第108話
「お前がこんな時間に起きてくるなんて珍しいじゃないか。一体どんな風の吹き回しだ?」
「言ったじゃろう、聞きたい事があると」
「なんだよ、そんなに改まって」
依然として天城は恭弥の膝から降りる事はせず、生意気そうな瞳で恭弥を見上げながらこう言った。
「お前はどんな結末を望んでおるのじゃ?」
「結末?」
「誰のるうとに進みたいんじゃ、と言い換えてもいいの」
「ルートって……お前散々言ってただろう。この世界はゲームじゃないんだから、いつまでも原作がどうのこうの気にするなって」
「我はそんな事言っておらんよ」
「あれ? そうだっけ? 神楽辺りに言われたんだったかな?」
首をかしげて不思議そうにする恭弥を天城は可哀相な目で見ていた。だが、恭弥がそれに気づく事はない。その言葉は、おそらく誰に言われた訳ではない。ここには存在しない誰かが彼の脳内に刻み込んだのだ。
「覚えておるか。吸血鬼と戦った時の事を。お前は小娘に登場人物ではなく人間として見てくれと言われ、我には誰が一番なのか聞かれた。そして答えを出した」
「覚えているよ」
「あの頃から何も変わらずにいてくれたら、我もこんな事を言わんでもよかったのかもしれん。じゃがの、物事は残酷じゃ。想定した通りに運ぶ事の方が少ない」
「……なんだよ、何が言いたいんだ?」
「今から話すのは、この世界にいたある一人の男の人生じゃ。そいつはお前と同じ退魔師じゃった。特別な力を持たない、普通の退魔師じゃった」
そう始まった天城の独白は、恭弥に驚きをもたらした。協会の末席に生まれた彼は、ある一人の少女に出会った。彼は彼女にどうしようもないほどに恋い焦がれた。遥かに身分の違う二人の運命は混じり合う事などないと思われた。しかし、ある出来事によって全てが変わってしまった。
そこで、天城は話すのをやめてしまった。ここまできて話すかどうかで悩んでいる様子だった。だが、恭弥が続きを促すと、やがてこう続けた。
「少女の死じゃ。それが切っ掛けで、男は狂っていった。様々な外法に手を出したが、結果として男の望むようにはならなかった。じゃがの、その過程で男は希望を見出した。男の異能は、やり直す事が出来たのじゃ」
「やり直すっていうのは、過去に戻れるって事か?」
「そうじゃ。記憶を引き継いで、やり直す事が出来る」
「じゃあ――」
「お前は、運命というものをどう考えている。抗える存在か? それとも受け入れるべき存在か?」
「俺は、抗える存在だと思うよ」
「男もそう考えた。何度も何度もやり直して、そのたびに少女の死を目撃する。普通なら狂っておる。じゃがあいつは諦める事をせんかった。じゃから気まぐれに我も力を貸す事にしたんじゃが」
ここまで話して恭弥の中に一つの疑問が湧いた。ひょっとすると、今話している男というのは――。
「お前が思っておる通りよ。今話しているのは狭間恭弥の人生じゃ」
ハンマーで頭を殴られるというのはこの事をいうのだろう。とてつもない衝撃が恭弥を襲った。
「ちょ、ちょっと待てよ。そんなはずは……だって狭間恭弥は原作開始前に死ぬモブで……」
現実感の薄れた状態で、唯一口をついて出たのはそんな言葉だった。自らのアイデンティティを否定されようとしている今、他ならない天城の口から肯定してほしかった。だが、
「数多ある結末の内の一つじゃ。お前風に言うと、何も成せなかったばっどえんどじゃな」
そう言った天城の口調からは、それがどこまでも事実であるとしか受け取れなかった。
「じゃあ、俺は誰なんだよ……?」
「それを知ったら、いよいよお前は訳わからずになるじゃろうな。じゃからそれは言わん」
もうすでに気が狂いそうだった。全てを投げ出して、走りたい気分だった。だが、天城がそれを許してくれない。
「ここからが問題じゃ。狭間恭弥は少女を救う事を目的としておる。じゃが、我も我で別の目的があるんじゃ。我の目的は狭間恭弥の目的が達成されれば自動的に達成される類のものでもあるが、お前が誰かのるうとに入る事でも達成される。そこで、お前には選択をしてほしいんじゃ」
「その前に聞かせてくれ。その死んじまう少女ってのは俺の知り合いか?」
