第222話
数え切れないほどの妖が眼前にいる。男は迫りくるそれらを手にした刀で切り裂いていく。いつからそうしていたのだろうか、男の纏った霊装はすでに返り血で真っ赤に染まっている。にも関わらず、男の持つ刀だけは穢れを知らぬかのように真っ白だった。
(これは……蘆屋道満、か?)
恭弥は刀の以前の持ち主である蘆屋道満の記憶が一時的に流入してきたのだろうと当たりをつけた。
シーンが切り替わった。今度はどこかの座敷のようだった。蘆屋道満とハクが何事か話しをしているようだ。
「この刀は駄目だ」
「駄目、にございますか」
「ああ、駄目だ。僕には使いこなせない。刀の力は本物だけど、意識を取り込まれそうになるし、何より力の半分も引き出せない」
「左様でございますか……では、作り直させますか?」
ハクの問いかけに、道満は少し悩む素振りを見せた後こう言った。
「いや……どの道、僕一人では金毛狐は倒せない。彼には悪いけど、僕は礎になるしかない」
「それこそ駄目にございます! ご主人様がいなくなれば、ハクは……ハクはどうすればいいかわかりません!」
「いいかい、ハク。僕という人間は彼女を救うためだけに存在しているんだ。だから君は、いつまでも僕に依存しているんでなく、自立してもらう必要がある。わかるね?」
「うぅ……いやです! そんな事を仰っしゃらないでください!」
「この刀は時が来るまで封印する。そして僕は、機を見て金毛狐に挑む」
駄々っ子のようにいやいやを繰り返すハクに、道満は言い聞かせるように続ける。
「恐らく僕一人ではどうにも出来ないだろう。そうなった時、頼れるのは君だけなんだ。今から遠い先、僕とよく似た人間が狭間家に生まれる。ハクには彼に仕えてほしいんだ」
「ハクのご主人様は道満様だけです!」
「ハク。大人になる時がきたんだ。それに僕ももう、長くない。それはわかるだろう?」
道満の問いに、ハクは無言を貫いた。認めたくないが、理解しているのだろう。
「鬼の力は人の身には過ぎたるものだ。力の大半を彼に置いてきた以上、僕の身体は滅びる運命にあるんだ。だから、彼を支えてやってくれ。頼む……!」
道満は静かに頭を下げた。どこか悲壮感を纏わせた彼の姿に、ハクもまた泣きそうな顔をしながら「わかりました」と返した。
○
目が覚めた。月が煌々と輝いている様を見るに、今の時刻は深夜だろう。不意に、寝ずの番をしているハクと目が合った。
「お目覚めになられたのですか」
夢の内容を鮮明に覚えていた。だからだろうか、月光に照らされたハクの顔が、どこか悲しげに映った。
「……少し、付き合ってくれないか?」
なんだか無性に煙草が吸いたかった。病院内で吸う訳にもいかないので、痛む身体をハクに支えられながら、近場にあるベンチまで移動した。
ベンチに深く座り込み、ポケットから取り出した煙草を咥えると、ハクがすかさずライターで火をつけてくれた。なんだかキャバクラみたいだな、なんて場にそぐわない感想を抱いたのもつかの間、いつの間にライターの使い方を覚えたのだろうと疑問を抱いた。
「ご主人様が煙草を嗜まれると知って覚えました」
「文月みたいだな」
「ハクはご主人様の式神ですから」
「そうか」
暫し、会話が途切れる。恭弥が煙を吸っては吐く音だけが流れる。
半ばまで吸ったところで、ようやく恭弥は本題を切り出す事にした。
「夢を見たんだ」
「夢、でございますか?」
「ああ。ハクが道満と話してる夢だ」
「それは……どんな夢でございますか」
「ハクが俺に仕えるようにって道満がお願いしてる夢だったよ」
そう言うと、ハクは驚いたような表情を見せた。
「確かにハクは道満様とそういったお話をした事があります。どうしてそれを?」
「たぶん、こいつが見せてくれたんだ」
恭弥は視線で脇に置かれていた刀を指した。
「……なるほど。この刀ならばそういった夢を見せても不思議ではないかもしれません」
「……すまないな、あいつと比べたら俺は頼りないご主人様だろう」
「そんな事はございません! ご主人様は道満様と引けを取らない――」
「いや、あいつの方が強いのは俺自身が一番わかってるさ。あいつの式と戦ってこんなザマになってるんだしな」
「それは……」
「ハク。俺は努力するよ。今はお前に見合わないご主人様かもしれないけど、刀もしっかり使いこなせるようにするし、ハクを使役出来るだけの力もつける」
「ご主人様……」
「ハクには悪いけど、俺は道満にはなれない。だけど、狭間恭弥として、ハクと上手くやっていきたいと思ってる……駄目かな?」
恭弥の言葉を受けてハクは、彼の眼前にひざまずいてこう言った。
「狭間恭弥様、ハクは改めて恭弥様をご主人様とする事をここに誓います」
「ありがとう」
ハクとの距離が少しだけ近づいた夜だった。
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