第一部 靑鰉/SYO-HO 水の記憶

1-1 水面/6C34 9762

>起草

>記: 毛野乃伝


 水音みなおとが聞こえる。

 響き渡る重低音は、大地の胎動。それは、あの少女を助け出した時に刻み込まれた感覚の全てなのであろう。海に潜るのは無論初めてだった。身体の大部分を機装化している人間にとって、深度ある水中へ飛び込むことは即ち死を意味する。


「つまり、ここは黄泉なのだと思っているのだろうな」


「いちいち俺のようなつまらない人間の思考を推し図らなくていい」

 視線の向こうには、礼服に身を包み太刀を帯び、真鍮の冠と玉飾りで装ったヤサカオホセが、。その中でケナ自身もまた、つま先を下にして浮き漂っていた。


「おや、私たちは君のことを買い、とても興味を持っているのだよ。感情調整に逆らい、死の危険を顧みずあの子を救った。君はまた全てを失うことに恐れを持っているにも関わらず」


「逆だ。感情調整があったからこそ俺は死を恐れずにいれた。それに……俺は死んだものの行方などあると思っていない。死して行き着く先は無だ。人の魂や記憶は情報化したりしない」


「だとさ、クロウ?」


 ケナの右手、揺らめく月影の幕より、よく知った青年の影が出ずる。これまた礼服に身を固めているが、こちらはヤサカより着こなしが厳格だ。クロウシトマル、これは狗奴国の巫男かんなぎ

「魂の行く末はどうであれ、彼の存在になんら僕の間違いはない。その思想はククチヒコの名によって誓われ、僕によって認められたものだ」


「……信じられんことだが、我が兄の領分ならば口を挟む余地もあるまい」


「おい、それで? 意識を取り戻した瞬間から俺が三貴神に、しかも根堅洲の天網に招かれた理由はなんだ」


「音に聞きし急勝せっかちね、イヌサカケナ」

 あたりの青は明るい光を帯び、左手に礼服の女が佇んでいた。

宗女そうじょを命をして救ってくれたこと、総領として心より礼を申し上げよう。今回の事件は其方の発見により、貴神三国共通の一件となった」

 

「話が見えん。あの少女は百禽のなんだったんだ」


「彼女はイヨ、が族家の系譜にある巫女であり、妾が百禽国の正統なる王位継承者だ」




 髪を縦に結い込んで日陰鬘ひかげのかずらを纏き、裾の長い衣。この場に揃う四人の中で最も装飾品のきらびやかなその女性は、ハシイロセヒムカ。彼女こそが大倭に大都を築き中つ国に覇を唱えた、百禽国の大王であった。


「王位継承者か…… 死をも統べる神々の王権に、後継者など必要なのか? なによりそれはなぜ、お前の家系の女子でなければならないんだ」


「短命たる人類には理解し難いかもしれないが、妾達わたしたちにも寿命は存在する。時間経過は脆弱性を生み、破局の可能性を孕む。拠って我々の機構にも上位互換改訂は必要であり、そのために元老によって選出された依代が彼女であった、というわけだ」


「……彼女は幾つだ。あれは間違いなくを着る年端に間もなき娘だ。ムマレもそうだしクロウの即位時もそうだったが、お前達の少年少女に国家の意思を預けるという思考にはとても疑問を感じる」


「彼女はまだ日の目を見ず、公式には存在しないことになっているが、建前上は十一を数える歳だと言っておこう。齢低き子らの感受性の強さは、養成することによって神々の得難き御供と成り得る。それはここに集まった三人の依代も同じだ」


「……感情に任せ話しすぎた、そんな幼き人身御供を、なぜ奴らはしぐに致った?」


「目下調査中だ。彼女が消失した時期すら明確ではない、なにしろまだ公的に存在しない人間であるため乳部みぶべの管理下にて保護されていたが、捜索開始が9日前だ。世話をしていた宮中の官吏が皆、偽の記憶を植え付けられ彼女が姿を消したことに気づかず、公務を急病にて欠席の報を受け見舞いに向かった摂政によって初めて判明したほどだ」


「……俺がイヅモで指令を受けてから3日経つ。21日前からその前後、イヨが宮から運び込まれた映像記録などは?」


「……確認する限りない」


「ない!? クハハハハ、ヒムカ!! あんたは有能な舎人とねりをお持ちになったようだな!!」


「その辺にしておけ、ケナ」

 鋭く冷徹なクロウの声が響く。

 辛辣なケナの問いかけにも動じずヒムカは、冷厳にしてかつ慈悲深く彼の問いに答えている。

「彼らは末端とはいえ、重要な役目にある者達だ。わたしが迂闊だったのは間違いなかろう。カラタケらナガト隊伍商団……に、おそらく偽装している下位組織、そして靑鰉・百禽いずれの機構にも精通している黒客くろまろうどを抱えた上位組織。少しでも彼らの尻尾を掴みたい。もちろん我らも捜査を進めるが、今回の一件に関して第三者となる狗奴国のあなたを中心に、ナガト隊伍商団やカラタケの足取りを追ってほしい。彼がまだ生存しているという前提のもとに」


「いいのか? 黒幕は俺や、大王イサオか、はたまたククチヒコかも知れないんだぞ」


「…………」


「例えば今回の捕物は合法的にイヨを俺の人質にするための、全て俺の自作自演だった…… とかな」


「そう論理的に考え、自覚できているうちは違うだろう」


「楽観的すぎだ、ヤサカ。その可能性や、俺が操り人形である可能性も考察しておけ。お前達の話を聞く限りこの一件は、中つ国全体を転覆させるに足る規模だ」


「……そうだな。ならばその芽を摘むのもまた、我らがお前に与えた役割だ。期待しているぞ、イヌサカケナ。……お前がおのの国人に忠を誓う身ならば、速やかに元凶をこの世より消し去れ。……喩え、それがお前自身であろうと」

 ヤサカの声が海中に響き渡る。影達は消え去り、ひとり水面を見上げると揺らぐ光の移ろう網目が見える。形を変えながら、どこまでも伸びていく天網れんもう。それはケナの目には渡る瀬もないほどに、無限に続いているように見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る