第161話

「やあ、もう少し泣かせる物語を期待していたんだけど、案外普通の殺し合いだったね。いや、こっちの方がリアリティがあるかな? 君はどう思う?」

 恭弥を見下ろしながら冥道院はそう問いかけた。


「終わりだ……もう、何もかも……」

 手足を失った恭弥は殺し合う姉妹を前にして何も出来なかった。どうしようもない無力感が彼を支配する。


「俺は……どこで間違えた……?」


「どこかと問われれば、答えは簡単さ。君の周りの人間が依り代となってしまった時点で君の敗北は確定していたのさ。君の事だから、依り代を解放しようと考える。ダメだね。その考えは実に愚かだ。白面金毛九尾の狐を相手に全力を出さないで勝とうなんて考えは」


 桃花と神楽に視線が釘付けになっていて気が付かなかったが、白面金毛九尾の狐と戦っている面々も、千鶴を残して全滅していた。もうどこにも、勝ちの目はなかった。


「チク……ショウ……!」

「ほら、勝者が戻ってくるよ。君のお世話係なんだ、愛想よく犬のように迎えてあげなきゃ」


 殺生石によって再び正気を失ってしまったのだろう。神楽が燧片手にこちらに歩いてくるのが見えた。その表情は前髪に覆い隠されていて窺い知る事は出来なかった。


「神楽……」

 神楽は恭弥を一瞥すると、冥道院の隣に立った。


「おかえり。君の望み通りになったよ。後は君の好きなようにするとい――」


 その時、予想外の事が起こった。神楽が燧で冥道院の首を切り落としたのだ。


 神楽は冥道院を入念に燃やした後、恭弥の身体を抱いてその場から跳ねた。そして、狼の式神を生み出すとその背に乗って一目散に逃げ出した。


 白銀の大狼が野をひた走る。手足のない恭弥にとって拠り所となるのは自身の胴に回された神楽の細い腕だけだった。


 彼女が手を離せば立ちどころに振り下ろされ、石の転がる地面にみっともなく叩きつけられてしまうだろう。それがわかっているからこそ、恭弥は自信なさげに問いかける。


「正気に戻ったのか、神楽……?」


 彼女は答えなかった。代わりと言わんばかりに恭弥の顔を見下ろした彼女の瞳は、白と黒が入り混じったなんともいえない色をしていた。


 彼女が恭弥の知る神楽なのか確証を持てなかった。だから、恭弥は言葉を続けられなかった。彼女も、今は何も語る気がないように思えた。


 無言の時間が続いた。式で構成されている大狼は呼吸を必要としない。体重も紙切れ一枚分しかない。太い足が地面を踏みしめても、かかる重さは人二人分だけだ。だからだろうか、より一層恭弥を抱く神楽の体温が深く感じられた。


 視線を横にやると、大狼の毛を掴む神楽の右手が見えた。そこには燻った輝きを放つ殺生石が埋め込まれていた。


 なんともいえない感情でそれを見ていると、視線に気付いたらしい彼女が、嫌がるように霊装の裾で殺生石を隠してしまった。


「恭弥さん」

 ここにきてようやく神楽は口を開いた。相変わらずその表情は横髪で隠されていて窺い知れなかった。


「私の事好きですか?」

「お前、まだそんな事――」

「答えてください!」

 神楽は髪を振り乱してそう言った。チラリと見えた表情は暗く、どこまでも沈んでいた。


「……好きだよ」

「嘘」

「嘘じゃな――」

「嘘です。全部嘘。どうして、どうして私の事好きになってくれないんですか……」


「やっぱりお前、まだ正気じゃ……」

「とっくに正気に戻ってますよ! この石が気になるんでしょう? 今捨てますよ!」


 神楽は自身の右手ごと殺生石を切り落とした。切り口から炎が上がり再生する。そこには殺生石などない、元の神楽の手があった。


「これでわかったでしょう! 私は姉さまを殺したあの瞬間から、ずっと正気です!」


「ならどうして!」

「恭弥さんが私を見てくれないから!」


 ようやく神楽は顔を恭弥に向けた。その顔は今にも泣き出しそうだった。その表情に勢いを削がれた恭弥は「見ているさ……」と返す。


「私を見てるなんてどの口が言うんですか! 私が本当に辛い時、恭弥さんは何もしてくれなかった。ただ側にいて、私と一緒に堕ちただけです。だけど……姉さまは違う!」


 堪えきれなくなったのか、神楽は遂に泣き出してしまった。


「姉さまが危ない時は、恭弥さんはいつだってヒーローになった。私だってヒーローに救われたかった……どうして? どうして姉さまなんですか……私じゃだめなんですか?」


 流れる涙を拭おうにも、恭弥にはそれを可能とする手が存在しなかった。ただポタポタと頬に落ちてくる水滴を受け止める他なかった。


「……ごめん」

「なんで謝るんですか……? 慰めてすらくれないんですか……」


「何を言っても、言い訳にしかならないから。神楽の言う通りなんだと思う。俺は心のどこかで桃花を特別視してるんだと思う。だから、ごめん」


「ひどいですよ……でも、やっと本音を言ってくれましたね」

 そう言った神楽の表情は憑き物が取れたように晴れやかなものだった。


 神楽は大狼の動きを止めた。気がつけば、黒森峰を抜けていた。


「もう、今回の周回も失敗ですね……どうすれば次の周回に行けるんですか」

「俺を殺してくれ。そうすればたぶん、俺は過去に戻れる」


「そうですか……」

 神楽はそう言うと、手足のなくなった恭弥を抱き上げて口付けをした。


「次の周回ではこんな風にならないように、私に優しくしてくださいね?」

「ああ、約束する。きちんと全部、話すよ」


「約束ですよ? 『私』は振られちゃいましたけど、過去の私はまだ振られてないので、私は諦めてませんから」


「勘弁してくれ……」

「ダメです。私は諦めが悪いですから」

 ニコリと微笑んだ神楽に、恭弥も苦笑する。


「さ、一思いにやってくれ」

「わかりました」


 神楽は炎を纏わせ燧を恭弥の心臓へと突き刺した。


   ◯


 一瞬飛んだ意識が再び戻ると、視界いっぱいに神楽の顔があった。今がいつかと思い返すと、決戦を二日前に控えた夜に、唐突に神楽にキスをされた日があったと思い出す。


(よりによってここに戻るのか……)


 とりあえず覆い被さっていた神楽を引き離す。すると、彼女は記憶にある通りドロリと濁った瞳をしていた。


「恭弥さん私に隠し事してますよね」


 薄っすらと記憶に残っている通りの言葉を神楽が言う。あの時は適当な事を言って誤魔化したが、恐らくここでの対応を失敗したが故に、神楽は冥道院の甘言に乗ってしまったのだ。ならばあの時とは別の行動を取れば未来は変わるはずだ。


「ちゃんと話すから、とりあえず落ち着け。俺も今戻ってきたばかりで混乱してるんだ」


「今戻ってきた……? って事は私達失敗したんですか?」


「まあ、そういう事だ。お前が冥道院の甘言に乗せられてな。俺は芋虫、チームは千鶴さんを残して全滅だ」


「私が冥道院の甘言に乗せられたってどういう事ですか?」


「それに関していえば俺が悪い。隠し事云々も関係する話しだ。ここで話すような事でもないから、部屋に行こう」


 恭弥は神楽の手を引いて自室へと向かった。その間珍しく神楽は無言だった。

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