第36話

 風呂から上がると千鶴がつまらなさそうにソファに寝そべってテレビを見ていた。手にはせんべいが握られており、パリパリと美味しくなさそうに食べていた。


「……随分と長湯でしたね。お二人でお楽しみでしたか」


 いかに広い家といえど、耳を澄ませば浴室の声はどうしても聞こえてしまう。浴室で何が行われていたかなど千鶴はとうに把握していた。だからこそ、つまらなさそうな態度を取っている。ふてくされているとも言えた。


「そんなふてくされないでくださいよ」

「私はお腹が空きました」

 ぶすっと最早ふてくされているのを隠す素振りもなく千鶴は言った。


「今すぐご用意しますのでもう少々お待ち下さい」

 反対に文月は上機嫌で晩ごはんの準備に取り掛かる。それがまた千鶴は面白くなかった。


「だいたいですね、恭弥は私をなんだと思ってるんですか」

「なんだとって、師匠?」

「他には?」

「同居人とか?」

「他」


「ええ……なんて答えればいいんですか」

「想い人とか言えないんですか。なんですか、あんなに私にしがみついてべそべそ泣いていたいた癖に。用が済んだらポイですか」


「千鶴さんダル絡みやめてくださいよ。お酒でも飲んだんですか」


「私はシラフです! 天城さんにはショタコンとか言われるし、せっかく溢れ出る想いを隠して可愛い弟子を私好みに育てて美味しく頂こうと思っていたのに、計画が台無しです! どう責任取ってくれるんですか!」


「理不尽過ぎる! 師匠がそんな計画立ててた事を知らされた弟子の身にもなってくださいよ!」


「どうせ私なんて行き遅れですよ。二十七にもなって処女なんて誰も面倒くさがって貰ってくれません。せっかく恭弥が貰ってくれると思ったのに。文月さんに取られるなんて」


「まだ取られた訳じゃないですよ。というか、さっき風呂場で文月と話して決めたんですけど、俺来る者拒まずの姿勢を取る事にしました。なんで千鶴さんもウェルカムですよ」


 恭弥の言葉を聞いて千鶴はガバっと起き上がる。


「本当ですか! 嘘だったら呪いますよ」

「怖い事言わないでくださいよ。本当ですよ。そうでもしないとマジで刺されそうなんで」


 陰陽術のプロフェッショナルの千鶴が言うと冗談では済まされない。恭弥は自身の顔が引き攣るのがわかった。


 そんな恭弥の様子に気づいていていない千鶴は、無邪気に両手を上げて喜んでいた。


「やったー! これで私も行き遅れとか言われなくて済みます!」


「良かったですね。ていうか千鶴さんそんな気にしてたんですか? 全然そんな素振り見せてなかったですけど」


「協会に身を置いていた時は酷かったんですよ。やれ子供はいつ出来る、結婚をする気はないのかとか外野から散々突き上げられてたんですよ? お見合いの話も山程来てました」


「まあ千鶴さんくらい強かったらそうもなりますよね。なんでお見合い蹴ったんですか?」


「だって私の好みじゃなかった……」

「……ショタコン」

 ボソリと呟いた恭弥の独り言をしかし、千鶴は聞き漏らす事はなかった。


「どうせ私はショタコンですよ! それの何がいけないんですか! ちょっと年下が好きだからってそんな風に言われる覚えはないです!」


「法律的に結婚出来ない相手に本気になってる時点でさもありなん。ピーポーが来てもおかしくないですよ」


「いいんです! 恭弥が貰ってくれるっていうんなら文句はありません。元々そのつもりでしたし。あー初な恭弥を手取り足取り可愛がりたかったのになあ……」


「おい。欲望が漏れてるぞ。仕舞いなさい」

「おっと、これは失礼」


「本当に失礼ですよ。あんたどんどん師匠としての貫禄無くなっていってる自覚あります? 俺の中で大暴落してますよ」


 そう言うと、千鶴はわざとらしく「ううん!」と咳払いをしてこう言った。


「恭弥、今日の修行はもう終わったのですか」

「取り繕い方が雑ぅ! 今更遅いっての……まあそろそろ師匠の出番がくるでしょうし、その時に師匠らしいところを見せてください」


「任せなさい。たまには師匠らしいところを見せないとただの居候になってしまいますからね」


「そうですよ。千鶴さん食っちゃ寝食っちゃ寝してるからちょっと太ったんじゃないですか?」


「失礼な! 女性になんて事を言うんですか。そんな子に育てた覚えはないですよ」

 とは言いつつも千鶴は自身のお腹をつまんで顔を青くした。


「……少し運動しましょうかね。恭弥、対人戦の訓練を明日から加えましょう」

「そうした方が良いかと」

「夕食の準備が整いました」


 話しに一段落ついたところで、タイミング良く晩ごはんの準備が終わったらしい文月が手際よくちゃぶ台におかずを並べていく。


「お、うなぎかあ。山椒ある? 俺沢山かけて食べるの好きなんだよね」

「ご用意してあります」


「文月さんの作るご飯は美味しすぎて困りますねえ。少しダイエットしなくては……」

「食事制限は身体に良くないって聞きますけど」

「では食べた分だけ運動するとしましょう。恭弥、付き合ってくれますね?」

「げ、やぶ蛇」


 そうして狭間家が団らんをしている時、椎名家では姉妹が親密な話しを行っていた。


「姉様は本気なんですか」

「わたくしは本気ですよ。そういう貴方こそ、本気なのですか」

「私は本気です」

「……そうですか」


 桃花はちゃぶ台に置かれた湯呑を傾ける。ふう、と息をつくとこう続けた。


「鬼灯が邪魔ですね」

「そうですね。あのちんまいの、いっちょ前に喧嘩売ってきましたもんね」

「彼女には舞台から退場していただくと致しましょう。わたくし達の物語に、彼女は不要な存在です」

「あいつに関しては私も同意見です。でも、姉様といえど譲る気はありませんよ」

 桃花は神楽の挑発に何かを返すでもなくただ湯呑を傾けた。


「私が横からかっさらっちゃいますよ?」

「……彼にはもっと強くなっていただかなければ困ります。椎名の血を後世に残すのに相応しい存在となってもらわなければ」


「だから試すんですか? 私は反対です。それで死んじゃったら元も子もないじゃないですか」


「その時はそれまでの存在だったという事。そうなれば身を退くと約束致しましょう」


「本当ですね? じゃあ私は影で見てます。ただし、危なくなったら手を出します。文句はないですね?」

「いいでしょう」


 桃花はもう会話は終わったとばかりに目を閉じた。そして神楽もそれを察して部屋を後にしようとする。


「ああ、そうだ。千鶴さんはどうするつもりです?」

「彼女は表舞台には出られません。一番にはなれないでしょう」

「じゃあ、あの傍使いもそのままという事で」

「ええ」


 神楽が退室し、桃花は再び湯呑を傾けた。そして、誰にも聞こえない声でこう呟いた。


「……そう、一番になるのはわたくしです」

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