229 強さの価値
「伺いましょう」
ティウは圧力を弱めないまま居住まいを正す。
オレも気を抜けない。
「もしもお前が木の実を手に入れたとしよう。お前は空腹だとする。しかしそこにたまたまもっと空腹そうな何者かが現れたとする。お前はどうする?」
「無論、すぐに木の実を食べます」
即答か。オレも同じことをするだろうね。
「ならもしもお前の子供がいたとして木の実を分け与えたとしたらお前はどうする?」
「褒めます。まさしくそれは分け与える行為ですから。ですが後で出し抜く知恵を与えるでしょう」
「矛盾していないか?」
「ええ。その通りです。しかしながら現実とはそういうものでしょう?」
その通りだ。
現実と理想にはいつだって埋められない溝がある。だからきれいごとだって言わなければならない時があるかもしれない。逆に徹底的に合理を追求しなければならない時だってある。
やっぱりこいつらは多少なりとも嘘や欺瞞を用いることができるみたいだな。
「ならもしも後から来た空腹の誰かが木の実を無理矢理奪ったなら? そしてお前がそれを罰する立場ならどうする?」
「奪った方を罰します。そうでなければ秩序は保てない」
「ティラミスとはそういうものじゃないのか?」
「いいえ。無法による暴力は悪ですが法に則った決闘は悪ではありません。違いますか?」
「オレも同感だよ」
ああいや全く気が合うな。いい友達になれるかもしれない。
戦争で百万人殺せば英雄。一人殺せば犯罪者。喜劇王のセリフだったか。
真理だけどこうも思う。兵士が称賛されない国は幸福なのかと。
帰還兵を見るがいい。自衛隊不要論を聞くがいい。汗水どころか血を流して戦った連中をこき下ろす必要はないはずだ。もちろんそんな意図でこの言葉を言ったわけじゃないだろうけど。
オレは平和主義者になんかなれそうもない。やられたらやり返したくなるし、極論すれば自分が安全なら国民全てが闘争の真っただ中でも構わない。
こんな世界じゃなおさらだ。争いの現場を見て、自分が死にかけてもまだ軍事力はいらないと言えるのは根っからのアホか平和主義者だろう。
とはいえ無秩序に暴力を振りまくことも良しとはできない。だからこそ、暴力にはルールが必要で――――暴力だけでは根本的な解決には導けない。
「質問に質問を返すようで恐縮ですがあなたならどうなさるつもりですか?」
「オレ? 決まってるだろう? オレなら――――」
この言葉を言ってしまえば後戻りはできなくなるけど――――うん、いいや。最悪アンティ同盟が敵に回ったとしても、それでも言う価値はある。
「木の実を二つにする」
ティウは一瞬ぽかんとした後で反論してきた。
「いえそれはおかしい」
「何が?」
「前提が崩れます。そもそも木の実が一つしかないから争うのでしょう?」
「オレは木の実を持っていると言っただけだよ。木の実が一つしかないなんて言ってない」
「詭弁です」
「全面的に認めるよ。でもな? お前は木の実が二つある可能性を考えなかっただろう? それにオレはどうすると聞いただけで分けるか、分けないかを聞いてないぞ」
「それは……」
人間、いや生命体は二択を与えられるとそれ以外の可能性を考えられなくなる悪癖がある。状況が単純化されると選択肢そのものを狭めてしまう。
それの最たるものがトロッコ問題だ。
二択を突き付けてどちらを殺すか選ばせる心理実験。
が、この問題は簡単な解決方法が存在する。実はトロッコにはレバーを中立状態にできる機能があって、そうすると自然にトロッコが止まるらしい。
道具には安全装置というものが大なり小なり存在するし、視野を広げれば解決策はあるはず。
「お前は木の実を分けるかどうかをまず最初に考えてしまった。それはその方法以外思いつかなかったからだろ?」
「…………」
「でも実際にはもっといろいろな方法がある。木の実を巡って争うのではなく、木の実を採る方法を考えるべきだ。それでも無理なら木の実を増やす方法を考えればいい」
ティウは一言も発さず、身動きもしない。肉食動物を前にした弱者のようにじっと息をひそめて様子を窺っている。マーモットはもともと非力で集団生活を営むげっ歯類だから違和感はないけど。
「お前たちは分け与えることに苦心するあまり、増やすことを忘れている……そもそも知らないのかもな」
「……我々の教えが誤りだと?」
「いいや。間違ってない。でも利益の再分配には限界がある。現状維持だけだといつか破綻する。だから利益そのものを増やしたり作らないといけない」
確かインドの実業家だったか。昔社説かなにかでそんなことを言っている人を見た気がする。
つまりこれも借り物の言葉。所詮オレなんてそんなものだ。自分が見つけたわけでもない知識を振り回し、理想や思想もないのに王様なんぞやっている。
しかし、それでも死にたくないという一念は本物だ。みっともなかろうが偽物だろうが、恥じる必要はない。
借り物でも利益があるならそれでもいい。
「今より多く、今より増やす、今より富を。国とは、指導者とはそこを目指すべきなんじゃないのか?」
学究の徒の端くれとして、そこを目指すべきだ。そう信じる。
「その結果があの醜悪な景色だとしてもですか?」
