となれば、ここは上手く立ち回って味方につけつつ、情報を集めるに限る。

 心配そうに私を見つめる彼女を利用するのは気が引けるが、ここは小説の為だ。


「────記憶が混乱しているみたいです」


 相手を誤解させたままでいるコツは否定も肯定もしないこと。

 メイドは『やはり』と納得した表情を見せ、視線に憐憫の色が混じる。

 この手の憐れみは情報収集に欠かせない。


「差し支えなければなんですけれど、時間のある時で構いませんので、私が寝ていた時のことを教えていただけませんか?」


 私より頭一つ分身長の高いメイドを見上げる。

 さりげなく庇護欲をそそるのに最適なのは不安げな表情。

 縋り付きながらも時間的にワンクッション置くことで相手自身に距離を詰めさせるのだ。


 先ほどの彼女の発言によればこの屋敷には少なくとも『旦那様』がいる。

 長時間引き留めれば、その分彼女からの心証は悪くなる。


「ええ、旦那様にご報告いたしましたらお相手を務めさせていただきます」


 かつてない好感触だ。

 心根が優しい人間でもあるのだろう。

 すっかり私を見る目は『庇護対象』に向けるものになっている。


「ありがとうございます。私もご報告に同伴した方が宜しいでしょうか?」


 情報収集がてらここが何処なのか探れたらいいなと思いながら、提案してみる。

 私を見て他の人がレティシアと誤認するのか確かめてみたい気持ちもあった。


「お身体に触ります。病み上がりなのですから、どうかご安静に」

「では部屋で待っています」


 現在位置の確認は部屋の窓からでもできる。

 ここで噛みついても心証を悪くするだけなので、さっと引き下がる。

 これで、いざ他の人に『レティシア』じゃないことを問い詰められても体調不良を盾に言い訳ができる。


 一礼して部屋を出て行くメイドを見送り、足音が遠かってからそっと息を吐く。

 部屋の窓に目を向けて近づく。


「窓の透明度が低い。少なくとも近世きんせいであることは間違い無いわね。仕組みから見て……それほど大きくは開けられないか」


 留め具を外して、外に向けて窓を押す。

 がこんと音がして、窓が外側に向けて開いた。

 最大三十五度までしか開かないので、身体自体を動かしながら外の景色を見る。


「んー、植物は針葉樹がほとんどね。庭園らしきところには薔薇が植えてある……か」


 これ以上の情報はなさそうなので窓を閉める。

 外の風は真冬の雪には敵わないが、それでも寒いことには変わらない。

 雪国に住んでいても鳥肌が立つ程度には寒い。


 ネグリジェに覆われていない二の腕を摩りながら改めて部屋を見渡す。

 天蓋付きのベッドは勿論のこと、黒系の木材で統一された家具はシックな印象を与える。

 色味はダークグリーンや淡いライムグリーンなどの緑で演出されている。

 この部屋の持ち主はナチュラル系が好きなのだろうか。

 部屋を一通り見回してから、クローゼットの上に置かれた手鏡へ視線を留める。


「さすがに最低限の身嗜みは整えた方がいい、か」


 勝手に櫛を使うのは憚れるので、手櫛で寝癖を梳かそう。

 散々、文房具と紙を使った後に言うのも変な話だが、その辺りの社会常識は弁えているつもりだ。

 潔癖症の人でなくとも櫛の共有は嫌がる。

 毛じらみの感染を防ぐためから転じて、頭皮の脂やフケを相手に渡したくない、ないし、受け取りたくないという忌避感もあるのだろう。


 閑話休題。


 片手で持つには重い手鏡を手に取って、自分の顔を覗き込む。


「……なにこれ?」


 そこには、鼻にインクをつけた桃髪の美少女がサーモンピンクの瞳を見開いて覗き返していた。

 頭を動かせば、鏡の中の少女も同じように動かす。

 試しに口をパクパクと動かし、ウィンクをしてみる。


VRバーチャルリアリティの類いじゃなさそうね。反応が早いし、同期ズレもない」


 真っ先に思い浮かんだ『巧妙なハイテクノロジーを駆使した悪戯』を排除する。

 そんなドッキリを仕掛けられるほど有名人でも、そういうことをするようなツテのある知り合いもいない。


「ピンク色の髪かあ……」


 少し目線を上げれば、なるほど確かに目が覚めるほど明るい色の前髪が視界に入る。

 これまで教師から『全校生徒が君だったらよかったのに』とハイライトの瞳で言われるほど評判だった地毛は変わり果てていた。

 生まれてこの方染めたこともない黒髪とカラーコンタクトとは程遠かった瞳は何処にも見当たらない。


 この桃髪なんて、一体どんな染料を使えばこんなに綺麗に着色できるのだろうか。

 この近世の屋敷には不釣り合いな色に、私は少し眉を顰める。

 もしや『レティシア』という人物の差し金だろうか。


「……ん? 近世、桃髪、レティシア。この三つ、何処かで聞いたことがある気が……」


 思考の網に引っかかった単語を掻き集めて、考えて考えて、私の頭は一つの創作物の存在を引っ張り出した。

 ぼやけていたものにピントが合うように、これまで集めた情報のパズルが噛み合って行く。


「『キスは舞踏会の後で』に登場するレティシア・フォン・ルーシェンロッドの特徴は合致する。するんだけど、生まれ変わるにしても創作物の登場人物に転生するなんて……」


 小説家になる為に様々な小説や創作物に触れてきた。

 誰も触らないような文豪の作品からネットに転がる未完結のショートストーリーに至るまで。

 奇想天外、想像すらできないような出来事に巻き込まれる作品たち。

 そのなかに今の私の状況に似たような作品だって当然あるわけで。

 私が読んだ時代逆行ものの歴史小説では、歴史上の偉人に転生した現代人が未来の知識を駆使して滅びの運命を回避しようと動くようなストーリーだった。


 ふうと深く息を吐いて、手鏡を元の位置に戻す。

 精神的なショックから復活した私の頭脳は緩やかに回転を始め、とある可能性に行き着いた。


「魔法があったから異世界の方がしっくり来るかしら。あれ、異世界ということは、賞に応募できない?」


 ショウニオウボデキナイ?


「は? え、いや、なんで?」


 死ぬ間際、あれほど賞に応募したいと恋い焦がれていたのにこの仕打ちか。


 ……いやいや、落ち着こう。

 確かに賞は一つの目標

 でも、ゴールじゃない。あくまで通過点だ。その事を忘れるな。


「転生がなんだ、異世界がなんだ。絶対に小説家になる夢は叶えるからな……!!」


 決意を新たにするのと、部屋の中にノック音が転がり込むのは同時だった。

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