第61話
「また邪魔者……!」
鳥型の式神からふわりと飛び降りた桃花は油断なくエリザベートに雷斬を向ける。その後ろ側に、恭弥の姿を確認するとこう言った。
「彼に何を?」
「ちょっと瞳術をかけただけよ。簡単には解けないね」
「そうですか。では貴方を倒して瞳術を解くと致しましょう」
「貴方にそれが出来るかしら?」
「やってみなければわかりません。桜舞え、
何処からか現れた桜の花びらが桃花の周囲を舞う。雷の煌きをまとった雷斬と共に桃花は神速の突きを放つ。
寸分違わずエリザベートの心臓を抉った次の瞬間、スパンという肉の爆ぜる音と共に焼け焦げた肉が飛び散った。
だがそれだけだった。むくむくと膨れ上がったエリザベートの肉はやがて元の形を取り戻し、後には美しい姿のままの彼女が立っていた。
「厄介な!」
桃花はズボリとエリザベートから雷斬を引き抜き距離を取った。が、それを許さないのがエリザベートだった。彼女は目で追うのも困難な速度で桃花に接近すると、鋭く尖った爪を凪いだ。
(避けきれない……!)
桃花は無様に地面を転がる事でなんとかそれを回避した。常の彼女の様子からは考えられない回避の仕方だった。それだけ今の攻撃が命に届きかねない一撃だったという事だ。
なんとか立ち上がり、態勢を整えたが、緊張を隠しきれず、桃花の表情が歪む。
「なかなかいい表情をするじゃない。少し濡れてしまったわ」
「化け物が……!」
「そうよ? 私は所詮どこに行っても化け物。貴方達がそう呼ぶ限り、私はずっと化け物なの。だけど、皆お友達になってしまえば誰も私を化け物なんて呼ばない。それって素敵な事じゃないかしら」
「……貴方の考えを理解する気はありません。貴方は妖。ならば、それを討つのが我々退魔師の使命です」
「残念だけど、貴方には無理な事よ」
エリザベートは心の底から残念だという表情を見せながら爪を伸ばした。二本の長い爪が桃花の白く美しい太腿を貫いた。
「ぐぅ!」
態勢を崩し片膝をつく桃花の右肩をエリザベートは刺し貫いた。鮮血が飛び散り、桃花の悲鳴が響き渡った。
「ほら、人って脆いでしょう? ちょっと私が爪を出すだけで簡単に穴が空く」
「や、やめろお!」
エリザベートの頭に石が飛んできた。晴明が投げたものだった。
「ダメじゃないミゲル。そんなオイタをしちゃ。寂しくなってしまったの?」
「ふ、ふざけるな!」
威勢がいいのはそこまでだった。エリザベートは桃花に背を向けゆっくりと晴明に近づいていく。ただそれだけで、きゅっと心臓を掴まれたように何も出来なくなってしまった。
「大丈夫。心配しなくてもすぐに私が血を吸ってあげるわ」
宣言通り、エリザベートは立ち尽くす晴明の血を吸おうとした。だが、それを許さないのが桃花だった。彼女はエリザベートの頭を背後から雷斬で貫くとこう言った。
「急いで離れなさい」
「え、でも……」
「いいから!」
晴明が走って行ったのを確認した桃花は雷斬を引き抜く。鮮血が顔を汚したが、構う事なく雷斬の切っ先をエリザベートに向ける。その顔には決死の覚悟が宿っていた。
「……何をするつもりかしら」
「さあ、なんでしょうか……」
桃花の右肩を伝って掌まで血が流れてきた。ぎゅっと握られたその手に伝った血が雷斬に吸い込まれ、怪しい輝きをもたらした。
「貴方まさか!」
「終の時刻、夜桜は散る……雷斬よ、我が生命を代償に妖を滅せよ!」
雷斬はエリザベートの腹へとその切っ先を進めると、妖を滅する雷の輝きを放った。
○
恭弥は同じ時をループしていた。エリザベートに殺されかけ、天城に身体の制御を渡してエリザベートの心臓に日本刀を突き刺す。その一連のループを二十三回繰り返していた。そして二十四回目となる今回初めて疑問を覚えた。
(おかしい。俺はさっきもこの光景を見た気がする)
その疑問を抱いたまま二十五回目のループに突入した。
「情けない奴じゃの」
頭の中で声が聞こえた。
「……天城、今まで何してたんだ……こっちは死にそうだっつの……」
「野暮用じゃ。我に身体を貸せ。あの程度すぐに屠ってやるわ」
「すまんが頼む。俺じゃ無理だ」
(このやり取り、覚えているぞ。確かこの後天城は簡単にあいつを殺すんだ)
天城がエリザベートの心臓に日本刀を突き刺した。
(やっぱりだ。そしてまた俺はエリザベートに殺されかける)
二十六回目のループが始まる。ループしている事がわかったというのに身体の自由が効かなかった。ビデオを繰り返し見るように再び恭弥は殺されかけ、天城がエリザベートを殺す。そうして二十七回目のループが始まった。
(クソ! 動け! なんで動かないんだ!)
