第34話

 雨女によって身の穢れを払われた恭弥は、ここ数日穏やかに過ごす事が出来ていた。それどころか、気まぐれで買った宝くじが当たったりと、何かと幸運とすら言えた。しかしその幸運にも限りがある。もうじき「赤い月」が始まる。「赤い月」が始まればちょっとやそっとの幸運ではどうしようもない。


 一度始まってしまえば、「夜に哭く0」のラストを飾る一大イベントだけあって、恭弥一人の力ではどうしようもないだろう。それに、「赤い月」は本編の主人公がこの業界に足を踏み入れる切っ掛けとなる事件だ。無闇に介入するのは望ましくない。


「はてさて、何人が死ぬ事になるやら……」


 正直名無しの退魔師が何人死のうと正史には大した影響は無いだろうから問題はない。問題は名ありの退魔師だ。中でも天上院光輝が特に心配だった。


 人間ミンチの後に心配になって彼のお務め履歴を確認したところ、設定資料集に書かれていたよりも遥かに戦闘経験が少なかった。これは確実に恭弥が介入した事による影響だ。


 くるくるとシャープペンシルを器用に回しながら考える。眼前では教員が数式を黒板に書いているが、そんな事はどうでもいい。


 先の水釈様討伐で、真相はどうあれ恭弥の番付はいっときに比べて上位に位置している。それに比例して、協会内での発言権もだいぶ向上した。今であれば仮に「赤い月」が発生したとしてお務めの相手に光輝を指名する事は出来るだろう。しかし、正史通りに問題なく物事を進めるためにも、万全を期して桃花とペアを組みたい気持ちもあった。


 一番良いのは光輝、桃花、恭弥の三人が同チームに編成される事だが、事件の規模が規模だ、あまり現実的とは言えないだろう。それこそ椎名家の力を借りればなんとかなるかもしれないが、その場合は上手い言い訳を考える必要がある。このチーム編成に必然性を見つけるのは至難の業だ。


 そんな事を午前中いっぱい考えていたが、結局良い案は浮かばなかった。恭弥はため息をつくと、あまり良い方向とは言えない向きに気持ちを切り替えた。チャイムが鳴った事で地獄の昼休みが訪れてしまったからだ。


「恭弥さーん!」

 まず最初に昼休みを告げるチャイムが鳴って幾ばくもしない内にミニスカートをはためかせながら神楽が教室を訪れる。


「お待たせしました。失礼します」

 その後ややあって、文月がお淑やかに教室を訪れる。


「それでは昼食に致しますか」

 そこから桃花が弁当を用意し、四人揃って屋上へ向かうというのがここ最近のルーティーンとなっていた。しかし、今日はそれに変化を与える者がいた。薫だ。


「あのさ、私も混ぜてもらってもいいかな?」

「ブルータス、お前もか」

「そのやり取り前にもやったよ。で、いいの?」

「別にいいけど、普段一緒に食べてる子達はいいのか?」

「うん。今日は別の人と食べるって言ってあるから」

「ふーん。まあいいや、じゃ特等席に行きますかね」


 結果、桃花、神楽、文月、薫という見事に学園の綺麗所を制覇した恭弥は、人を殺せる視線を背後に受けながら諦め顔で四人を伴って屋上へと向かった。


 屋上は昼食の人気スポットである。天気の良い日は日向ぼっこをしながら昼食を食べられるという事で、基本的には最速で向かわなければテーブルが併設されたベンチを獲る事は出来ない。しかしながら、何事にも例外というものはある。


 そう、「基本的には」なのである。当初恭弥は、屋上で食べるという話を聞いてどうせ無理だろうとたかをくくっていた。だが、どこから話が広がったのか、桃花と神楽、文月が知人に屋上のベストポジションで今日は食べると話したところ、他の席は埋まっているのにそこだけぽっかりと指定席かのように空いているという不思議現象が発生していた。


 見目の麗しさも突き抜けると一つの武器になるとは言うが、彼女達は学園でグループを作って行動している訳でもない。ただそこに在るだけでスクールカーストのトップに君臨しているのだ。なんと残酷な事だろうか。そしてそれに付き纏われている恭弥の心情はいかばかりか。人より頑丈な身体を持っているとはいえ、胃に穴が開く日も近いだろう。


 さりとて、どれだけ現実逃避しようと目の前の現実は逃げてくれない。好奇の視線に晒されるのもいい加減慣れてきた。


「今日はお肉を中心に作ってみました。今後の参考に致しますので気に入ったおかずがあれば仰ってください」


 文月に渡された重箱を開くと、彼女にしては珍しくほとんど茶色のおかずばかりだった。いつもは栄養のバランスを考えて野菜と肉半々だった事を思うと随分と思い切ったように思えた。