「うむ。極々身近な存在じゃな」
「マジかよ……」
少女と言われてパッと思い当たるだけで桃花に神楽、文月に薫、小春と5人もいる。この内の誰かが死んでしまうと言われて冷静でいろという方が難しい。特に、神楽なんかついこの間それに近しい状況になったというばかりなのに。これでは死亡フラグに愛されているとしか思えない。
「誰なんだ? 誰が死ぬ運命にあるんだ?」
「それは言えん。言ってしまえば意味がなくなるからな。よいか? 今我らがやっているのは運命に喧嘩を売る行為じゃ。運命はそう簡単に覆らん。ちょっとのズレで全てが台無しになる。そういう事をやっているのじゃ。じゃが、お前はそういう事は気にせんで好きなように行動するんじゃ。それが結果として一番良い」
「……じゃあなんでそんな事を教えたんだよ。頭がおかしくなりそうだ。仲良くしてる人間が今こうしている間にも死ぬかもしれないなんて耐えられない」
「生きとし生ける物その運命からは逃れる事は出来んよ。当たり前の事じゃ。お前には意識を変えてほしかったんじゃ。状況が変わってな、あまり余裕がなくなった」
「どういう事だよ?」
問いかけるも、天城は答える事はなかった。それも恭弥が知る必要がない事だという事だろう。
「……まただんまりかよ」
「すまんと思っておるよ」
「お前が素直に謝るとはね。まあいいさ、タイムリミットは? これも答えられないのか?」
「断言は出来んが、白面金毛九尾じゃろうな。狭間恭弥がどうやっても乗り越えられなかった出来事じゃ」
「いつ復活するかわかるか?」
「わからん。その時々によって早かったり遅かったりするからの。じゃが、冥道院も慣れてきておる。あまり余裕はないと思った方がよいじゃろうな」
「わかった。それで? 天城は俺に何を望むんだ?」
「選択じゃ。お前はこの世界をげえむとして捉えておるはずじゃ」
「そうだな。実際、エロゲーだと思ってたよ」
「それがおそらく正解なんじゃ。そして、ひろいんはお前の周りのおなごじゃ。お前が誰かのるうとに入る事で運命は変わる。少なくとも我らはそう信じておる」
恭弥は思わず天を仰いだ。シリアスな話しをしていたと思ったら途端にこれだ。結局やる事はエロゲーの主人公と何一つ変わらない。
「……仮に、俺が誰も選べなかったとしたら?」
「それもまた道の一つじゃ。最終的に狭間恭弥の目的が達成されれば我らはなんでもよいんじゃ。じゃが、それではつまらんじゃろう? お前も男なら夢の一つくらい持たんかい」
「言ってくれるじゃないか……」
「臆したか?」
天城の問いに、恭弥はフっと笑ってこう言った。
「上等だよ。主人公でもなんでもなってやろうじゃないか」
恭弥の言葉に、天城は一瞬面食らったような表情を浮かべたが、すぐに意地の悪い笑みを浮かべ、「くふふ」と笑った。
「それでこそ男ノ子じゃ。精々この世界を楽しむ事じゃな」
「天城が俺相手に共生相手だなんだと悪態ついてたのが懐かしいぜ。これじゃ完全に味方じゃないか」
思い当たるところしかなかったのか、天城にしては余裕なさげにこう言った。
「食ってやろうか!」
「全然怖くねーよ。完全な照れ隠しだ」
「ふんっ! 我はもう寝る。絶対に起こすんじゃないぞ。いいな、起こしたら殺すからな!」
「へいへい。ごゆっくり寝てくれ」
天城がシミの中に消えていったのを確認した恭弥は、元々の目的である朝風呂に入ろうと思い、居間に下りた。すると、結構長い時間話し込んでいたのかすでに文月が起きて朝食の準備をしていた。
「おはよう、文月」
「おはよう御座います。今朝は随分早いのですね」
「なんか目が覚めちゃってな」
会話しながらも手を止める事のない彼女の後ろ姿が、先程の会話もあってかひどく儚いものに映った。可能性は低いが、死んでしまう少女というのが文月かもしれない。そう考えると、今すぐにでもその細い腰に抱きつきたかったが、急にそんな事をしては彼女を不安がらせるだけだ。そう思い、寂しい気持ちをグッとこらえて風呂場に向かった。
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