意識すると、気がつけば恭弥の身体は電車の中にあった。眼前には座席に足を広げて座った天城が不機嫌そうにこちらを見ていた。
なぜ電車なのか、どこに向かっているのか、そういった事は全くわからなかったし、どういう訳か追求する気が全く湧かなかった。
「やっと気付きおったか。お前は奴の瞳術にかかったんじゃ」
「天城! 今まで何回も声をかけたのになんで応えてくれなかったんだ」
「お前が情けないからじゃ。お前あいつに勝てないと悟った時我を頼ったじゃろ」
図星だった。自分の実力ではどうしようもない事をはっきりと自覚した時、恭弥の脳裏には天城の姿があった。
「……しょうがないだろ。あんな遥か格上の相手、俺じゃどうしようもない」
「またそれか。しょうがない、どうしようもない。お前は大好きなヒロインが殺されてもそれで済ますつもりなのかえ?」
「何が言いたいんだ」
「お前の性根が気に食わん。困ったら我が助けてくれるとでも思っとるんじゃないのか」
「そんな事は、ない……はずだ」
「断言出来んのがその証拠じゃ。見ろ、お前が救いたがっておったヒロインは今にも死にそうじゃぞ」
窓の外に映し出された外の映像、そこでは桃花が血だらけで片膝をついていた。
「桃花!」
手を伸ばした途端ブツンと映像は消えてなくなってしまった。
「これはさっきの映像じゃからな、今頃はどうなっておる事やら」
「頼む天城! 今すぐ意識を戻してくれ! このままじゃ桃花が!」
気持ちがばかりが焦る。恭弥は恥も外聞もなく天城に頭を下げた。だが、
「嫌じゃ」
返ってきたのは無情な答えだった。
「なんでだよ!」
「戻ってどうするつもりじゃ? お前あいつに勝てるのか?」
天城はどこまでも冷静だった。彼女の言う通り、今ここで恭弥が戻ってもむざむざ殺されに行くようなものだった。だが、だからといって、
「……はっきり言って勝てない。だけど、このまま何もしないなんて出来ない!」
恭弥とて男の意地がある。無茶だろうが無謀だろうがやらなければならない時というものがある。今がその時だ。
「ふむ。じゃあ勝つためにどうしたらいいと思う?」
「……どうって、鬼の力を使う以外に思いつかない。でも、貸す気はないんだろう?」
「誰も貸さんとは言っておらんよ。ただ我はお前の性根が気に食わんと言っておるんじゃ」
「どうすれば貸してくれる?」
「覚悟を示せ。と言ってもお前の事じゃ、どうせオウム返しに覚悟ってなんじゃ? とか言ってくるのは目に見えておる。じゃからお前に合わせてわかりやすく言ってやる。貸してほければ代償を払え。等価交換。当たり前の事じゃ。」
「いや、全然わかりやすくねえよ。代償ってなんだ? 何が欲しい」
「強くなれ。諦める事なく努力し続けろ」
「そんな事でいいのか?」
「そんな事とはまた大言を吐きよる。お前が思うとる以上に諦めないというのは難しい事なのじゃぞ」
天城の言葉には妙な説得力があった。まるで誰かの経験談を聞いているような、そんな感覚を覚えさせた。追求してみると、天城にしては珍しく口ごもりながら「どうかの」と言うだけに留まった。
「まあそれは置いておいてじゃ、これは我のわがままじゃが、我に愛を見せろ。この二つを守れるのであれば我は力を貸してやる」
「また難しい事言ってくれるな……でも、わかった。やるだけやってみるさ」
「ふむ。まあ、よいじゃろう。我は常にお前と共にある。ゆめゆめ忘れるな。ほれ、わかったらとっと行け」
「ああ、行ってくる。ありがとう」
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