1-5 垂簾/5782 7C3E
ケナの眼前には、大理石のように白く硬質な一枚岩が佇んでいる。
影も実体もなきその直方体は、息遣いて言紡ぎ、それに呼応して表面を鋸波状に波打たせる。其の佇まいは見れば見るほど頭を抱えそうなほどに異質だが、彼はなんてことのないかのようにそれと相対している。なにしろそれは彼のみが見ている虚像なのだった。
「お前の報告書、
変声期前の少年のごとき、快活さと
「
「全くだ。何しろこの国に於いて我が族家の占めたる領域は見た目より少なし。例えヤサカの名の下に命任されし
「獅子身中の虫が
「……ヤサカがあの時オキ島にいたのはそれが理由か。ならばなぜそれを
「奴ならきっと、役割の分担なのだと言うだろう。
「忠告痛み入る。……時に、
「ムマレと同様、聡明な少女だ。是非とも目通りをさせたいと思っている」
即答するその様に、白御簾の向こう側でムマレと呼ばれた者のため息が聞こえる。
「御主はどうやら三国の厄を摑まされたという自覚がないようであるな。呑気なことよ
「王位継承者の
「よく存じているとも、なればこそ
「何故厄根多なのかは概ね推測がついたが、答え合わせを貰おう」
「吾が家のみならず義兄上にとっても忌むべき名だろう。サヌヒコホノニキ、元イト国の首長……」
「なるほどな。だがその線を追おうにも、本当に彼女の摂政なのかというところからまでも繋がりを洗わなければならない。現状カラタケの背後に付いている者から繋がりを辿ろうにも情報が少なすぎる状態だ。場合によっては貴国の内部まで踏み込む、となると…… 内と外両方から報復を受ける可能性もある。俺が今相手にしようとしているのはおそらくそういう奴だ」
「……気が重くあろうな」
「いんや、全く? 面白いじゃないか。上手くいけば敬愛する義弟と祖父の役に立てるわけだ」
「上手く事引かなかった場合はどうなるかわかっておるのか、
「気に重く持っているのはあなただからこそその発想になるんだ、同時に大きな誤解をしていると言わざるを得ないな。イヌサカケナという人間はすでに存在せず、それを騙る名もなき人間が動いていた…… それを証明する用意は我が族家においていつでもできている。もちろん今回もまたそのようなことは起こりえないだろうがな」
「かような軽々しい言葉で何を
「その通りだ。俺は俺なりに、己の信念に基づいてこの事件を幕引こう。その過程において何が起ころうと、あなた方の悪いようにはしない。知っての通りそれを証明してみせる手段は、信用していただくこと以外他にないのだが」
またもや深いため息が波紋を生み出す。一枚岩はまた沈黙を伸べた。
「良かろう。我が家も出来る限りの支援は惜しまん。忠誠を持たぬ執行者の名の下に影を探り当ててほしい」
「例えそれが俺でもな」
「......改めて問うが、お前のその態度は自信ゆえか。それとも酔興か」
フン、と息をつくと大袈裟に肩をすくめてみせる。それでもケナの表情には、その両方だと言わんばかりの凄みがあった。
「ムマレ、人間は自分の思う通りに善き行いができるかというとそうではない。俺じゃなくても例え己が悪と信じようと、人間は同族を幾千幾万も殺せる。それは自分の手で起こせるものではない、起こるものなのだ」
「莫迦な。それが神の教えに叛くものだとしても? 自らを穢すことを神が許すと?」
「それが間違いの元なんだ。善きことも悪きことも、自分がやっているわけじゃない。......そう、神がそうさせていたりするのかも知れないな。だが人間は操られている者ほど自らが傀儡であるという自覚はない。......あなたがそうではないことを祈るよ」
「吾が身を
「最後に救われていればいいと祈り続けるもよし、自分がやりたいように生きればいいだろう。
「......もう良い。まだお前の心内を理解するには、吾は幼すぎるらしい。......だが、せめて肝に銘じておこう。さればこれにて」
したから
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