「おー。男の飯なんてこんな感じでいいんだよな。とりあえず肉出してくれれば喜ぶし」


「いつ見ても美味しそうですね。ウチのお抱えの料理人に負けず劣らずです。恭弥さん良い拾い物しましたね」


「こらこら。人を物扱いするんじゃない。退魔師の思想に染まりすぎだぞ」

「これは失礼しました」


 三人の会話の横で、桃花は薫の様子を注意深く観察していた。


「鬼灯さんが昼食を一緒にしたいなどと、どういった風の吹き回しですか」

 桃花は薫に冷たい視線を向けながらそう言う。どことなく敵意を感じる気がするのはきっと気のせいではない。


「最近恭弥君の周りをメス猫ちゃんがうろちょろしてるみたいだから、何をしてるのかなーって」


「そういう事でしたか。言っておきますが、私達と貴方では彼に対する繋がりが違いますよ。中途半端な気持ちならば身を引く事をおすすめしますが?」


 バチバチと視線をぶつける桃花と薫の姿に、恭弥は原作ではこの二人は特に絡みがあった訳ではないはずなんだけどな、なんて事を考えながらも、そこはかとなく死亡フラグの臭いを感じたためなんとか軌道修正を図る。


「おいおい、楽しいお昼ごはんの時間に昼ドラを演じるんじゃない」

「誰のせいだと。どうせまた誑し込んだのでしょう? 節操のない男ですね」


「冤罪だ。俺は何もしていない」

「そう言って私達姉妹を誑し込んだのは誰だったでしょうか」


「何度も言うが神楽はともかくお前を誑し込んだ覚えはないぞ。冗談もほどほどにしてくれ。薫も俺の身の潔白を証明してくれ」


「へーほーふーん。椎名家は随分と恭弥君に入れ込んでいるみたいだね。これで恭弥君が私のとこに婿入りしたら面白そう」


「面白い事を言いますね」

「ちんまい癖に大言を吐く事は出来るみたいですね」


 桃花と神楽が同時に殺気を放った。薫は薫でそれを平然と受け止めてパクパクと弁当を小さな口に詰め込んでいる。


(なんでお前達ヒロインはこうも血の気が多いんだよ。だから行く先々で死亡フラグを建ててんだよ! しかも今回はマジで意味がわからん。正史でこんなやり取りはなかったぞ)


「婿入りなんざ冗談じゃない。俺も一応狭間の長男だから御家を途絶えさせる訳にはいかんのじゃ。それに薫は許嫁がいるはずだろ?」


「あのおじさんの事? それこそ冗談じゃないよ。二回りも年下の私にハアハアしてるような人なんてお断りだよ。お父さんに頼んで破談にしてもらったよ」


(おかしいな……薫ルートのイベントの一つに主人公が許嫁を実力で排除して破談させるというものがあったはずだぞ。主人公いないのに破談してるじゃねえか。何が起きてるんだ? なんでこんなに正史からズレてる)


「そりゃいいけど、どうするつもりなんだよ? 鬼灯家も跡継ぎ問題はあるだろ」


「んー弟がなんとかしてくれるんじゃないかな」


「可哀想に。まだ十歳やそこらだったろ。お姉ちゃんとしての矜持はないのか」


「私だって女の子したいもん。同年代の男の子と恋愛したいし、結婚も好きな人としたいよ。鬼灯だからってそれは関係ないもんねー。そもそも同年代の退魔師でまともな男の子恭弥君くらいしかいないじゃん。こういう状況になるのも仕方ないよね」


「消極的選択で選ばれるのはごめんだぞ? ちゃんと考えてそういう事は言ってくれ」


「私は考えてますよ?」

「神楽には言ってない。お前はその苛烈な性格を丸くしてから出直してこい」

「ひどい!」


「その傍使いちゃんにしたってどうするつもりなのさ。まさかずっと傍に置くつもり?」

 文月を指して言う薫。なかなかに痛いところを突いてくるものだった。


「それはおいおい考えるつもりだ」

「私はずっとお傍に置いていただけた方が……」


「ほらー。もう恭弥君が優柔不断だから変な事になってるじゃん」

「なぜ俺を糾弾する場になってる。楽しいお昼ごはんタイムはどこにいった」


「貴方が蒔いた種でしょう。誰彼構わず粉をかけるからこうなるのです」

「俺が粉をかけた覚えがあるのは神楽だけだ。それ以外は誤解と勘違いだ」


「そうですよ。正妻は私です」

「火種にガソリン撒くのやめろ。なんでお前らは皆仲良くが出来ないんだ」


(何故俺がこんな主人公ムーブをかまさなければいけないんだ。こういうのは主人公の特権だろう。なんとかしてこの場を切り抜く弁舌を貸してくれ、頼む主人公……!)


「とにかくだ。仲良しこよしとは言わない。せめて敵対するのだけはやめよう。せっかく同年代の退魔師仲間なんだ。背中を預け合えるくらいの信頼関係を結ぼう」


 なんて耳障りが良くて展望に欠ける発言だろうか。自分で言っておいて驚いている。こんな事を繰り返していてはいずれへし折る事の出来ない死亡フラグが建ってしまうのは目に見えている。何が悲しくて自分の事で死亡フラグを建てなければいけないのか。


 ――こんなはずじゃなかったのに。


 ここ最近回数の増えた大きなため息をついた恭弥はそれからも、あの手この手で場を宥めすかして地獄の昼休みを乗り越えた。

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