オレの言わんとしていることはわかっているみたいだ。オレのやりたいことは農業だ。とにかく農業で食物を増やす。あるいはもっと便利な道具を作る。
そこをスタート地点にするべきだと察してくれている。
しかしそれにはリスクがあることも理解している。オレが幹部連中に最初に言ったこと、農業による土地の改悪だ。どうやらそれはティウにとって許せないらしい。
多分こいつらが警戒しているのもそれだろう。オレが土地を奪って農業を始めて、取り返しがつかないくらい土地が荒らされることを心配している。だからこんな会談の場を設けてきたに違いない。
「確かにな。失敗すればあんな風に環境が崩れることもあるかもな」
「あなたなら失敗しないと?」
「いや。失敗することはあるよ。ていうかオレは失敗だらけだ。オレがしくじらなきゃ死んでなかった奴なんて山のようにいるよ」
あれもこれもあいつも奴も、いつでも屍はオレを見ている。ま、気にしすぎてもしょうがないけど。
「失敗したとしてもそれを改良していくことが文明の本質であると信じてる。何事もトライアンドエラーだ。お前たちはどうだ? 本当にこのままでこのロバイを守り切れると思っているのか? あの銀髪が攻め込んできたときに、このままでいいと思っているのか?」
ティウの鉄壁にようやく亀裂が入る。カマかけは成功したみたいだ。
こいつはどこかで銀髪の情報を仕入れていた。あの砦での戦いの時かそれよりも前か……そりゃあんな奴がいるって知ったら焦るよな。オレのようなよそ者に頼りたくなるほどにはな。
「我らが今以上に強く、大きくなればいいだけの話でしょう」
「嘘ではないだろうけどそれは虚勢だな。お前たちはこれ以上強くはなれないよ。個人の強さには限度がある」
「もっと数を増やせばいいでしょう」
図星を突かれた奴はもろいな。どんどん反論に切れがなくなってきてるぞ。
「無理だよ。お前たちじゃこれ以上の数は維持できない。少なくとも強さでは飢えにも渇きにも勝てない」
「……!」
これでもかとばかりに目が見開かれる。
強さに大した価値なんてないって気付いていただろうに。
「例えば世界最強の生物がいたとしよう。どんな奴にも負けない。誰が相手だって勝利してみせる。そんな理想が実際にいたとしよう。でもそいつは食べ物を作れるのか? 家を建てることができるのか? そいつが倒せるのは敵だけだ。敵がいなくなればその強さに意味はない」
正直に言えば、この言葉はとてつもなく弱いオレ自身への当てつけのようなものだけどな。
強さで世界は救えても、世界をよくすることはできないと思いたい。
もしもオレ自身が世界最強の実力を持っていたとしたら、きっとこんなことは言わなかっただろうね。むしろ強さこそがすべてだというルールを作っていたはずだ。
自分の為にルールを操作する。いやはやあさましい。生き汚いことこの上ない。でもまあ生き物なんてそんなもんだろう。
「世界最強の英雄がいれば世界は救えるかもしれない。でも世界は変えられない。英雄が死んでしまえばそれまでだ。本当に何かを変えたいのなら作るべきだ。文化でも、道具でも技術でも、戦術でも何でもいい。何かを作れば縦にも横にも広がっていく」
「縦と……横?」
「時間がたっても失われない。これが縦。その時代の遍く人々に伝えることができる。これが横。この二つを満たしたものは決してすたれることがない。逆に、一部の、特定の誰かのためだけの何かは必ず時と共に失われる」
「作る、というもの終着点は伝えること……そう言いたいのですか?」
「そうかもね」
名選手名コーチにならず、という言葉があるように、人に教えるということは極めて難しい。テレパシーによって感覚や動作を伝えられる魔物でさえそれは簡単なことじゃない。だからこそ、教える、育てるという行為ができる能力は貴重なはずだ。
そしてその教えるという行為は本やカリキュラムなどによって補強できる。つまり、一部の特別な才能を持った誰かが特別な英雄を鍛えるよりも、凡人がそこそこ優秀な凡人を育て上げる。それが理想の社会ではないだろうか。
ま、甘ったるい理想論ではあるけどね。少なくとも地球人類なら英雄という偶像を希求する精神はどこかに存在する。この世界ではどうかわからないけど、今まさにオレがそういう立場になってしまっているから、全く当てはまらないわけではないはずだ。
とはいえ今はその理想論をごり押しするべき時だ。ティウにそれを伝えよう。
「作るということは強さよりも価値があると信じる。それがオレの結論だよ」
深く、沈むようにお互いをのぞき込む。
どれだけの時間がたったか。それとも一瞬だったのか。
フッとティウから感じていた圧が消えた。
「我らの土地を欲するのもそれが理由ですか?」
ああ、例のマーモットが管理している土地か。こいつらは気付いているだろうけど、オレたちは道を作ろうとしている。
が、マーモットが持っている土地は道の建設に関係がないどころか明らかに飛び地で、獲る意味を見出せないだろう。
「そういうこと。そこをくれたらオレの言ってることが嘘じゃないって証明してやるよ」
「……いいでしょう」
「? 何が?」
「あの土地を差し上げますよ」
「え!? マジで!?」
ラッキー! たなぼたじゃん! オレの言葉に思うところがあったのかな?
