02
監督も。
マイクの集音やミキシング担当に至るまで。
それを見た全ての人間の時間が。止まった。
「ストップ。ストップです」
唯一、これを何度も聞いたことがある自分だけが。動ける。
「カットです。カットを」
彼女。彼女は、どこまでも、演者だから。カットがかかるまでは。演じ続ける。
「監督っ」
監督。気が付いた。カットがかかる。その音と共に、他の人間の時間も動きはじめた。
「
彼女に駆け寄る。
こうなるのが。
こわかった。おそろしかった。
そしてそれは。
現実に。今。起こってしまっている。
「ばかやろうが」
彼女。
倒れている。抱き抱えて。
「ばかやろうがっ」
だから、やめろと言ったのに。
「ディレク。はやくよこせっ」
タオルと水を奪い取って。
彼女の頬につける。反応はない。
タオルを首筋に。
「違う」
いつもと違う。
そう。
違う。
これは本番。自分と一緒に行った、練習とは。まるで違う。
「違う。違う違う違う」
体温上昇じゃない。練習では、何度も彼女は熱くなって倒れていた。頬に冷たいペットボトルをつけるとうれしがって。タオルで汗を拭ってやると気持ちよさそうに。してたのに。
「これは違う。これは本番だから」
彼女の胸に。
心のある部分に。
触れる。
「ばかやろうがっ」
ばかやろう。それしか浮かばない。
「ディレク。救急車。監督。セットどかして車の入るスペース用意してっ」
彼女の心臓。心。
止まっていた。
「ふざけんなよっ」
汗を拭うはずのタオルを胸にあてて。口を切らないようにすこしだけ水で口元を湿らせて。
人工呼吸。
すぐに。
胸を規則ただしく押す。
「戻ってこい」
人工呼吸。
「戻ってこい」
彼女の顔。
演じたまま。最後のカットのまま。止まっている。開いたままの瞳。告白の返答を待つ、笑顔と切なさのちょうど中間ぐらいの表情。
この演技を獲得するまでに。
彼女は何度、自分の前で心を壊したのだろう。
そして何度も、何度も何度も心を作り直して。
最期の演技を。
「ばかやろう」
人工呼吸。胸を押す。頼む。戻ってきてくれ。
演技のための言葉じゃないんだろうが。
俺に言うための。
最期の演技を終わらせて。
役者として最後の仕事を終わらせて。そしてあらためて、俺に言うための。そのための、練習と本番じゃなかったのかよ。
「戻って」
彼女のことが。
「戻ってこい。戻ってこい。戻って」
彼女のもとから。引き剥がされた。
救急隊員。
「やめろ」
彼女の瞳を。まぶたと口を。閉じさせている。
「やめてくれ」
彼女に。
その顔に。
さわらないでくれ。
最後の演技なんだ。
彼女の。
最期の。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます