第36話 切っ掛け

 ユリシーズがヴァイオレットに傾倒したのは、 リリィが亡くなって暫くしてからの事だった。


(リリィ……)


 よく晴れた空の下、その日もユリシーズは教会に向かってとぼとぼと歩いていた。

 病に伏せる様になったリリィは次第にベッドから起き上がれなくなり、最期は眠るように息を引き取った。

 そんなリリィが黄泉の国へ旅立つのを見送った教会に、彼女の葬儀後、毎日通っている。

 大好きだった。親の決めた婚約であったが、それでも互いに心を許す様になるまでには関係も良好で、ユリシーズには愛情すら芽生えていた。

 このまま良い関係を育んで行き、成人して貴族学園を卒業したら、同じ姓を名乗り、支えあって暮らして行くものだと……リリィが病に罹り動けなくなるまで、そう信じていた。

 どんな時も微笑んで周囲を明るく照らしていた彼女はいない。代わりに沼よりも深い絶望が口を広げていた。

 どうにも出来なかった。見ている事しか出来なかった。

 勿論、何か病に効く薬はあるのではないかと、国中、時には他国にいる知人の伝も借りて探し回った。薬草に強い者たちに特効薬が作れないかとも持ちかけていた。

 だが結局、どれも実にならずに散っていった。

 サナトスでは、この世に未練がないように、また、何かしらの悪意に染まって魔物にならない様にと、肉体が残らない様に火葬をする事となっている。

 炎が燃え盛る釜の中に入って行く婚約者を見つめながら、ユリシーズはただただその場に立ち尽くしていた。

 彼を襲うのは、愛する人を失った悲しみと、どうにも出来なかった事への無力感。

 ユリシーズは医師でもなければ薬草学者でもない。貴族だがまだ子どもである己が出来た事と言えば、周囲に希望を探すことぐらいだった。

 だからこそ、無力な自分が許せずにいた。


(……もう)


 自分も黄泉の国へ行きたいと、そう考えてしまう。

 だが現状がそれを良しとしてくれなかった。ユリシーズが早まらない様に、近くには騎士も控える様になった。


(ああ……面倒だな)


 見張っている者も、隙を狙って来る者も……生きている事も、何もかもが面倒だ。

 全てに嫌気を覚えたユリシーズだったが、ふと聴こえて来た歌声に、彼は目を見開いた。


(この声……)


 教会内から微かに聴こえてくる歌声を聴きながら、入り口に向かって進んで行く。

 段々しっかり聴こえる様になった声に、ユリシーズは口元を押さえて、不意に立ち止まった。


「……リリィ」


 その歌声はリリィのものに似ていた。歌詞も彼女が好んでいたものと同じ“子守唄”で、それが余計ユリシーズの感情を刺激した。


『ねぇ、お願いよ? 私がいなくなっても、ちゃんと生きて、幸せになってね? たくさん生きて、色んな思い出を、あっちの世界で聞かせてほしいの。それが私の、願いでもあるのだから』


「どうして……」


 忘れていたのか。

 その言葉は舌の上で形成されず、吐き出した吐息とともに空中に消えた。

 次から次へと悲しみに塗り替えられ、記憶の奥底に転がされたリリィとの大切な出来事が蘇り、ユリシーズはその場に泣き崩れた。

 わかっていたつもりだった。否、本当につもりだった様で、現実は不安定にぐらついている。


 悲しみは消えない。大切な人の想いを忘れていたショックも受け止め切れない。

 だが……少なくとも、後を追うとする思いは消えていた。

 声が似ていた。その似ていた声が、愛しい人が好きだった歌を歌っていた。

 たったそれだけの事だったが、ユリシーズに生きる道を選ばせた。


 それからというもの、大切な事を思い出させたヴァイオレットを、ユリシーズは崇拝する様になった。


 だから、ヴァイオレットがジェラルドと引き裂かれた時は、一体どうしてくれようかと、国王と第二王子に本気で腹が立った。

 生命力に溢れたヴァイオレットは次第にその力を弱らせ、またジェラルドの無表情が加速して、最早人形の様になっていた。

 どうにかして二人を繋げたい。ユリシーズはそのためにアベルたちと奔走した。


 マリーには悪いと思っている。だが自分が幸せになる前に、あの尊い二人をどうしても幸せにしたかった。

 それはエゴ以外の何物でもないが、ユリシーズには譲れないものであった。


「ちょっと、妬けますわ」


 姉の話をしていた時の笑顔は一変、マリーは唇を尖らせて、膨れっ面を作った。


「妬ける?」

「ええ……ユリシーズ様を繋ぎ止めたのも、ヴァイオレットではなくて私が良かったと、そう思ってしまうのです」


 強欲なので、というマリーは、とうとう顔を逸らしてしまった。

 彼女にとってそれは、知られたくないものの一部なのだろう。だが感謝の念もあるものだから素直になれないのだ。


「確かに、切っ掛けはヴァイオレット嬢でしたが……その後明るい方へ導いてくれたのは、他でもないマリー、貴女です」


 細い手を繋いで微笑めば、マリーの頬は急激に赤く染まり、青い目を忙しなく泳がせ始めた。

 そういうところが可愛いのだと、言ったら言ったで今度は逃げられそうなので、ユリシーズは口に出さず、一人慌てる彼女を眺めるに留めた。


(……二人も、少しは進展してくれれば良いのですが)


 どうやら十年分の想いを拗らせてしまい、妙な溝を生んでいる二人を想い、ユリシーズは晴れ晴れとした空を見上げた。

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