「どのみち我々も持て余している土地でしたしあなたに差し上げても問題はありません」
「ん? 何かあるのか?」
前に一度調べた時はむしろ高原としては肥沃な土地だったと思うけど……必要な場所しか見なかったから見落としたのかな?
「あそこには悪魔の木がありますから。我々は極力あの場所には近づかないようにしているのです」
「ふうん? その悪魔の木とやらを見せてくれるか?」
「いいですよ」
誰かの感覚が伝わってくる。青々と茂った丸い葉に草原としては珍しく背の高い木。
どこからどう見ても豊かな森林だ。一見すると忌避すべき場所は見当たらない。
「あの木に何かあるのか?」
「ええ。悪魔の木の葉は食べると体調を崩すことが多く、何よりもあの木は燃えるのです」
毒性があるのか? この世界には意外と毒を持った動植物は多くない。あまり強力ではなさそうとはいえ毒があるなら忌避するのも当然だな。
ただ、燃えるのか? 燃える植物……んー?
「燃えるってどのくらい?」
「辺り一面火の海ですな。他の場所に燃え移ることもあります」
鎧竜が炎を見た時動揺していたのはそういう理由か?
「ちなみに燃えた後も同じ土地からもあの木は生えてくるか?」
「ええ。心当たりがあるのですか」
「ああ。多分あれはユーカリだよ」
ユーカリと言えばコアラの食べ物だっていうイメージしかないかもしれないけどこの植物はかなり癖の強い植物だ。
毒を持つ種類があって、あんなにのんびりしているコアラが他の生物が手を出さないユーカリを消化できるからこそ生き延びれたらしい。
さらに乾燥に強く、砂漠の緑化などにも用いられるとか。
そしてユーカリはとても燃えやすい。
この燃えやすさはユーカリが油成分を空気中に放出し、さらに樹皮も燃えやすい構造になっており、夏季のオーストラリアだと自然発火して森林火災や森火事の一因になるらしい。
しかも強く地面に根を張るため地下部分は火事が起こっても残るらしい。恐らくは生き残りやすいようにあえてそういう仕組みを持っているのだろう。
そう。
ユーカリは、火を操る生物だと言えなくもない。
(くっそがあああああ! 盲点だったああああ!)
すまし顔のまま心の中だけでうなる。
火を操る魔物は今までいなかったし、オレも多分いないと思っていた。
何故なら火を自分から使う動物は地球には人間以外多分いないから。
そう。動物は。
植物ならいないわけではない。
まさしく思い込み。もしかしたらユーカリは火や熱に関わる魔法を使えるかもしれない。
こいつらにとっては悪魔の木でもオレにとっては宝の木である可能性は十分にある。
ユーカリは油分を含むから油を抽出して利用したり、薬として使えるかもしれない。樹木としては成長が早く、魔物ならなおさら成長は早いからその点でも利用価値はある。
「どうかいたしましたか?」
「あ、いや何でもないよ。くれるならありがたくもらっておく」
「いえ、対価としての食料は頂きますよ?」
「……意外とケチだなお前ら」
そこは全部タダでよくね?
まあそうするとルールが乱れるのかもしれないけどさ。
とはいえ犠牲無しで土地を一つゲットしたのは大きい。このユーカリも役に立つ可能性はある。
次は鷲との戦いか。場合によってはプランを変更することも考えつつ準備を進めよう。
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